悩んでいた。
己の敗北は既に決している。
状況から見ても、それは明らかだ。
だが自分の心はまだそれを全く認めていない。
親友の幸せ、自分の未来。
秤にかけるような自分の醜さに嫌気を感じつつも、止められない。
二律背反の思いに人知れず苦しむその目の前に。
『彼女』は現れた。





  或る夜の話
    どっぺる鏡花ぁ


                               
滑稽





「な…え!?」
「こんばんは」
笑顔の少女。
普段なら、彼女はこう挨拶されたら大抵社交的に返す。
だが、眼前の少女が自分と瓜二つの姿をしていれば、それはまともに返答するのもままならないほど驚くだろう。
「あ、アンタ…何者?」
「アタシはアンタ。アンタの願望やら嫉妬心やら表に出ない感情の投影…」
「…まさか!」
「そうよ。その通り」
「アンタ光狩ね!?」
「そ…って、え!?」
「チロッ!!」
「え、ちょ、待って!きゃー!!」
かぷかぷかぷかぷかぷ。
「いたいいたいいたたたたたたた!!」
「さっさと正体見せなさい!!」
「痛いぃぃぃぃぃ…」
かぷかぷかぷかぷかぷかぷかぷかぷ…。
五分後。
「…どっぺるげんがー?」
「…はい、そうです」
鏡花(本物)の前に正座をさせられる鏡花(もう一人)。
既に屈服させられている辺り、女帝の面目躍如といった所だろうか。
「ふぅん…。どこからどう見てもアタシそのものってとこね…」
じろじろと見詰め、何かを考える素振り。
「あの…」
「むふ♪」
「ひぃ!?」
何か思いついたようだ。それも、とてつもなくろくでもない事を。


「…あら、いずみ♪」
「あ、鏡花ちゃん?」
土曜日。鍛錬が終わって、鏡花が部室に戻って来ると、帰る準備を終えたいずみが座って誰かを待っていた。
…誰かというのはいわずもがな。
「亮は?」
「ん、今シャワー浴びに行ってるよ」
「そう。あのさ、いずみ」
「なに?」
「この後どっか行かない?」
「え?」
「久々に、女二人でお買物。…どう?」
「ん〜…」
しばし迷って、出した結論。
「そうだね、久しぶりに。行こうか」
「おっけ♪それじゃ、先に行ってて?アタシもちょっと着替えるわ」
「うん、わかったよ」
と、出ようとして、ふと。
「あ、亮君に一言言っておかなきゃ」
「ああ、私から言っておくわ。だから先行ってて大丈夫よ」
「そう?それじゃお願いね?鏡花ちゃん」
と、部室を出て行くいずみ。
その様子をにこやかに見送ると、鏡花は。
にやりとほくそ笑んだ。


「あ、亮」
「おう、鏡花」
部室に戻って来た亮は、中に座っていた鏡花に手を挙げて応じた。
「あれ?いずみさんは?」
てっきりここで待っていてくれるものと思っていたが。
「ああ、何か用事出来たみたいで先に帰ったわよ?伝えておいてくれ、って言われたからさ」
「そうかぁ、悪いな」
少々残念ではある。
特別約束をしていた訳ではないが、何の用事だろうか。
浮気、などというのは有り得ないと胸を張って言えるのだが、寂しい。
その考えを見透かしたのか、
「ねえ、亮」
「ん?」
「これからデートしない?」
鏡花は唇を尖らせると、こちらを上目遣いに見詰めてきた。
「でーと?」
「そ。たまにはいいんじゃない?」
「…むぅ。有り難い申し出だが俺は―」
「ありがたい?それならいいじゃない♪」
と、こちらの返答も待たず強引に亮の腕を取る。
「さ、行きましょ」
「あ、おい。俺は行くとは―」
「ほらほら!」
とにかく押しの強い鏡花に、亮はなしくずしにデートへと連れ出された。


「お待たせ」
「うん。亮君は?」
「ああ、ちゃんと伝えておいたわよ。…寂しい、って顔に書いてあったわ」
「…」
赤面するいずみ。
自分でも初々しいかな、と思うが、それはそれだ。
「で、どこ行く?」
「そうだねぇ、アーケードでどうかな?」
駅前のアーケード周りなら大きな店もあるし、品揃えには事欠かない。
うーん、と唸っていた鏡花だが、そうね、そうしましょうか、と応じた。
歩き出す最中、鏡花はふと背後を見て何かを確認していたようだったが、すぐに向き直ると少し早足で歩き出した。


「さ、私の奢りよ」
「…激しく嫌な予感がするんだが」
「どーゆー意味よ!?」
「いや、そのまんま」
どこへということもなく、ぶらぶらと二人連れ立って歩く。
いずみに捕まったらどう言い訳しようかなぁ、などと思いながら上の空で歩いていると、ふと鏡花が腕を放した。
どうかしたのか、と見ると側の自販機でジュースを買っただけ。
手渡された時にこう言ったのも、普段の行状からすれば無理からぬ事ではあった。
「…ま、いいんだけどさ」
不貞腐れたような顔で自分の分を飲む鏡花。
「…また一気飲みかよ」
「言った事あるでしょ?そんな柔な喉してないのよ」
何度か鍛錬を一緒にした事もある仲だ。そういえばそんな事を聞いたような気もする。
ま、いいか、と貰ったジュースを見てみる。
「…辛味飲料『火プサイ』。なんつーモン買ってくるんだお前」
「いずみも飲んでるんだから、飲んでみなさいよ」
「マジかよ」
いずみの好みだからとこんなものを買ってくる鏡花も鏡花だ。
とはいえ、いずみの名を出されると弱い亮である。
仕方なく、一口飲んでみる。
「…んー…」
辛い。果てしなく辛い。
「辛い…な、マジで…」
火を吹きそうなほどに辛い。
そう、まるで。
意識を失いそうなほど…。


「さて、次はどこに行きましょうか」
「そうねぇ…」
アーケードから外れて、薄暗い道を騒ぎながら歩く。
と、いずみはふと足を止めた。
「どうしたの?いずみ」
「…亮君」
「え?」
視線の端に映った、愛しい男の姿。
「見間違いじゃない?」
鏡花の言に、ふるふると首を振る。
一度本物の亮を偽者と疑った事がある。二度と間違えないと誓った彼女の瞳は、間違いなくそれが亮であると告げていた。
「…亮君?」
何故かぐったりとした様子で、誰かにもたれかかるかのようにしながら歩いている。
「調子悪そう…って、あの建物!!」
焦った調子でいずみが走り出す。
「あ、ちょ、いずみ!?」
亮が連れ込まれた先。そしていずみの走っていく先にあったのは。
ホテル『平穏』
一端のラブホテルというやつである。


ふと気がついた時、ベッドに横たわっていた。
シャワーの音が聞こえる。
「…いず…み?」
どうも、舌が動きにくい。
というか、体も動かない。神経が繋がっていないと言うか。
…感覚もぼやけてしまって、現実感が薄いのだ。
シャワーの音が止まり、誰かが歩いてくる気配。
「あ、起きたんだ」
「…んー」
聞こえてくる声は、いずみのものではなかった。
誰だったか。
唯一動く目で見遣ると、
「鏡花…?」
「そ♪」
バスローブを羽織った鏡花が。
「好機到来ってやつよ。逃さないわよ?」
「もしかして…。この体の調子…、お前の仕業か」
「そ〜。ジュース買った時に薬をきゅきゅっとね」
「あのなぁ…」
やはり、か。
朦朧とした頭の奥で、亮はそんな諦めを呟いていた。
「何で、こんな事すんだよ…」
「既成事実が欲しいのよ」
「な…」
「別に彼女にしてくれ、なんて言わないからさ。たまにシてくれればいいの。…尽くすわよ?」
妖艶な笑みを浮かべる鏡花に、反論を忘れて亮はそれに見惚れてしまった。
と、その一瞬の間に、
「いっただっきま〜す♪」
バスローブを脱ぎ捨てる鏡花。
「わ、待て待て待てって!!」
見たら、こちらも思いっきり裸だ。
鏡花が亮めがけて飛び掛ってきた、まさにその瞬間。
「待ちなさぁぁぁいッ!!」
ドアが開け放たれ、いずみが飛び込んできた。
「亮君!無事!?」
「いずみ…さん」
この現場を見たいずみがどういう反応を見せるか。
そんな考えの浮かんだ亮の背筋が冷える。
「…鏡花、ちゃん?」
だが、いずみは亮の上の鏡花を見て固まっていた。
「ち、ドッペル…。ミスしたわね?」
「ごめんなさぁい」
と、いずみの後ろから現れたのは、
「鏡花…が二人!?」
「あは、ははは…」
愛想笑いを漏らすもう一人の鏡花。
「まあ、どういう原理か、という事は置いておきまして」
と、いずみ。瞳を閉じているが、額には思い切り青筋が浮かんでいる。
「どういうつもりかしら?鏡花ちゃん?」
「…んふ。亮を寝取っちゃおうかな、って思ってね?」
「な―」
「理由は聞かないで。私も言わない。…でも本気よ?」
「…そう。そういう事なら―」
いずみがどこからともなく棒を取り出し、
「容赦はしないわ!」
鏡花もまた、どこからともなくチロを取り出す。
「望むところよッ!!」


どしんばたん、と二人の戦闘が始まった。
が、亮は薬の所為で動けないままだ。
「どうするかなぁ…」
とはいえ、どうしようもないのだが。
まな板の上の鯉の気分を味わっていた亮だったが、ふと体を担がれるような感触を感じた。
「…鏡花?」
「もう一人の方の、ね」
「何を…?」
「漁夫の利って言葉、知ってる?」
「…なっ…」
これじゃ鏡花が二人ぢゃねぇか。
辛うじて言葉を飲み込む。
流石にこれ以上状況に流される訳にはいかない。
一瞬の間をついて、亮は―
「いずみさ―」
口の中に妙な液体を流し込まれた。
「やっぱり偽者やってると思考まで似てくるのよね〜」
もう一人の方のそんな呟きが、いやに耳に響いた。


「ぜぇ…ぜぇ。鏡花ちゃん。亮君は渡さないわよ…」
「はぁ…はぁ…いずみ。…ところで、亮は?」
「…あれ?」
死闘を繰り広げていた二人は、ふと我に返った。
部屋に亮の姿はない。
「…まだ薬が効いている筈だから動けないのに―」
「その割には居ないね…?」
ふと、鏡花の首が凄まじい勢いで真横を向いた。
「ドッペルゥゥァ!!」
凄まじい怒号を響かせて、鏡花が部屋を飛び出した。
それに続くいずみ。
バン!と扉を開けた先に居たのは。
「…あ」
亮に圧し掛かっているドッペルゲンガー・鏡花だった。
亮は気を失っているのか、身動ぎ一つしない。
「ドッペルゥゥゥ…」
底冷えする声を上げる鏡花と、
びきべき、ばき。
無言で、手を添えていた壁を握りつぶす、いずみ。
「…ああん、薬を盛りすぎたかぁ」
眠っている亮相手に行為に及ぶのは、彼女『達』の望むところではない。
だが、それはともかく、ドッペル・鏡花にとって状況は最悪だった。
「アタシを出し抜こうなんて、いい度胸してるじゃないの?」
「や、やられっぱなしじゃ…わ、私が現れた意味ないもの」
本物鏡花の殺気がドッペル・鏡花を包む。
ついでにひたすら棒に打ち据えられたり棒を受け止めたりと痛い目に遭っていたチロの殺気まで。
「…遺言はそれでお仕舞い?」
「ちょ、ちょちょちょっと待って!?発案者はそこの―」
がぷ♪
「ぴっ!?」
いずみの掛け値無しの『殺意』。その向きを替えようとしたドッペル・鏡花の言を、封じるように噛み付く―実際封じている―チロ。
「…楽に夜には還れないわよ?」
「覚悟しなさいね?」
「ひ―」


「ん…」
「あ、起きた?亮君」
「あ、ああ…いずみ?」
目が覚めると、そこは自室のベッドだった。
横には裸のいずみが。
ひどく頭が重い。
「凄かったわ…今日の亮君♪」
「んー…。何か妙な夢を見た気もするんだけれど…」
どんな夢だったかまでは思い出せない。
鏡花が二人出てきたり、いつもより凄まじい勢いで亮を求めるいずみだったり。
「大した事じゃないんじゃないかな?」
「そだね。…まあ」
取り敢えず、いずみの裸だ。
当然ながら反応した分身を鎮める為に、亮はいずみを抱き寄せた―




追記。
「しゅみませんきょうかさま…」
ちょこなんとチロの横に座るのは、掌大の人形。
「今日からアンタはアタシの下僕だからね。覚悟しなさいよ」
「ふぁい…」
まっ黒いオーラを纏って告げる鏡花に、人形―ドッペルゲンガーは一も二もなく頷くのであった。
「しくしくしくしく…」


続く?









後書き
ども、滑稽です。
いずみ対鏡花。夢のカードですよね♪(違
ちなみに鏡花の買った飲料の名前は『かぷさい』と読みます。
唐辛子のカプサイシンをふんだんに盛り込んだ辛味(からあじ)ドリンクです。
辛党いずみが御用達にするのはそう遠くないでしょう。
ひぷさい、とは読まないのでご用心を。
ではまた。






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