基地問題は沖縄自身の問題

一昔前に比べて本土のマスコミの基地問題に関する捉え方は、かなり実情を捉えはじめている。2週間ほど前に見た深夜のBS朝日放送では辺野古の人たちの基地移設に対する考え方がよく捉えられていた。もう飽き飽きしているというのだ。1戸当たり1億5千万円の補償を求めるという話しも出ていた。沖縄の基地問題はすでに足元を見透かされている。地元が意見を一致させないようでは解決の糸口は見出せない。一義的にいえば、それは沖縄自身の問題であり、いかなる権力であれ、望まれぬことを強いることはできない。そのときに一番大事なことはどうしたら沖縄が自立できるかだが、それは必ずしも経済発展に訴えることを意味しない。そのような施策は必ずや天井問題に突き当たるからだ。そこで一つの提案としては、どれくらいの人口が適当なのかということが挙げられてよい。戦前の沖縄では今のように多額な基地や補助金なしでもやっていけたからだ。奄美でも現在はそうだ。

2010 04 12

   
     

 

ダライ・ラマは古のブッダの再来

 

 普通、偉い宗教家といえば重々しい動作と口調で話しかけるといったイメージを抱きがちだが、師にはまったくそれがない。実に明るく、機転が利いて、とても冗談が上手だ。師はこう述べた。「私の所に興味本意や、疑いをもって来る人は歓迎だ。だが、超能力やヒーリングパワーを期待して来る人は失望するだろう。というのは、私は去年、胆石の手術を病院で受け、私が特別な力をもってないことが科学によって証明されたからだ」。「私はこの地球上の人間の60億分の1にすぎない」。キリストのような超能力を発揮することもなく、空とかあの世といった超現実のことを説くこともなく、ただ苦とは何かをすべての人に説き続けてそれから救おうとした原始仏典のブッダを彷彿させる現実感漂う人間ダライ・ダマだった。ただ基地問題については質問が拙かったのだが、独裁国家の脅威という一般論に終わったのは残念だった。極端な集中性こそが問題の本質だったのだが。

2009 11 08 

 
 



 

“食材”という語感

ショクザイ!何という無機質な言葉だろうか。辞典にそれに該当する言葉はなく、英語にもFood Ingredient(成分)しかない。インターネットで調べると、その言葉が使われだして20年ぐらいしかたってなく、それも業界用語(食材管理)だったという(本来なら料理のためだから料《理》材というべきだろう)。

 しかし、それにしても食べものは単なる材料なのだろうか。材料には肥料に使う窒素、カリウムなどがあるが、それが摂取できるものは植物だけであり、それ以外の生物はそれを一次生産者として連鎖的に食い合って生きている。つまり、命を奪いあって生きている。そうであれば、食べるという行為には畏れが伴われるべきであり、ただ物を食っていると思ってはならないだろう。彼らがどんな所で生まれ、生きてきたのかも思うべきであり、それに思いが及んだとき彼らも成仏でき、それを食する側も生きていることの意味が深く感じられるというものだろう。

2008 05 18