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2007年6月9〜10日
会津 只見川支流支沢「あそこ」
メンバー:malmaさん、たかさん、
      日本吸盤協会 怪長、副怪長、常無、銭無(岩國)
写真  :副怪長


あそこツアーというのは、私の源流遊びにのめり込んだ原点である。西暦2000年、ネット上で意気投合した釣り仲間の合同釣行が企画され、私は誘われるまま参加した。管理釣り場や、漁協の放流河川でしか釣りをしたことが無かった私にとって人生を変えるイベントだったと言っても過言ではない。

6月だというのに、まだ残っている雪、ブナ林の中の細い杣道、足を踏み外せば命の保証の無い急傾斜のスラブ、広河原から忽然と現れるゴルジュ、悠々と泳ぐ大岩魚、そして巨大な雪渓。

想像を絶する光景の連続で、なにもかにも感動的だった。翌年もツアーの下見に現渓道楽のMセンと共に「あそこ」へ連れて行ってもらった。あれから6年、色々な源流部へと足を運ぶようになり、「あそこ」で経験したことは、特別な事では無いことが分かっても、「あそこ」は私にとって、特別な存在であり続けた。もう一度見てみたいという思いは、年々強くなっていた。そして、私だけのある目的があった。


■蘇る記憶

今年のあそこツアーは当初、吸盤メンバーとたかさんという前回よりもさらに少ない予定だったが、移動中にmalmaさんから参加の嬉しい連絡を貰い、第一回参加メンバー8人中6人が参加という何か当時を思い出させるメンバー構成になった。

今回は全員で「あそこ」に入渓する事に決定。6人で沢というと多い気もするが、釣りだけが目的というメンバーではない。わいわい行くのも面白いのだ。

楽しい会話をしながら、のんびりとワラビ畑の中を通り、ブナ林の中へと踏み込んでいく。6年前と同じ景色が広がっている。あのときは楽しい気持ちと裏腹に一体どこまで歩くのだろうと不安だったことを思い出す。渓沿いの道になると小気味よい流れの音が響いてくる。小一時間も歩いて渓へと降り立つ。降り立った広河原は渇水でよけいに広く見える。記憶にある太い流れとは全く別物に見えた。

しばらく歩くと、見覚えのある流れが・・・あの時の光景が蘇る。
「あそこでMセン、ココでオレが釣ったんだよね?」
怪長と副怪長がにこやかに頷き、当時の様子を語ってくれる。今見てる景色は渇水し、当時とは違うがそれでも、昨日のことの様に脳裏で映像化できる。確か8寸ぐらいだったと思うが、子供の様に興奮して喜んでいた。あの頃、渓では怪長や副怪長は大人で私は子供の様なものだった。実年齢は逆なんだけどさ(苦笑)


■渓の遊び

渓の遊びというのは、釣りや山菜採りに象徴される。山野草や綺麗な景色が目的の場合もあるだろうが、釣り屋と称する人種はとにかく、魚釣りがメインだから釣り屋なのだ。しかし今回は渇水で釣りはイマイチ、山菜も時期ハズレになってしまい多くの収穫を望めない。普通なら、さっさと見切りをつけ、街に降りて一杯というパターンが多いだろうが、私は渓歩きが楽しい。変な話だが、例え竿を出さなくても、山菜を採らなくても、最近は沢を歩いているだけでも満足してしまう。

副怪長の号令が木霊する。

「吸盤協会はこっち!」

釣れないときのヘツリ遊びの始まりだ。右岸左岸を見て、より難しい方を行くのが吸盤流渓の遊び方。かつて、渓の忍者と呼ばれたmalmaさんも、ここ数年、色々と忙しくて殆ど渓に行けなく、今年も初釣行ということで、我々の遊びに参加して勘を取り戻そうとしている。最初は少々手こずっていたが、体に染みついた渓歩きテクニックはすぐに蘇った。たかさんは、数多くの銘渓秘境を体験している猛者だが、遡行に関してはどちらかというと巻き派。まあ水トレみたいなものなので、結構楽しんでいるようだ。
(写真:ヘツリを楽しむたかさんと常無)

思えば、あの頃はヘツリも滝登りも怖くてしょうがなかった。足を支えてもらい、ロープを出して貰い、最後には手で引っ張り上げて貰うことの連続。本当に怖かった。そんな足手まといになる私を、友人達は気にするそぶりもなく源流へ連れて行ってくれた。最初はとても嬉しかったが、徐々に人の助けを借りなければ行けない自分が嫌になってきた。皆がフリーで行けるところは、自分もフリーで行きたい。経験と技術がものをいう世界で、そう簡単にフリーで行ける様になるわけがないし、熟練者に助けて貰い、教えて貰いながら遡行術は向上するものと分かりながらも、無い物ねだりのガキみたいな気持ちだけが心を支配していった。

2002年、私は故郷に戻ったのをきっかけに、地元の小さな沢で渓歩きの練習をした。2年ぐらいは釣行というより、遡行練習という明確な目的で沢に通っていた。クライミング教室にも行った。やっと、ここ2〜3年は、皆がフリーで行けるところは、自分もなんとかフリーでついていける程度になった。まだまだ、皆のレベルには達していないが、今まで連れて行ってもらったあそこ界隈の沢は、ほとんどフリーで遡行できるようになった。

残っていたのは、本家「あそこ」だった。第一回のとき、怖くてすくんでしまった所があり、常無の手助けでやっと渡った場所、通称「神様ポイント」。本当は「神様ポイント」を制覇することが、今回の私の隠された目的だったが、そこに到達する前に遡行は終了してしまった。上流に行くに従い、岩魚も釣れ始め、全員が型モノ(7寸以上)を拝む事ができ、宴会の刺身用の岩魚もゲットしたからである。

「神様ポイント」は制覇し損ねたが、別の場所の初めての難所をオンサイトでこなしたので、まあいいかなと(密かに自己満足)残るは、ヌメリ沢のザイールの滝だけだ(笑)私を源流の虜にした「あそこ」をしっかりと目に焼き付けて渓に別れを告げた。

【完】


■おまけ・・・宴会エピソード

たかさんのレポートでおおよそは紹介されていますが、もうちょい詳細をご紹介。
宴会メニューは弟子希望さん差し入れの巨大ステーキ(感謝!)、岩魚のお造り、山菜の天ぷら、これ以上のご馳走はありません。

岩魚をさばいていたとき、不吉な会話が聞こえてきた。
「これ、厚いから、時間かかるよね、先に焼こうよ」
怪長が、いきなり分厚いステーキを全部炭火に並べ始めた。なにゅ〜ん?案の定、炭火に大量の油が滴り落ち、炭火は一気に燃え上がる。時既に遅し!(爆)皆、巨大な炎に包まれるステーキをみて、

「おおぉ〜!すげ〜!これぞ、男の料理!ワイルド〜!!」

と喜んでいる。お、お、お前ら〜!!炭火焼きステーキじゃなくてステーキ炭にする気か!大体、ステーキなんてすぐ火が通るのよ!

「もう、火が通ってるよ!!ミディアムレアじゃないと〜あ”〜折角のステーキが台無しになる!その肉こっちよこしなさい!他はもう火から外して!!」

フレンチのシェフは、カッカしながら、焼けすぎていないことを祈りつつステーキにナイフを入れた。ぎりぎりミディアムに焼けていた(ホッとするフレンチのシェフ(笑))もちろんお味も素材の良さと炭火焼きということで、文句無し!弟子希望さん、ごちそうさまでした!(^o^)

ステーキ狂想曲が終わり、いよいよ、天ぷら部長たかさんの出番である(写真)。たかさんの天ぷらの揚げ方は本当に上手い。サクっと仕上がっている。たかさんに代わって、常無様が初めて天ぷらにトライ。嬉しそうに天ぷらを揚げる。お味は・・・・・想像にお任せします(爆)周りの料理人のうるさいこと、うるさいこと。

「温度低すぎ!」
「ころも付けすぎ!」
「いっぺんに入れちゃうから、温度下がっちゃうんだよ!」

とにかく、わ〜わ〜大騒ぎの宴会でした。