たとえばたった一音で世界が始まるとしたら。
始まる。……これもまた喩えになってしまうが、歴史が築かれていくということにする。
世界が始まるというのを、歴史が築かれ始めると解釈する。これは重要ポイントなので覚えておくといい。テストには出ないし、そもそも私は出題者の格には成り得ていない歳も足りないまだ青春したい。いやむしろ青春してる。
ああ、少し話が脱線(心の声だから、集中力の散漫で良い?)してしまった。戻すとする。えーっと、そう、世界がたった一音で始まるとしたら。
始まる前の世界は終わっていて、それはそれは静寂に包まれていて平穏なことだろう。
平穏なのは良い事だ。激動する世界に居れば解る。
≪激動する世界≫とは必ずしも、私が前提している≪周囲との関係性≫でなくてもいい。いや、前提していないか? まあいい、ともかく現代を≪激動する世界≫に当てはめてもいいのだ。
読者ら諸君は、たぶん二千ン年をえっちらほっちら生きているね? ハッハッハッ、別に侮辱しているわけじゃない。私における現代というのも、皆が皆えっちらほっちら生きているからね。別にエッチというわけでもない。そんな発言えっちだわっ、きゃーっ!
――自分の心の声に、なに女々しい悲鳴をあげているんだ。私は(性別は女だけど)。
とにかく≪激動する世界≫現代を思い浮かべよ。命令形だとも、これいじょう脱線してはページ数が増えてしまうからな。無駄に演説チックな冒頭が続けば、読者が離れてしまう恐れもある。文章力にも発想力にも自信の無い作者は、そうやって私を怒鳴り散らす。魅力的な点がない作品ってだけでもう無理だろぉ。
――ああ、また脱線してしまった。でも私の心意気は解ってくれただろう。よって次のプロセスに移る。
思い浮かべてもらった現代を、≪終わっている世界≫に変換して考えるのだ。歴史が築かれない、つまり人間は居らず上下関係はなく、ならば虐げられる物も絶滅する物もいない。核で宇宙船地球号が破壊されてしまう危険もない。
どうだろう。なんとまあ、つまらない世界だね?
私はつまらない世界が嫌いだ。主観の話になって申し訳ないが、一音によって始めるか否かは私に委ねられているので、至極当然なのだ。おっと、読者らにはまだ現代を喩えにしてもらっていたね。すまない。そろそろ核心を突いてしまったほうがいいか。
だが私は乙女だ。よって、核心を闡明にするのはちょっと恥ずかしい。この場合どうすればいいのか。……ふむ、作者からカンペが届いたよ。どうやら、私が台詞(心の声だけど)を忘れてしまったのだと勘付いたらしい。給料減らされたらどうしよう。「読者らが熱い視線で舐めてくるから、頭が真っ白になっちゃったんです……ッ!」よしこれでいこう。演技力は素晴らしいと自負しているから成功率百パーセントだ。ハッハッハッ、義之君以外の男なんて所詮、女の泣き落としに激弱なのだよ。効果はバツグンだでポケモントレーナーごと瞬殺なのだよ。敵ポケモントレーナーに向かってモンスターボールを投げるくらい低能なのだよっ!!
――なに、作戦がだだ漏れだとぉ? 責任者を呼べ責任者を! あ、すみませんちゃんと読み上げますからはいはいエエットデスネ。
終わったままであれば良かったという後悔を、始めることの興奮に身を委ねて忘却し、もどかしさに背中を押されて私は一音を発することにした。
タイトルで表すなら――そう、【北乃条朝美のどっきどきスペシャル初デートスペシャル☆スーパー】あたりが素晴らしく似合う。
――日曜日。高校生のデートとしては定番な日付だろう。
待ち合わせの場所は、繁華街に近い駅前。そこにある大きな大きな、変なオブジェの前。
約束した時間は午前十時。
でも、
「来ないんですけど……」
時計盤がついに十一時を指した。私は、自分でも怒っているのか悲しんでいるのかわからない複雑な気持ちを込めてつぶやいた。
別に、待ちぼうけ食らわされていることが不満なのではない。
義之君は生徒会長と野球部ピッチャーの掛け持ちで、忙しい身であるのは重々承知している。休みだけど学校でちょこっと作業して、そそくさと抜け出そうとしたら捕まっちゃってやむを得ず――というシナリオであるのは、分かっている。ええ、重々承知していますとも。
待望する行為が楽しすぎる故に顔が自然とニヤけてしまっている、そう、四行くらい前の『複雑な気持ち』とは、実は期待のみで構成されていたのだ。私すら驚き、きゃーッ! ……ふぅ。
ナンパ避けに、ボーイッシュな服装で決めてきた。マフラー等の防寒具でモッコモコでもある。しかし勿論、ファスナーを下ろせば中はセクシーファッションである。
せっかく約束できたデートなのだから、魅了するという事項は外せないのだ。
でも、
「来ないんですけど……」
なんだこの、思考のループ。
憂鬱モードのスイッチが入りつつある。今、義之君が来れば、冷や汗ものだ。だが幸いなことに、駅から迸る人波に義之君の姿はない。
――と、そのとき、声をかけられた。
「あ、あの、すっごくお綺麗ですね!」
振り向く。目眩がした。私は額に手を当て、溜息を吐いた。
私に話しかけてきたのは、金髪碧眼の少女。
潤んだ、というか羨望の光に満ち溢れた目を、私に注いでいる。
対し私は、サンタを連想させる服装を見せつけられ、ああ今日はクリスマスだったななどと思ってたりもする。
関心はない。だって今日は、そんなイベントよりも祝うべきものができる日になるのだから。いや、するのだ。
普通の街並の中では彼女は少し浮いていた。そんな人物に話しかけられ、戸惑わないはずがない……とはいえ、柄の悪い人とは違った浮き方である。戸惑いも、ときめきと表現しても語弊がない。
だが少し待って欲しい。今日の私はそれを肯定してはいけないのではないか?
脳内シミュレーション……
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脳内シミュレーション〜戯曲風〜
私「グヘヘ、おじちゃんがちょっと良い事してあげるよー(ときめきを肯定し、本能のまま少女に襲い掛かる!)」
少女「いーやー! 助けてー!(目尻に涙を溜め、悲鳴をあげる!)」
???「おまえの悪事はそこまでだ!(黒い影というシークレットシルエットを纏い、参上!)」
私「何奴じゃ!(現れた黒い影というry に向き直る)」
義之「僕だよ……君が、見ず知らずの女性を襲うような人だったなんてショックだよ(???が黒い影ry 解除。そして憐れみの目ビーム照射)」
私「よ、義之君!? こ、これは……違うの(おじちゃんモード解除)」
義之「君とのデートは無しだ。もう、話しかけてこないでくれ(冷たく言い放ち、すたすたと歩き去るのだった……)」
私「ぎゃー!(ジエンド)」
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ときめいたなどと、あってはならない。
もし肯定してしまえば、軽い女というレッテルが貼られて、私は……あわ、あわわわっ。
「……あんた、逆ナン?」
「そっ、そんなんじゃな、ないです!」
「今、人待ってんの。他当たって」
わざとぶっきらぼうに言う。ぷんぷん怒って否定する彼女には悪いが。ぶっちゃけ怒る様子もムチャ可愛いが。
ぶっちゃけ怒る様子もムチャ可愛いが!
少女をしっしっと追い払った後、義之君がついに現れた。
「僕、このオブジェの反対側に居たんだよ。一時間くらい前から」
参ったなぁ、と義之君が苦笑する。私も微笑む。
大いに猫を被って。だが。
「まぁっ♪ ……フフ。なんだか、ドラマの一シーンみたいだね」
よっしゃ。心の中ではガッツポーズ。
なにはともあれ、約束の時間よりも一時間遅れてやっと合流した私と義之君だったのさ。っと、私は女の子なんだし、だったのよ〜の方がいいか?
まあ、どっちでもいいか。
恋人のように腕を組むでもなく、触れそうで触れない隣を歩いて、私は、義之君とデパートにやってきた。
ショッピングである。デートとしては定番だろう。で、でーとなんだよね。う、うわあ。きんちょーするっ。
「あ。この曲」
ドーナツ状の階が三つ四つ層をなすこのデパート。二重の自動ドアをくぐって中に入った途端、義之君が声をあげた。
「今年の流行りだよね」
「え?」
――は、流行り? それ、病のときの表現だよね? え、もしかして悪影響を及ぼす曲なの? 予防接種した? とか返事すべき?
「あ、興味ないのかな。ソングステーションとか、音楽番組はクラスでも結構話題だったと思うけど」
知らないタイトルが喩えに挙げられた。有名らしいが、私は渇いた笑みを浮かべるしかない。
いまいち、噛みあわない。
「……な、なんだか良い匂いがするよね」
義之君がフォローしてくれた。私は頷き、きょろきょろと見回す。同じ階層に、試食を餌に客寄せする店があった。芳香の原因は其処にちがいない。
「野球部の朝練した後の僕に、美味しそうなものは毒だぁ」
「フフ。寄っていきますか?」
声色、笑顔、首の傾げ具合、調整。練習もイメージトレーニングも何百回こなした清楚≠完全再現する。義之君は子供みたいに無邪気に笑い、うきうきした足取りで私の前を歩く。
――貴と優による魅了が主体である。艶は最終手段だ、なぜなら義之君の好みのタイプは年上お姉ちゃんだから。
集めた情報によれば、『いっしょにいて安らぐ』が重要ポイントらしい。私の習得した清楚≠ヘ、その象徴である。義之君のちょっと後ろを、穏やかな光を瞳に宿しながら付き添う私の姿は熟女の寛容さにも負けず劣らず、
――のはず。
「いらっしゃい。おっと、お嬢ちゃんはどこかの箱入り娘さんかい? 淑やかだねぇ」
ぐっじょぶ。心の中で親指突き立てる。商売上手にお世辞を言うおっちゃんに乾杯。
「あー、いっぱい種類があるな……とりあえず試食全品いってみよぉ!」
「いらっしゃい。おっと、彼氏さんはどこかの物乞いかい? 図々しいんだねぇ」
――義之君を煙たがったのでマイナス100点。杯は下げさせていただきます。
商品に目移りしている義之君の背中を、ぼぉっと見つめる私。至福に満たされる。清楚≠フ仮面が剥がれつつあるのだ。
たまに垣間見る横顔が可愛らしすぎていけない。食欲に染まった野獣の目ではあるけれど、所詮愛玩される動物の立ち位置。義之君に付加されている絶対的な愛らしさが、下品な仕草によるマイナスイメージをチャラにする。むしろ愛らしい仕草と見てとれてしまう。……いいなぁ。お姉ちゃんキャラにもそういう都合の良い属性ないのかなぁ。
想像してみて、諦める。大股で歩いたり、食事を大喰らいするのは、お姉ちゃんではなくオバサンだろう。そこの線は見誤ってはいけないし、冒険してもいけない。
ということで、試食も小口を意識。大口を開けてがつがつ食べている義之君と並んでいると、どちらが強調されるかよくわからない。
「……北乃条さんってさ、食べ方に品があって良いよね。家族は皆、がさつというか大雑把というかさ」
「そ、そう?」
意識した成果があった。効果覿面とはまさにこのこと。
しかし、図に乗ってはならない。むしろこの喜びを燃料にして、仮面の厚さを強化する。もっと完璧に演じるのだ、そして好感度を稼ぐのだ。
なぜなら、恋は演劇だからッ……!!
「フフ。皆おなじようなものですよ」
首を傾げる。義之君からの見え方を予想し、髪を小刻みに揺らすことで、上品に浮かべた私の笑顔をより修飾するのだ。
おっちゃんの息を呑む音がきこえた。義之君が、なははと豪快に笑った。
私の笑顔が若干強張る。……先はまだまだ長いようです。道は、登山なみに険しく、上り坂どころじゃないです。
はっぴーうれぴーたのぴー! はっぴーうれぴーたのぴー!
――あーあー、まいくてすまいくてす。えー、こほんっ、定時連絡です。
義之君の家族のこととか話せてハッピーです。
あ、勘違いしないでください。別にデートしておきながらこれだけって訳じゃないんです。神様に頂いた今日というチャンス、きちんと生かすです。その腹積もりはありますです。
でも……しあわせですぅ〜。
ちょ、長時間、義之君の傍に居たのであてられたのかもしれません。なんていうか、義之フェロモン的な何か?
摂取しすぎは毒薬なのです、何事も。
ってか、義之フェロモンは少量でも影響力がありすぎるのですよ。私の頭はぽわぽわーんてなっちゃって……
――ぽわぽわーんだとぉっ!?
デパートからの帰り。夕方。夜はまだまだ長い。
雪が降り出していた。雪は冷たい。そして、重い。まるで私が抱く後悔のように。
――お姉ちゃんキャラ、いつからか剥がれちゃってたよぉ。
しかし身体は(本能は?)正直なもので、子供のようにうきうき喜んでいる。ときめいている。
目的とは食い違ってしまっているというのに、もどかしい。……心がそれに引きずられてしまうのも、また然り。
「わっ」
義之君が声をあげたのを機に、私は脳内反省会から意識を浮上させた。同時、決意する。
――反省してる場合ではない。次の目的地は、映画館であるのだぞ。
恋愛ものを観る、といえば目に涙をためる少女にそっとハンカチを差し出す少年の純愛ストーリーが定番。それか、観賞内容は右から左に流しつつ、そっと手を重ねる男女。
――はっぴぃうれぴぃたのぴぃぃ!! はっぴぃうれぴぃたのぴぃぃ!!
この日を用意してくれた神様に感謝を。
「すごい人の量」
「……」
――このラッシュを用意してくれた神様に刑罰を。刑の名は【朝美ちゃんアポカリプスアルテマ・ノヴァ気合≪煉獄≫】で決定である。名からして、なんか格好良いよね! 神様なんて処刑台に上がるだけで失禁さ!
――私は、ハッと思い至る。もしかしたらこれは神様からの贈り物なのでは、と。
今回のラッシュは、お勤め帰りのサラリーマン方や学生による帰宅ラッシュ≠ネるものではない。なんたって今日は日曜日だ。クリスマスであることも影響して、外出にきた人がわんさかイパーイなのだろう。……むむぅ、私の心の声に苛立ちが見え隠れしている。これではまた神様を処刑しそうになってしまう。違う、違うのだ。感謝しているのだ。なぜなら――
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脳内シミュレーション〜戯曲風〜
私「い、いつの間にか義之君が隣に居ないわ。どこ!? あなたは一体どこにいってしまったの!?(嘆く)」
義之君「僕はいつから一人に……。我が運命のプリンセス、あさみちゅぁ〜んは何処へ!?(嘆く)」
私「よ、義之様!(闇雲に進む中、ばったり再会する。ぎゅっと抱きつく)」
義之君「おお、我が愛しの人! なんという運命だ! 僕らは運命の赤い糸によって引き寄せられたんだ!(ぎゅっと抱きつく)」
私 「義之様!(は)」
義之君「あさみちゅぁん!(っ)」
私 「義之様!(ぴ)」
義之君「あさみちゅぁん!(ー)」
私 「義之様!(え)」
義之君「あさみちゅぁん!(ん)」
私 「義之様!(ど)」
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ハッピーエンドだぁ。はっぴーうれぴーたのぴーエンドだぁ。うひひ、うへへ〜♪
私は早速、神様のくれたこの機会を生かすことにする。そっと歩調を遅め、人混みに消えるのだ。『突然のことに離れ離れになってしまう二人』までのシチュ再現である。
しかし、離れすぎては『鉢合わせする』が実現不可能となってしまう。義之君の背中が一回りほど小さくなる程度で、開ける彼我距離は良いだろう――
「なっ!?」
と思っていたら、二人を分断するようにラッシュが割り込んできた。同時私は、進行方向を真横に変更される。
おぼつかない足取りでは、バランスを保つことで精一杯。ラッシュに抗うなど到底不可能。
義之君の姿は人波に掻き消え、私たちはほんとうに離れ離れになってしまう。
「まずっ……」
私は焦る。
ひとまずこのラッシュにのり、バランスを確保。後に、ゆるやかに抗って離脱を試みる。焦る、といっておきながら算段はすぐに構築された。
だが、
「まずいぃぃぃぃ!」
離脱に手間取りすぎて、背景が一変してしまった。クリスマスっぽく華やかに彩られていた街、ではなく寂れた人気の無い住宅街。あるといえばバス停くらい。
繁華街の端っこにでも、流されてしまったか。急いで、逆流の道筋を駆け辿ろうとする。
――しかし、ちょうど踏み出した片足は、視界にぎりぎり入っていなかった何か≠反射的に避けた。
→すっころぶ。……せいだいに尻餅ついたぁぁぁ! 痛いっ!
私は、じんじん来る痛みを抑え込みながら何か≠ノ目を(というか怒気を)向けた。
「あぅ……ご、ごめんなさい」
私の足が傍に振り下ろされて怖かったのか、今の私の双眸が怖いのか、怯えの色を瞳に帯びた金髪碧眼の少女。それが何か≠フ正体である。
視界にぎりぎり入らなかったのには、訳がある。体育座りなみにうずくまっていたのだ。
そうして何をしていたかは、解せない。彼女の手元がまるで掘られたかのように雪が少なかったり、彼女の付ける手袋が雪まみれだったりするが。
「ほ、ほら、皆が転んじゃうから」
――予想通り、地面に積もった雪を手袋を付けた手で取り除いていっていたらしい。自白させるほどなのか、私の視線の凄み。
人通りが多い今、たしかに足元に注意がいかない者は多かろう。しかし、彼女が優しさを振りまく必要はない。
「馬鹿じゃないの」
第一、他人に何かを与えたいのならまず自分をどうにかすべきだろう。サンタ服じみた可愛い衣装も、はらはら降りしきる雪を浴びて、台無しである。肩も、寒さでぷるぷる震えている。このままでは彼女は、風邪をひく。
「無駄になるよ」
そうまで無理をして、方法が方法だけに、結局何にもならない。……茫然とするのを通り越して、悲惨に思わされる。
みじめだ。もっと頭を使うべきだ。いろいろ罵声が思い浮かぶが、彼女の真っ直ぐな瞳がそれらを喉に詰まらせた。
「うん、そうだね」
彼女は一度、淡く微笑んで見せた。ただ、それだけ。そして彼女は、何も無かったかのように再び作業にもどる。
雪に爪をたて、掻き毟る。……白が取り除かれた路面には、すぐに雪が乗る。
彼女は必死になって、そんな無駄な作業をし続ける。
そんな彼女の様子を眺めていて、私はふと我に返る。私には、探し人がいるのだ。こんなところで立ち止まっていてはいけない。
しかし、足は動かない。
――義之君を探さねばならない。けれど、この少女を見捨てていいだろうか?
「火事場のスーパー……マックスアルティメットギガメガパワー!」
私は自らのマフラーをはずし、エキスパンダーで練習するがごとくぐいぐい引っ張る。
するとどうなるか。言うまでもないが、マフラーはよれよれになって伸びた。辺に対して長辺が比較的長い長方形をした厚手の布が、四辺が同じになるくらいに。
乱れた息を整え、私は彼女に目を向ける。「め、目、目がぁ、ギラーンて、ギラーンてぇ!?」何に怯えているんだろう。
「これでも敷いときなさい。今度からは、もっと頭使えよな!」
「――あ、ありがとう。すっごくお綺麗な人、さん」
兎も角、レスキュー完了。私は文句も吐き捨てて、義之君を捜索しにいった。
――い、いつの間にか義之君が隣に居ないわ。どこ!? あなたは一体どこにいってしまったの!?(嘆く)
夜。デートの時間は終わり。
待ち合わせ場所と同じ場所。オブジェが光を発していて、まるでクリスマスツリーの代用品みたい。
自身の口蓋から漏れた白い煙が、風に靡く。義之君は私の右側の、二歩前に立っていた。
隣同士。でも手は触れていないし、やっぱり遠い。私が望むのは、彼の肩に自分の頭をのせて、彼もその頭を抱いて、なでてくれるような、近い距離。
「――――好きです」
私は義之君に想いを告げた。唐突といえば唐突かもしれない。いつから、とか、どこが、とかも長ったらしく言い募らない。いや、言えなかったのだ。私には、たった一音を言う力しかなかった。
夜風の冷たさが、増した気がする。たぶん、私≠フ大部分を占めていた何かが、たった一音の代償に消え失せてしまったのだろう。その隙間に、夜風が凍みているのだ。
できればその隙間には、とってもとっても暖かい気持ちを填め込みたい。
「――――ごめん」
義之君は言った。私はすぐさま笑顔を取り繕った。いいよ、と言った。ごめんね、とまた言われた。
勇気を出した代償のその隙間からは、亀裂が伸び、全部が全部音をたてて崩れてしまった。平凡で赤くない、けれど義之君と私に繋がって糸も。義之君から伝わる、常温の感情も。
義之君の後姿を見送る。その後、泣き出しそうになった。私を暖めるものは何もかも無くなってしまって、夜風が私を冷やしていく。温もりが欲しかった。温もりが愛おしかった。今なら、どんな温もりにでもすがれる気がした。一音で始まった世界が、あまりにも真冬で、救いようがなくて。
「あ! あ、あのー、すっごくお綺麗な人さん!!」
しかし、どこまでも絶望していくというわけではなかった。悲しみに暮れる私に、神様は藁を残した。藁……金髪碧眼の少女は、私とこの場所で出会ったことに愉快になっているようだ。
嬉しいようで、呪わしい。私は、元気なく笑う。もしかしたらその笑みは、引き攣るどころじゃなく、おかしいものだったかもしれない。
けれど、少女はそんな私の様子を気に留めない。ほんのり赤く頬を染め、瞳を潤める。告白する直前の恋し乙女のよう。
「初めて会ったとき、格好良い人だなぁって惹かれて! 優しい人なんだとも解って、好きになりました! つ、付き合ってください!」
「は……?」
まるで、というものではなく、まさにそうなのであった。
私は動揺する。とりあえず深呼吸する。ひっひっふぅー、ひっひっふぅー。よぉし、良い子産むぞ☆
いや違う、そうではない。ええと、とりあえず簡潔に纏めると『少女が現れて、好きですと伝えてくる』でいいのだろうか? え、同性愛? ヤバいぞ、冒頭で注意するの忘れたぞ。台本読まずにアドリブしたのが、まさかこんな形で悲劇を生むだなんて。ごめんなさい作者さん、今度からはちゃんと暗記します。よぉし、なんか無駄にコメディ調で落ち着いてきた! おけ、話を戻す。
私は驚いた。戸惑った。しかし、彼女の瞳に真っ直ぐ見つめられると、全部が全部些細なことに思えた。
今ここにあるもの、それが終わった世界の果てにある景色。
私の前には少女が立っていた。感情ばかりが先走って不器用、けれど清楚≠セ。私にあればいいのに。何が彼女を、清く彩るのだろう。淡く輝いて見守る月のように、控え目に佇む金色の髪だろうか。ゆるやかに世界を包む海すらも、彼女に味方しているような気がした。これでは、私では勝てる見込みが無い。
「ジャメ・デゥ・ソン・トロア」
「……え、な、何? ご、ごめんなさい。ボク、まだ小学生で、英語はわからないの」
「フランスのことわざだよ。日本に伝承してきたものでね、偶然私の守備範囲だったんだ。ちなみに高校でも習いはしないので、悔いる必要はない。けど、君は爆弾発言を飄々と言ってのけるね」
二度あることは三度ある、むしろ、あった。そして三度目は、"必然"や"運命"などと表現されることがある。事象のシュヴァルツシルト半径などという理論的なことは、私もよく知らない。だが"運命"の甘美な響きは、ときに人を狂わせる。
――ヤケになってもいた、かもしれない。
しかし、バス停でのこととか、良い印象は確かにあった。
それか、始まりの一音を否定される悔しさや悲しさを知っているから、同情したのかもしれない。
――私はイエスと答えた。
ぽっかり空いた隙間にはいちおう何かが填め込まれ、亀裂は止んだ。壊れるのが止まれば、前を向くことも、前に進むこともできるようになる。
私は、一音で始まった世界を見た。
終わった世界の果てに道が続いていく。……まるで魔法がかかっているかのようなその道を、私は歩き始めた。
魔法が解ければどんな景色を観ることになるのか、全く解らない。けれど、どん底に向かうよりかはマシだとか計略していた。そして、
純粋無垢で優しいこの少女の隣でなら、魔法が解けた後の景色がどんな地獄であったとしても、怯えずにすむ。……そんなときめきが、体の内に流れ込んできていた。
やがて少女が私のことを少年だと思っていたのだと知ることになる。
そして、私が少女だと思っていた彼女が、実は少年だったと判明もする。
しかしそれらは、また別のお話……。
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