これから始まるのは、一つの未来。
祝福と御都合に支配された、平和という言葉に最も近い、明日。
平穏と言える日々は存在しない。
ここに在るのは、大津名という名の都市を覆った、とある子供達のドタバタ喜劇。
今宵語るのはその第十九話。
始まりを告げるのは、ただ常にこの一言。
「それでは、良い夜を」






  スラップスティック・デイズ
            第十九話。もしくは嫉妬でも可。


                               
滑稽




「…何故?」
目が覚めた時、そこは寝ていた筈のベッドではなかった。
部屋一面畳張りの、しかもいたく広い部屋。
中央に敷かれた布団の中で目覚めた訳だが、シンはここがどこなのかも見等がつかなかった。
「俺…部屋で寝たよな…?」
夢遊病の気はない筈だ、多分。
と言うか、流石にここまで無茶な夢遊病もないだろう。
他人の家の布団で堂々と寝ているなんて。
とすると、誰かに連れ込まれたのが一番説得力のある答えになる。
…まあ、寝た時の疲労度を考えてみれば確かに運ばれても目は覚めなかっただろうが。
「あ、お起きになられましたか、羽村様」
「はい?」
突然声をかけられ、間抜けな顔でそちらを向く。
「お嬢様の方はもうすぐ参られると思いますので、それまでにお食事を済ませてくださいまし」
声をかけてきたのは、女中さんらしき中年の女性。
「お嬢様?お食事?」
「はい」
「いや、しかし…あれ?」
疑問は尽きない。
が、飯と聞いた瞬間にぐう、と鳴る。
女中さんは小さく笑って、
「では、お食事をお持ちしますね」
と引っ込んだ。
「…むう」
どう考えても事態の脈絡が見えてこない。
一体何が。
ここはどこか。
まあ気になる事は山ほどあったが。
取り敢えず判っているのは一つ。
「俺…誘拐されたんだろうなぁ、多分」
まあ、アクイに攫われた訳ではないようなので、そこだけは安心なのだが。
程なく食事が運ばれてきた。
「…あ、美味い」
血が補給されると言うか、何と言うか。
空きっ腹には有難い。
「まあ、健啖」
何を言われても気にならない。
「それで、ここは、どなたの、お家なんでしょ?」
食べながら、聞く。
「…あら?ご存知ありませんの?」
「はい。残念ながら。取り敢えず、寝ている間に、運ばれたようなんですが、一体何処なのか、と」
気さくな雰囲気の方なので、シンは答えてもらえるのでは、と期待したのだ、が。
「あらあら」
と、女中さんは笑うだけだった。
「大丈夫ですよ。別段何か悪さをするつもりでお連れした訳じゃないでしょうから」
「ま、それはそうなんでしょうけどね…」
そんな話をしている間に、出された料理を平らげるシン。
「ご馳走様でした」
「はい。お粗末様でした」
そそくさと器を片付けて去る女中さんの背を見送って。
「いや、マジでここ何処よ」
シンは障子張りの窓を開けてみた。


さて、時間は少し前後するが。
真言葉はシンの家へ向かっていた。
「ああもうシンの奴ぅぅっ!!」
憤慨が止まらない。
顔を真っ赤にして歩く様は、端から見てかなり怖い。
「本当、ひどいわよねぇ。真言葉さん」
「石動さん!?」
突然背後から声をかけられて、真言葉は驚いて振り返った。
「私もご一緒していい?」
「え、ええ…」
縁がシンを想っている事も心得ている真言葉だ。
自分の嫉妬と同種のモノを彼女が持っている事は容易に推測出来た。
「…それで、真言葉さんはどうされるおつもり?」
「え?」
「羽村君を責めて、それでお終い?」
「ど、どういう事ですか?」
真言葉の問いに縁は艶然と微笑み。
「…このままだと羽村君は経緯はどうあれ美麗さんに惹かれていく事になってしまうわ。それは何となく判るでしょう?」
「…ええ」
悔しいが、それは確かだろう。
無茶な話ではあるが、それでも起きてしまった以上無かった事には出来ない。
シンもまた、そういう性格ではない。
そうならない為にも、今日はきっちりと釘を刺しに行くつもりだったのだが。
どうも縁の口ぶりだと、そういうつもりではないらしい。
「それで?」
「私達も既成事実を作ってしまえばいいのよ」
「…はい?」
思考が、止まった。
「ちょうど今羽村君は疲れきって眠っているわ。これは好機だと思わない?」
「え、ちょ、あの、その…?」
「判らない?私達から彼に逆夜這いをかけるのよ」
「よ、よよよよ夜這いッ!?」
「そう。起きてしまったことが変えられないなら、同じ状況に自分を持っていくことで再び同じラインに立つ。戦略上では理に叶っていると思わない?」
「え、えっと、そのまあ、確かに…」
勢いに圧倒されて肯定してしまったのが運の尽きだった。
「でしょ!?だからこれから羽村君を連れに行ってくるわ。真言葉さんも一緒する?」
条件反射的にふるふると首を横に振る真言葉。
既にその思考はほぼ停止していた。
首を振らせたのは羞恥か嫉妬か。
とにかく言われた事を処理するのに手一杯で理解するに至っていないのだ。
「それじゃ、お先」
ひらひらと手を振る縁に手を振り返して。
真言葉は。
「…はっ!!」
五分ほどそこに棒立ちになっていた後、嫉妬の対象が増えるという事に気付いて現実に戻ってきた。
「しまったっ!!」
慌てて羽村宅に急行するも時既に遅く。
「…小父さん、シンは!?」
「ああ、石動さん、って方が連れて行ったぞ?」
ニヤリ。
「何で止めてくれなかったんですかぁ!?」
「いやだってほら。彼女もシンを好きだ、って言うから。同じ位置に立ちたい、って健気な乙女心を邪魔出来るほど小父さんも野暮じゃないの」
応対する亮の確信犯具合に、呻くしかない真言葉。
「ぐ…」
「で、真言葉ちゃんはどうなのさ?」
「え?」
「もし真言葉ちゃんがシンの事を好きだ、って言うなら、一日くらい貸し出しするけど?」
「え、あ、あのそれって…」
「ま、考えておきなさい。ああ、それと」
亮は笑顔を策士のものから優しい小父のものに変えると。
「シンがそういう行為に及んだのは、本当に治療行為として、だよ。ただ内容が内容だから、事によっては美麗ちゃんが変な目で見られるようになってしまうかもしれない」
「あ…」
「だからシンはそれを隠したんだ。何か疚しい事があって隠したんじゃないのだけは理解してあげてほしいな」
「…は、はい」
「まあ嫉妬してくれるのは、アイツの父親としてはそれなりに嬉しいのだけどね?」
その言葉に、真言葉は顔を火のように紅くした。


「…うーむ、見覚えはあるんだがなぁ…」
シンは困りきった表情で窓の外を見遣っていた。
「参ったね…」
困った顔でそう呟いた刹那。
どくん。
体内で何かが弾けた。
「へ?」
どくん、どくん、どくん。
熱い。
「な、何だぁ!?」
熱が全身を覆っていく。
と。襖の開く音がして、シンは半ば血走った目をそちらに向けた。
「こんばんは、羽村君」
「…?い、石動さん」
部屋に入ってきたのは、縁。
「あ、アンタが俺を…?」
「ええ。寝ている間に、ね?」
「な、なんで…」
「それは簡単。私も羽村君が好きだからよ」
「…はぁっ!?」
それこそ寝耳に水だ。少し前まで思い切り敵視されていたと言うのに。
「な、何で!?」
「さぁ?理由なんて判らないわ。でも私は羽村君が好き。何もなかったら、こんなに性急に事を進めたりはしなかったんだけどね…」
近づいてくる縁。
何か甘い香が漂っているようだ。
「べ、別に何もなかった筈…」
「星川さんと何をしてたの?」
「うぐ…」
そす、と。
触れるか触れないかくらいの距離で囁かれると、全身が熱暴走しそうだ。
「火倉先生に聞いたわ。だから、私も既成事実を作る事にしたの」
「き、きせいじじつ!?」
「そう。その為の手段は選ばないわ。覚悟してね?」
「…はいぃ!?」
首筋に絡み付いてくる手。
「ね、お姉さんが色々と教えてあげるわ」
「あ、あのその…」
あたふたするシンに、なお艶然と微笑む縁。
「ねぇ、シン君…」
耳元に吐息。
「もう辛抱出来ないんじゃない…?」
「い、一体何を…」
「ご飯にね?一服盛ったの」
「な…!!」
「ほ、ら。我慢は体に毒よ…?」
ぞる。
うなじを縁の舌が這う。
「くぁ!?」
「ほらほら…」
「あー、もー!!」
ぷち。
「縁さんっ!!」
辛抱出来ずに抱き締めようとしたシンからするりと離れ。
部屋に敷いてある布団に横たわると。
「さ、シン君。いらっしゃい」
縁は手を差し伸べてきた。


第二十話。もしくは怒号でも可。
               に続く










後書き
ども、滑稽です。
少々鬱屈したアレがこんな作品を生み出したといいますか。
と言う訳で、次の作品でお会いしましょう。






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