| TPPの真の目的
TPPに関して政府はあまり情報を公開しない。それ以上に急いでいるように見える。あるいは急がされているように見える。その理由は、TPPには単なる関税撤廃以上の理由があるからであり、その理由とは、その真の目的が安全保障にあるからだろう。 中国は、ベトナムからのフランス軍撤退と同時に西沙諸島の東半分を占領し、アメリカ軍撤退と同時に同諸島の西半分も占領した。今年に入ると同国の調査船を追い返し、漁船にも威嚇射撃を加えた。その後で軍のトップが来て「われわれは平和を望んでいる。2カ国だけで話し合おう」と提案してきた。フィリッピンに対しても同様の手口を使った。それに対して周辺諸国が危機感を覚えるのは当然であり、米国を取り込んでそれに対抗しようとするのも当然だろう。米国にとって、TPPは、それが批准されたとしても小麦、トウモロコシ、柑橘類ぐらいしか日本に売るものはないし、インチ規格のものをもってきても仕方がない。その米国も農業においてはニュージーランドやオーストラリアに怯えている。それでも進めるというのは別の目的があるからだろう。 2011/12 |
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地域の美化は地域で 最近、道路の中央分離帯における雑草の野放しがよく指摘されているが、ついこの間もこういう光景を見た。ハイビスカスや街路樹が植えられていた歩道の土の部分をアスファルトで敷き戻そうとしていたのだ。工事発注者である県側には維持管理の予算がないからという理由もあろうが、しかしそれはよく聞かされる常套文句であり、そこには仕事に対する意欲や創意工夫が見られない。ただ右から左へと数字を流し処理しているだけのように思える。民間であれば、予算がなければ地域の区長さんにでも会って、ボランティアや月一の美化運動を促すだろうし、そのときの費用も申し出るだろうからだ。 しかしとはいえ、その問題は地域側にも問題がないとはいえない。自分たちの住んでいる街をきれいにすることは当然であり、何でも役所にやってもらうことは市民であることへの棄権だ。雑草取りをすることは公共道徳の涵養につながり、行政の監視にもつながる。民が主人で公は僕であるという民主主義の原点の明確化にもつながるものだ。首里の崎山の通りはそういう意味ですばらしい。2011/11 |
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原発の単価は高い? 原発の単価が安いということで失笑を買ったようだが、言葉足らずであった。「経産省によると」という一言をやはり付け加えるべきだった(OECDの比較も経産省に近い)。単価計算はどの費目を入れるかだが、電源三法交付金4000億円の原価算入というのは安全性がらみであり、フランスのような安全性に自信をもつ国であれば、かなり少額になるだろうし、強制立ち退きが簡単な中国であればまったく問題にならないだろう。さらに原発受入自治体への補助額は親が子へ毎月小遣いをあげるようなようものであり、ドライブに行くときのガソリン代とは違う。また、エネルギー安全保障という側面を考慮すると、会計上は資産にさえ計上できるかもしれない。第一次、二次世界大戦の要因となった石油資源の争奪に影響されず、エネルギー資源の多様化を図ることは国策としてはまともであり、つなぎの目途も立ってないのに総発電量の基礎部分の約30%を担うそれを直ちに廃止することは暴論だろう。津波による悲惨な状態と原発事故による被害も同一視すべきでない。津波は天災だが、原発事故は責任者も会見で述べていたように、人災であり、防げるものであった。防げてもそれはだめだというのであればそれは感情論であり、大げさに言えば、国民感情に押し切られて英米に宣戦布告したことと同じ轍を踏むことになる。段階的な縮小が望ましい。 2011/08 |
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| 嘘には二種類
鳩山元総理の嘘が非難されているが、しかし、嘘には二種類ある。一つは最初からその目的でつく嘘であり、それはペテン師のつく嘘である。二つ目は結果的にそうなったという嘘であり、元総理の嘘はそれに属する。考えてみると結果嘘は誰にでもついた覚えがあるのではないだろうか。できると思ってできなかったことはよくあるはずだ。統計によれば、当県は離婚率日本一であるが(結婚せずに別れたのも含めるともっと高い)それはそれだけ後ろつき嘘をついた人が多いということだろう。もし嘘をついたことがないという人がいるのであればそれは簡単なことしか約束しなかったからなのだろう。超えられそうもないノルマを与えられた営業マンが“次はクリアします”と言ってできなかったからといってその人を嘘つき呼ばわりする人は少ない。 2011/06 |
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| ひよわなプラス思考
世界的なシェアをもつ、ある中小企業の社長が「自分の会社は根暗の人を採用している」。「100個の中から99個の良品を製造した場合、それを喜ぶよりも1個の不良品を出したことに注意が向くようでないと我々はやっていけないからだ」と述べていた。 それからすると、今回の大震災で、原発の制御はうまくいっているから心配ないと言い続けて結果的に大きな損害をもたらしたことについて考えざるをえない。2,3日後にはすでにメルトダウンが起きていたのだが、国民に不安を与えたくないという一心から心配がないと言い続け、それがあだになった。というのも最初からメルトダウンを想定して発表していたならは対処の仕方も自ずから変わっていたはずだからだ。楽観的な展望を抱きながらも常に最悪の事態を想定し、それに対するシナリオができていることが経営に携わった人であれば当然の心得だ。それを政府は明るいシナリオだけを描き続けて手痛い失敗を招いた。アマチュアリズムは他人をも大いに不幸にしてしまうものだ。 2011/06 |
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餅や餅屋に 原子力保安院の人たちのほとんどが文科系だという。荒神のような凄まじい破壊力を示す原子力の安全性を管理する人たちが専門外の人間だったとは驚きだ。東京電力の歴代の社長もほとんどが文科系だ。厳しい競争環境に置かれている電機通信系のメーカーでトップが文科系であることは例外的で、生産や安全管理のトップとなる工場長となると当然理科系だ。高度に専門性が要求される厳しい分野におけるトップはその道に通じた人を選ぶべきだろう。たとえどんなに人格的には優れていようと、見識の広い人であろうと、専門家を鼓舞し、モチベーションを上げられるのは専門家しかいない。素人からはどんなにほめられてもそれほど高揚しないからだ。また、専門性のない人が犯す大きな過ちも防げるがゆえに許されない。贋物のダリ作品購入で大失態を演じた関係者がその道のプロでないどころか、初歩のステップさえ踏んでなかったことが分かったのもついこの前だ。県出資のトロピカルテクノセンターも同様に専門性のある人を役員にすべきだろう。
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海なんかないほうがいい 今回、震災に遭った老女の語った言葉である。その人にとって海とは恐ろしいもの以外の何ものでもないだろう。海といえば沖縄だが、今年は海を全面に立てた観光宣伝は控えたほうがいいのではないだろうか。観光にとって大事なことは好感度であるからだ。そういう意味において、いま県が被災に遭った人たちを安い費用で沖縄に迎えようと主導してることは実に適切だと思う。 ところで、今回の原発事故の最大の要因は非常用電源が海水に浸されて動かなくなったことだが、臨海の同一敷地内に非常用装置を備えるということ自体がおかしい。一度稼働したら止まらず、ひたすら冷却するしかない、このシステムの非常用電源は原発から少し離れたところか、小高い所に設置するべきだ。あるいは、さらに予備機を置いて、すぐ取り替えられるようにしなければならない。6年前にはM
9.3のスマトラ島沖地震による津波のせいで20万人以上の死者が出たというのにそれが本当に想定外だったのだろうか。それは何の対策も考えてこなかったことへの逃げ口上ではないだろうか。 2011 03 11 |
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高速道路有料化希望? 2/11の本紙社説を見て驚いた。何の説明もなく、県が国に対して高速道路無料化を返上したというのだ。たしかに無料高速道路には問題が多い。まず規則違反やマナーの悪さだ。一般道路と同じ感覚で割り込んでくるし、追い越しルールや最低制限速度が分からない車が目立つ。だが、これらのことに対して県ははたして十分な周知活動をしてきただろうか。酒気運転防止のような取り組みをしてきただろうか。高速道路上の交通規則やマナーを再認識させる看板やポスター、パンフレットを見たことはない。おそらく追い越しが終わり、元の通行線に戻ることができても追越車線をそのまま通行しつづけると通行帯違反になることや、最低速度に達しないと速度違反で罰則が課せられることを知らない人は意外と多いのではないか。料金ゲート前の渋滞についてはゲートそのものを撤去すればいいことだし、手を打たないでただ悪くなった点だけを取り上げて判断するのは短絡的だろう。なぜ半額なのか。1/3や1/4ではダメなのかも分からない。 2011 02 11
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“ナイチャー”のひびき 沖縄に憧れを抱いて住みつくようになった内地の人には沖縄の閉鎖性に失望させられる人が多いようだ。いつまでたってもナイチャーと言われ続け、差別的に映る。ナイチャーという言葉は英語のアメリカン、メキシカンに相当し、本当は必ずしも悪意を伴うものではない。現に私は与那原に住んでいるからヨナバラーであるし、那覇に住んでいる人はナーファーだ。他の地域に住んでいる人を差別的に蔑称することはどの地域にあることだろう。たしかに沖縄における他地域蔑称と“ナイチャー”とは少し趣が異なり(沖縄人は原日本人を構成する有力な一部であり、言葉も言語学的には本土方言に対置し、一地方方言ではない)、薩摩支配を含めて本土側に虐げられてきたことに由来しているかもしれない。だとすると、多少の偏見や蔑視があったとしても、それはやむを得ないことであり、むしろそれを民俗的多様性表現の一つとして楽しんだほうがいいのではないか。そのとき、沖縄方言の一つでも喋ってやったら心の鎧は解かれるだろう。 2011 01 24
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再び「首長の首の向き」 知事の防衛相との会見がTVで放送されていた。知事は「これはあなた方の問題だから、そう言われても困る」といったようなことを呆れ顔で話していた。私は首をかしげた。自らのことなのに何を言っているのだろうかと。そこで題名の平良氏の投書を見て、改めて、折りよく連載されている本誌の「呪縛の行方」を注意深く読んで、何となく知事の言っていることが分かったような気がした。しかしベストはこうだということが分かっておればあくまでその追求をすべきであり、その最終判断は向こうに預けるべきだ。その方が、ずるくはあるが、ベストというものだ。それはともかく、リーダーたるものは現状をよく皆に知らしめ、己の考えていることを明確に発信すべきであろう。またその義務がある。にもかかわらず、民主党議員の質問に対して「こちらに責任を持たされても困る。これはあなた方の大臣(の問題)ですよ」とすねるようでは、もはや問題解決の胆力なしと見なさなければならないかもしれない。 *10/7日の平良悦美氏の 「首長の首の向き」への感想です2010 03 10 |
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犠牲と法律 ある週刊誌にこういう記事があった。真夜中の田舎で信号が赤になった。その時、止まるか、それとも無視して通るかという問に対して、フランス人は大方、無視するが、日本人は止まるということだった。法律に対する考え方の違いで、フランスは革命によって人権を勝ち取った国で、法律は自分たちが作ったものだという意識が強いが、日本人の場合は、それは偉い人達が作ったものだから、畏れ多いものだという認識に依っているのだろう。憲法が戦後一度も変えられていないことにも通じる。 今、問題になっている尖閣諸島衝突ビデオ公開の是非について、それは法律で定められているのだから絶対にいけないことだとテレビでのインタービューでいう人たちは常識人かもしれないが、しかし、犠牲という価値の尊さを見失っている。その最上たるものは命を失うことであり、キリストの犠牲はその価値を永遠ならしめている。遵法精神を説く人よりも、犠牲を覚悟してそれを破る人のほうが遥かにそれについてよく考えている。 2010 11 13 |
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ノーベル賞の取れない大国 建国60年になり、世界中の5人に一人は中国人で、また論文数も世界2位というのに、なぜか中国はノーベル賞を一人も出さない(中国籍でない中国人の受賞者数は9人)。その理由について面白い記事があった。 2010 10 15 |
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外交力は世論の支持力 「言うことを聞け、さもなければ何が起きてもそれはお前の責任だ」といった、子供でも言わないような無茶なことを言う国があるが、それに日本は折れた。その背景には、地元の人でさえ軍事管理区域だということが認識しえてないところでビデオを撮ったということで逮捕された4人の日本人への安全の考慮が裏にあった。つまり、威信や国益よりも人一人の命が大事だということである。その論理に疑問を提示する評論家や議員やマスコミはいない。それでは政府に毅然とした外交をせよと期待するほうが無理だろう。戦うということは(必ずしも武力を用いることではない)、内からのサポートなしにはできないからだ。加えて、日本国民としての義務には納税と教育と勤労だけがあり、国を守ることは入っていない。それでは兵役の義務を憲法で課している国に本気で立ち向かうというのが無理だ。日本国憲法は気高すぎる。だが、それは沖縄への過重な基地負担という犠牲にの上に立ってのことである。 2010 09 28 |
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軽妙な「夏子」さん これほど感動した自己紹介は覚えがない。7月2日の落ち葉欄に載った文章のことである。これまでは障害者というと、何となく身構える思いで接してきたが、筆者である「いぜな なつこ」さんがそれは間違いであることを教えてくれた。障害をもっていても、これほど積極的な生き方ができるのだということを教えてくれたのだ。むしろ、そうであることに快感を覚え、それを楽しんでいるようにさえ見受けられた。生きるということの幅広さに目が開かされる思いがした。文章のセンスはいいし、タッチも軽妙だ。 世の中を見わたしたとき、生まれながらにしてハンディを背負った人や、辛い環境で生きている人たちはそう少なくない。そのような人たちにとって、この「夏子」さんのコラムは大きな励みとなるだろうし、どんな教育者や宗教家でもなかなかなしえない、希望を与えるということをなしとげてくれるにちがいない。これからも掲載を楽しみにしています。 2010 07 02 |
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県民大会の見せ方 100M以上も並んだバス。後から後から続いてやってくる参加者。そして9万人以上となった群集は壮観であり、その数は関ヶ原の戦いの東軍、西軍の数にも匹敵する。その集まりを見て胸の高鳴りを覚えない政治家はいないであろう(珍しく知事の口調にも高揚感が見えた)。ただ残念なことが二つある。一つは集まりの見せ方である。木陰には全体の1/10ぐらいの人がいて、上空から見ると、それらの人は見えない。大会のスタッフの方にもそれを伝え、分かっていると言ったが、結局、テロップのようなアナウンスが簡単に流されただけで、それで人が動くことはなかった。そこまで高校生司会者に望むことは無理で、全体を監督するプロデューサーの気配りが必要であった(最後にやっても取材ヘリはいない)。人の間隔についても工夫すれば会場が埋め尽くされたように見せることはできたはずだ。二つ目は共通の自然環境と文化環境をもつ徳之島との連携である。苦しみを兄弟に負わせることはできない。 2010 04 27 |
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憂鬱な選挙の季節 選挙が近づくにつれて宣伝カーの音がうるさくなる。集中して何かをしている人や勉強をしている人や子供たちもいるはずなのにそれを中断させるような行為が議員になろうとしている人には許されると思っているのだろうか。自分たちは特別な存在だと思っているのだろうか。米ではもちろん、那覇でもすでに途絶えて久しいが、与那原町では未だに選挙のたびに宣伝カーががなりまくっている。そうすることによって浮動票はかえって逃げていくかもしれないのに。そんなことをするよりも訴える方法はまだあるはずだ。もちろん政治を身近なものにしていくことは大いに賛成だし、議論もしたい。しかし彼らはそういうことには無頓着で、選挙のときだけ「がんばります」を連呼する。在任中にどれだけ多くの人の意見を吸い上げたか、情報を提供したかを訴えればもの言わずとも最強の宣伝になると思われるのに。また週一でもボランティア活動をすればもっと訴えられるのに 2010 03 |
![]() この写真は借り物です |
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沖縄の北方二島返還要求 3月9日の論壇に「沖永良部、与論を沖縄州へ」という投稿があった。まさにその通りだと思う。その二島はどう見ても沖縄そのものであり、それも古き、良き沖縄だ。徳之島に行くと少しばかりは赴きが異なってくるが(それでも国頭村そのもの)、この二島に関しては完全に沖縄だ。生活環境においても、休みになれば、名瀬市や鹿児島市にではなく、那覇市のほうに近いことから遊びや買い物や病院に行くという(因みに沖永良部の飲み屋には沖縄の人が意外と多い)。そこで提案をしたい。沖縄の色々な催しものにはその二島の方々もオブザーバーでいいから参加させてほしい。行政区分や国土というのは住んでいる人々の心情とは必ずしも一致せず、強権的に決められたものだ。それゆえに悲惨さを今でも生み続けている。私たちにはこの世で生きていることを自ら祝福する権利がある。創造原理が造ったのは個々であり、国や県ではない、したがって、沖縄の北方二島も沖縄に戻ることを強く要求する。 2010 03 19 |
![]() 与論島 ![]() 沖永良部島 |
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高層建築は精神的貧困の象徴 高層建築が立ち並ぶニューヨークや香港の街と十階建ぐらいに制限されたヨーロッパの街とではどちらが美しく、住みたいと思うだろうか。それは後者のほうだろう。イスタンブールの街にもモスクの尖塔を越える建築物はなく、首里より低いちょっとした丘に登ればすぐすべてのモスクの尖塔が眺め渡せるほどだ。パリの建物も軒並み低く、一つだけ突出して町全体の景観を損なっている。景観というのは全体で作り出すものであり、いわば公共財産だ。海や山などの景勝地も同様だ。南部の島に飛びぬけて高い建物があるが奇異な感じを与える。シルクロードの主たる町々にも高層物の建築ラッシュは及んできているようで(半分は塩漬け)、チベットのラサも半分が中国人によって不釣合いな建物が造り続けられている。北京の胡同という古い町並みは情緒のある所だがそれも壊され、高層建築物に建て替えらている。高層建築イコール発展の象徴だといわんばかりに。 2008 04 28 |
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