| はじめに 1998年9月、夏休みを利用してインドとネパールを旅行した.というより、最初はインドだけのつもりだったが、現地に来てからネパールまで足を延ばすことになった.何せ、準備としてはデリー往復の航空券しか買ってなく、自由だったからだ. さて、行けば何とかなるだろうと高をくくって行ったのだが、インドという国はそれを許すほど簡単な国ではなかった.日本人の常識をはるかに越え、テレビや雑誌で見知っていたあの哲学的で神秘の微笑みを浮かべた国ではなかった.見たかぎりにおいて、すべての人が生き延びることに必死であったからだ.それに比べると.日本という国全体が思いやりと優しさに溢れ、天国とはまさにこのような所ではないかと思えたほどだ.異国で一人旅をして常に不安の中にいたからなおさらそう思えたのかもしれない. ところで、いきなり他の国の悪い面ばかりを述べてしまったが、もちろんいいところがないわけではない.それは、まず、恵まれた社会においては、とかく見失われがちな生きることへの原始的執着である.その旺盛さはとかく舌を巻くほどで、遠慮がちではにかみがちな多くの日本人にとって、見習わなければならないところかもしれない.大人から子供まで、あるいは極貧の中に喘ぐものから不具に至るまで実に堂々と自己主張をして生きているのだ.彼らからみると、日本人の美学としての侍の切腹なんて、ひ弱さの最たるものかもしれない.そこには落ち込んでいる人など一人としていない.肥満児もいない.不良らしい子供もいない.学校へ登下校する子供たちはみな生き生きとしている.教室で学ぶ態度尾も真剣で誇らしげだ.おそらく登校拒否をする生徒などは一人もいないだろう.彼らにとって学校で学ぶということは特権であり、恵まれたことであるからだ.それに比べると、日本の子供たちのほうがむしろ不幸せであり、哀れむべきかもしれない.社会も天国の装いを凝らした地獄なのかもしれない. インドは半端なところではなかった.それがわかったのも、この旅行が個人旅行であったからである.もし、どこに行くにも予め何でも用意されていて、安心で楽しいという企画もののツアーに参加していたら、こうは思わなかっただろう. 9月10日(木) 9万8千円で買ったソウル経由ニューデリー往復の切符だけを手にして、飛行場に向かった.ソウルの天候が悪いということで4時間遅れでやっと14:00に出発した.約1時間半ほどでソウルの金宝国際空港に到着した.意外と早かった.薄曇りではあったが、それほど天候が悪いといえるほどのものではなかった. 第一印象としては、国全体がどんよりして沈み、空気も光りも沖縄とは大分違う感じがした(天気のせいだったのかもしれないが).しかし、飛行機から見た韓国は遙か遠くまでうねうねとした山々が続き、それは確かに大陸の突端なのだと思わせるのに十分だった. 空港の中には日本人らしき人々がかなり見かけられた.よくしゃべるのですぐそれと分かった.韓国の人達はどちらかというと無表情であり、笑顔があまり見られなかった. 夜10時ごろになってやっと出発した.機内には意外とインド人が多く見られた.彼らはターバンを巻き、見事な髭を生やしたシン族がほとんどであった.家族連れのようであり、アメリカからの帰国のようであった. 9月11日(金) 空港から約5時間半かかってニューデリーに到着した.韓国時間では午前4時、現地時間で午前1時であった(時差3時間).もちろんホテルは予約していないから誰も向かえに来ない.沖縄の旅行社で予約すると1泊2,3万円もしたからだが、なにしろ航空券以外は何も予約してなかったのだ.格安航空券はさすがに不便で深夜にしか到着しない. さて、どうしようかと思い悩み、ビルを出ると、ホテル関係者らしき人が大勢待ち構えていた.客引きをしている.うっかり話に乗ると、深夜にどこに連れていかれるかわからないからということと、彼らの形相が日本人から見ると柔和には見えないということもあって朝までビル内で待つことにした.待合室は、普通は搭乗待ち客だけしか入れないところだったが、素知らぬ顔をして警備員の前を通り、中へ入った(インドでは警備員でも長い銃をもっていて物騒だった.兵士も緊急でもないのに汽車の中に銃をもって乗り込んできたりする).中に入ると大勢の人が広いロビーの床上で毛布をひいて寝ころがっている.(そういう光景を駅の中でも何度も見た.彼らはどこにいても布切れを床に敷いて寝れる特技をもっているようだ.).ビルの中は、冷房されて快適ではあるものの、天井の壁は所々破れ落ち、土産品店もなく、コーヒーショップが2,3開いているだけだった.そこが本当にこの国の顔としての空港なのかと疑われるほどであった. 朝までは6時間もある、だが退屈はしなかった.沖縄にいたら気が狂うほどだったかもしれないが、しかしここに来たらどこも行くところがないし、それに使いきれないほどの長い時間が待ち構えていたからだ.そのためにその時間を過ごすのにそれほど苦痛ではなく、むしろ、ここがインドなのかという感慨にふけることができて良かったとさえ思った.実際、人々の動きを見ているだけでも興味深かったからだ. 6時になってようやく空が白々と明るくなってきた.窓から外を眺めると、大気はもやもやとした感じで薄汚れており、太陽も薄汚れて見えた.きっと、大陸の砂埃や塵が大気中に浮遊しているからなのだろう。まるで肉食の妖怪が赤い舌を出して舌なめずりしながら下界を見ているようであった.本当に、比喩ではなく、生きているという感じがした。太陽に対して、そのようなリアルに「生きている」という感じがしたのはこれが初めてで驚きであった.しかしながら見方を変えて、よくよく見ると、それは諸々の清浄なるものと、不浄なるものとを内に抱え、生きているものを見守っている悲母のようにも見えた.それは父ではなく、まさに母の姿であった.すべてのものを平等に優しく包み込む母なのだ. この広大な台地には多くの生命が息づいている。太陽はその命を育む偉大なる母だ.その姿は澄みきった光りを放ちながら昇る沖縄の太陽とは大きく異なり、薄汚れ、哀しさに彩られてはいるが、しかし、その下には何億という人と動物と植物とが生活し、太陽の恵みを頼りに生きている.それに比べると、沖縄の太陽は、たしかにクリアであり、美しいにはちがいないが、しかし、いかにも天に浮かんだよく磨かれたブリキのオブジェにも似ていて、何となく薄っぺらなようにも思えた. タクシーを拾って、デリーの駅へ行こうと思い、ビルの周りを歩いていると、タクシー切符を売る場所があった.係りの人に「New Dehli Station」と英語でいったがどうも通じなかった.相手も同じく「New Dehli ?」と何回か聞き返したようだが、その言葉も聞き取れなかった.後で思い出すと、それは単なる「Dehliデリー」という言葉であったが、その「li」の発音がよく聞き取れなかったのだ.行く先が不安になった.しかし、しばらく話し合っているうちに何とか意味が通じ、切符も買えた.その手渡された切符を見ると、実にお粗末で、行く先と番号が手書きで書かれているだけであった.(この国では有名な観光所の切符も含めて、切符は拍子抜けするくらいに小さく(切手大)簡単なデザインを施しただけだ.) こうして、切符は買えたものの、次に、どうしたらタクシーに乗れるのか戸惑っていると、タクシーに乗せるサービスをしているらしい人が来て、今ここにくるあのタクシーに乗りなさいと親切に案内してくれたので何とかタクシーに無事乗れた.(後で考えるとこの人にもチップをあげるべきだった.この国ではだれが正規のサービス人なのか、個人的なサービスなのかまったくわからない.服装もそこら辺りの人の服装と変わらないし、誰でも、といっても彼らの間では取決めがあるのだろうが、勝手にサービスをしてチップをもらうことができるからだ). さて、タクシーと言われる乗り物が来て、それを見て驚いた.これがタクシーなのかと.それとわかる目立つ色は塗ってないし、タクシーという看板も、何の文字も書かれてない.しかも2〜30年前から走っているのではないかと思えるほど超オンボロの車であったからだ.それが国の表玄関にある車であり、かつメイドイン インドの国産車なのだ.それに乗ってさらに驚いた.内装も、日本では廃車に出す車でさえこれほどひどくはないだろうと思うほどひどいものであったからだ.エンジンの音は高いし、乗り心地もトラックよりもひどい.運転手も日常の服装でサンダル履き、愛想もまったくない. まあ、とにかく何とかタクシーといわれるものにも乗れたのだからそれで良しとして、途中の風景を楽しみにすることにした.道路の舗装具合はあまり良くなく、雨水があちらこちらで溜まっている.周囲には何一つ高いものは見えず、果てのない大地があるだけだ.正真正銘の大陸だ.その大地の真上には先ほどからの小さく、血のようにどす黒い色をした太陽が異様に輝いている.道路沿いには7時前だというのに早、多くの人が活動を始めている.女性のサリー姿がまさにインドにきたという感じを与えてくれた. 約30分ほど乗っていると、何やらすごい人だかりのしている喧騒な場所に着いた.そこがニューデリー駅だという(タクシー代は150ルピーで約500円).まさかと思った.実際、大きな通りがあるわけではないし、回りに大きなビルがあるわけでもなかったからだ.駅といっても小さな2階建てのビルがあるだけだ.日本の田舎町でもこんなオンボルの駅はない.ここが本当に日本でいえば東京駅に相当するニューデリー駅なのかとは、にわかには信じられなかった.しかし近づいて看板を見ると、やはりそこがニューデリー駅のようであった. 車から降りると、1分もたたないうちに旅行案内の客引きがやってきた.どんなに断ってもしぶとくつきまとってくる.それを何とか断り、駅の前に出ると、雑踏の中を人力車が通り、馬車が通り、乞食や不具者が通り、牛や山羊も放し飼いで通っている.しかも放尿があり、汚水が溢れている.交通規制もない.低い土の壁に沿って幾つかのテントが張られており、その中で薄汚れたなりの人達々が生活している.そこはまさに現代から遠く離れた中世が入り混じった世界であり、間違いなく時間的にも空間的にも異国だった.しかも、程よく整理され、清潔な日本の社会に比べるとまさに地獄としかいいようがない所でもあった. とにかく、切符を買わなければと思って駅に戻ると、切符を買う人が15Mくらいの長い列をつくって並んでいた.なかなか前に進まない.これは大変だと思って辺りを見回すと、国際旅行案内局という案内が見つかった.二階に上っていくと、階段にはホームレスなのか、子供が三人階段のコンクリートに顔をつけて寝ていた.コンクリートは冷たかったので、それで涼をとっていたのだろうか.その傍を通って二階に上ると、立派な白髭を生やした老人が「インド国際観光ツーリスト局」という看板を掲げた事務所から出てきた.ひょっとしたらその人はその公的な機関のえらい人なのかもしれないと思って声を掛けると、一緒に来なさいというので後をついて行った.彼はリキシャに声をかけて、運転手に私を案内するように指示した.そこで私ははじめてリキシャといわれる乗り物に乗った.リッチな気分で10分ほど通りを行くと、ある2階建ての建物に着いた.そこには間口の小さい旅行会社があり、そこがインドの代表的な旅行エージェントなのかと不審に思ったが、やはりそうであった.どうも、インドでは会社といっても、日本でイメージするような大きな会社ではなく、個人企業のようなものであった.駅があの程度なのだから、旅行会社もそのようなものであっても仕方がないのだろう.建物に近づくと、その会社の名前は、先ほどの駅の二階にあった公的機関のような名前を冠した名前と同じであった.つまり、それは公的機関ではなく、単なる普通の民間会社だったのだ. 中に入ると、支店長だというまだ30才くらいの立派な口ひげを蓄えた身長1M80 cm以上もあろうかと思われる大柄な人が出てきた.そして、お金の交渉が始まり、値切った末、「デリー → シャイプール → ベナレス → ブッダガヤ → カトマンズ デリー 」16日間の観光クーポンを$1,100(約12万円)で買うことにした.先ほど、駅の前に大勢の人が並び汽車の切符を買うことに怖れをなしていたし、切符の買い方も分からなかったから、そこで妥協した.ここでまとめ買いしたほうが切符やホテルの手配が省けて助かると思ったからだ.それにオファーされたコースと同等のコースを日本の旅行会社のツアーでいくと、その3倍ぐらいは軽くかかったからだ.(しかし、後で他の旅行者に尋ねると、もっと値切られたようであった.しまったと思ったが、しかし、インドに来て最初の交渉だし、仕方がないと思った.それに応対したあの口ひげを生やした鋭い目の大きなインド人に圧倒されたのも事実だが.) しばらく待つと、マヌーという30歳ぐらいの1m60cmくらいの背の低い人が紹介された.彼が運転手だという、その彼の運転する白いインド国産車に乗り、とうとう初めてのインドの観光に出発した. 10分ほどすると、ある壮大な外観をした大寺院に着いた.中に入ると、すぐさま中を説明をするという人が現われた.丁寧に断ったが、それでも彼はしつっこく付きまとってくる.そして、頼みもしないのに説明を行い、最後になって金をくれときた.見物が終わり、寺から出ようとすると、今度は白い髭を生やしてターバンを巻いた老人が来て、靴を靴箱から持ってきたのでそれも金をくれという.この国ではどこまでが公のサービスなのか、それとも勝手な個人的な商売なのかまったくわからない.自分で勝手に縄張りを設け、そこで、そこではいかにもそうすべきなのだというふうな顔をしてサービスをして金を要求する. 寺を出ると、先ほど、断りのつもりで「後で買うから」といっておいた絵葉書売りの少年が私が寺から出るのを目ざとく見つけてやってきた.そして後で買うからといっただろうということでずっと待っていたという.そういわれると論理的に断れなくなったので仕方なく買ってしまった(日本人は律儀だ).半額に値切りはしたが、しかし、それでも5分ほど歩くと、そこで同じものがさらにその半額で売られていた. インドの代表的モニュメント「インドの門」の広場に行った.その広場には二人のかわいらしい兄弟らしき少年がいた.そして、大きな蛇を抱えていた.私を見ると、にこにこととした笑顔で近づいて来て、蛇と一緒に写真をとってもいいよという.それで、一緒に写真を撮ると.何と500Rbくれという.リキシャに乗っても10Rbしかしないのにとんでもないことをいうガキだと思ったが、しかし、それも理がないわけではないので70Rbあげて、足早にそこを立ち去った. 次の予定の寺院に行くと、その入り口には一人の若い日本人の女性が立っていた.一人でインドに来たという.それで彼女と一緒に寺を見物することにした.中に入ると、どこからともなく中年の女の人がスーッと現われ、説明を始めようとした.無視し続けていると、こちらが二人で、しかも女性も一緒だったためか、ようやく諦めて離れて行った. その一緒の日本人の女性は英語があまり上手ではなかった.しかも旅なれた格好もしていない.若くて美人でもあったので、しきりにタクシードライバーが声を掛けてきた.一人で大丈夫かと思ったが、こちらもクーポンを買ってしまっているので変更できない.心配だったが彼女をそこに置いて次の目的に行くことにした. 次は博物館だった.展示物は驚くべきもので、だいだいはAD9−12世紀のものであった.中にはBC2500のモヘンジュダロの腕輪や腰巻のようなものもあり、近づいてよく見ると、とてもあの時代にものとは思えないほど今でも通用するいいセンスをもったものがあった.インドの博物館は自由に展示物に触れることができていい.写真をとることも自由だ.陳列はほとんど無造作であり、剥き出しに近い.そのせいか、その時代の土ぼこりさえ付着しているようなリアルさがあった.展示物は本来そうあるべきだと思った. レストランに入った.大きな店ではなかったが、適当におしゃれで、そのまま日本にもってきても十分に通用するほどであった.(そこがインドに来て最初で最後のセンスのあるいいレストランとなった).ウェイトレスは全員男でみな制服をきていた.羊のカレーを食べた.油っぽくてあまり美味しいとは思えなかった.250Rbもしたからインドではきっと高級な店なのだろうと思った.お客さんも(大部分は中年の女性)裕福そうな人ばかりだった. マヌーが私と一緒に3日間の旅に出るために旅したくをするからということで彼の家に寄った.そこは、先ほどの私がタクシーを降りた駅前で、2階建ての立派な家で、何かの商売をしているようだった.その路地にはいっぱい小さな商店があった.その中には真空管で作られた超年代物の電化製品を売っている店もあった.インドの店は品物の数が少ない.本屋もそうだ.食べ物以外は売るものがあまりないのだろうか. しばらくして彼が準備して出てきた.さあ、白い国産車に乗っていよいよ出発だ. 車の中は暑かったが、しかしクーラーはもちろんない.その車でデリーの市街を出て、国道に出た.道は国道だというのに舗装状態はあまりよくない.縁石も側溝もない.無造作にアスファルトを敷いてあるだけだ.とことどころに穴が開いている.道幅は大きくなく、舗装されてないところに来ると前の車の土ぼこりが舞い上がって飛んでくる.車は多くない.道沿いには貧しい家々や薄汚れた店が点々として散在している.途中で車を止め、店で軽く、スナックやお茶を飲んだ.そこでお茶というのは砂糖が多いミルクティのことで、チャイという.彼にコーラを薦めたがチャイのほうがいいという.(私も後ではずっとチャイだけを飲んだ.そのほう安いということもあるが、たしかに元気になることがわかったからだ)約4時間ほど運転すると、これまでずっと平原であったところに小高い山々が現われてきた.この視界に凹凸を見つけたことで、やっとこれまで何となく変に感じていた空間感覚が正常に戻ってきた.ほどなくして、夕暮れのシャイプールの街に辿り着いた.夕陽がきれいだった.ホテルは3星クラスだった.マヌーはドライバー専用の部屋か、自分の車に泊まっているのか姿を消したが、夜になって彼が訪ねて来て一緒に酒を飲んだ.彼は陽気だったが、自分の娘は病気だと言った(その言葉が後になって利くのだが).彼にビールを勧めたが拒み、携帯してきたウィスキーを飲んだ. |
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(*写真はデリーでのフィルムを無くしたので、代わりに絵葉書からコピーしたものを載せます.。(^^)/~) ![]() ![]() ![]() |
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