And...

ここから先に、少しだけ私の持つ 心の病みについても書こうと思います。
人に言えば 「頭のオカシイ」という烙印がつくのも事実で、
2年以上の付き合いの 主治医にすらもはっきりと自分に起きている
出来事や 想いを伝えられないのです。

だから まずは自分の中でちゃんと整理をして、
受け止めてみようかと思います。
でも家で考えるにしても ボーっとしてしまって考えはまとまらない。
人といる時には 自分のことなんか見ようとも出来ない。

このHPを創った理由は 自分のなかの腐敗物を嘔吐すること。
もはや綺麗な言葉で飾る隙間もないほどに 
私は汚いし、壊れてもいます。
それでも、私に生を望んでくれる人がいるから
私も 行けるところまで 歩いて 生きたい。

ここから先は 自己整理のような場所です。
酷く不快な気分にさせてしまうかもしれませんし
フラッシュバック の可能性も もしかしたら
あるかもしれません。

晒して 何が救われるのかは解かりませんが・・・。
ここは私の場所であり、ウェブ上という公共の場所でもあります。
選択はあなたがなさってください。

★ Sea-la ★










〜 ココロの闇*はじめに 〜

最初に 現在一番妥当だと診断されている障害名を挙げておきます。

解離性同一性障害 というものです。

旧名の多重人格障害のほうが 解かりやすいのでしょうか。

けれど この多重人格、という名前やイメージは、自分に現在起こっている事実と
 
まったく違うものでした。

だから これからは 最初に書いた障害名で説明をしていくつもりです。



私には難しい定義の知識はあまりないですが 

詳しい説明はTOPのMental illnessにまとめてみました。

簡潔に言うと 自分でも気がつかない間に

精神の中にまったくの他人が生まれていた というものです。

そして、発症に気がついたのが 記憶のない間に起こる

リストカット(腕を切る行為)だったんです。

それ以前には意識したことはありませんでしたが、現在

「喪失している 過去」というものが多数あることに気がつき始めています。



実は私よりも精神内の他人格(ヒダカ)のほうが

断然この障害について詳しかったりもします。

その人の話も 後ほど少しだけさせていただきますね。



 

*通院遍歴*


● 1999 5月  記憶のまったくないリストカットが始まる。

それが頻繁に起こるようになる。

● 2000 2月  自殺未遂。リストカットによるもの。当然ながら死なず。  

約一週間後 自分から近所の精神科クリニックへ。
親には何も言わずに 学校帰りに行ってみた。

色々な薬を処方してもらう。一回の診断は15分ほど。

● 2000 5月  腕を切る時以外にも 大幅な時間のズレ(喪失)があることに気づき始める。

学校生活 日常。 どちらも忙しい中 どこかぼんやりとしていた。


● 2000 6月  クリニックに行かなくなる。

効いてると思えなかったので 処方された薬も飲まずにいたら かなりの量が溜まっていた。


診断名として有力なのは 境界性人格障害とされた。
同時に多重人格障害である可能性もある、と。(カウンセラーへの紹介文より)

● 2000 8月  自殺未遂。安定剤 抗鬱剤 睡眠薬を大量服薬。(と言っても30錠ほど)

丸一日意識喪失。2日目に目を覚ますが 恐ろしい副作用が出る。


その時に運ばれたのはT大学病院。

● 同月  その大学病院の精神科に通うことに決まる。
当時の主治医は現在の人とは違う人だった。

自殺未遂の日から 精神上に今までは見えなかったものが
はっきりと見えるようになった。


● 2000 9・10月  壊れてでも やらなければならないと思っていたことがあったので
壊れながらも学校生活を続けた。

そして無事に終幕を迎える。

このころから 人間関係に対しての不安定さが増す。
大事な人を たくさん 傷つけた。

● 2000 11月  7日。  学校でリストカット。死のうと思った。

しかし発見されて失敗。  

● 9日。  他人格が自殺未遂。  私に限界が来て、眠りにつく。

精神内での眠り。体の意識を所有しなくなる。

● 2000  12月  学校側に入院を勧められる。卒業を条件で合意。

(11月9日以降は 私ではなく 代理の人間が私として行動していました。)

● 同月  入院。T大学病院の精神科病棟。主治医が代わる。

年の瀬が迫った ある日。代理だった子(R・A)
がロールシャッハテストの際に錯乱。
「私」 の起床。

●2001 1月  丸一ヶ月で退院。入院ではあまり良い結果は
得られないことが解かる。

入院時に主治医だった先生と 外来治療を進める方向に決まる。


● 2001 2月  決まっていた就職を 諦める。

● 2001 3月  ココロから悲しい記念日だった。同級生と嘆いた。(卒業式)

結局誰も 私のことなど気には止めていないのだから 
私も全て断ち切ってやろうと考える。

3年間 全てを投げ打って育ててきたものたちを 捨てる。
そして 驚いたことに 半分以上を本当に健忘する。
(捨てた人たちの顔や名前 出来事など)

● 2001 4・5・6・7・8・9月  ただ 何となく 生きる。

生きていたような気がする程度に 生きていた。

記憶の喪失は 多く 長くなっていく。
しかし精神内の人たちとのコミュニケーションも取れるようになる。
その中の一人の提案で 交換ノートのようなものを作成。

以前から 私の記憶にない間にリストカットしていた人間が
縫合が必要なほどの傷をつけるようになる。

● 2001 10月  希望の職だった 花屋のバイトを始める。
予想以上にハードである。
しかし、この仕事についてから
仕事中だけは意識をしっかりと保有できる確信が出来る。

しかし 記憶消失のリストカットは続く。深夜に運ばれる日が月に1,2度。

● 2002年 1月  長期休みで油断した際に 再び縫合傷を負う。

仕事での人間関係に 憂鬱になる。
同時に、自己否定が激しくなり 日に日に追い詰まっていくのが解かった。
けれど どうしても仕事は続けたかった。

● 2002年 2月  6日。ふとウェブ上の日記を思い出し 
再開してみる。12月に1日書いただけだった。

憂鬱がつのり 死を決意する。  

● 9日。  バイトをクビになる。

でも 薄々解かっていたので あまり動じなかった。泣いたけど。

● 12日。 火曜日。この日に死ぬことを固く決めていたので

日記を見て止めてくれようとした人を振り切って決行する。
しかし 失敗する。

● 13日。 水曜日。  意識は回復したが 絶望で一杯だった

● 14日。 木曜日。  2度目の決行。しかしこれも失敗する。

もう 虚しいだけだった。


その後の精神科受診の際、 主治医に「近いうちに死ぬ」ことを伝える。
しかし 生きるために薬をじっくり選んで決めようとしたりもする。

●同月 暮れ  2度目のカウンセリングを始める。前とは別のカウンセラーさん。

しかし結局カウンセリングは無しで 診察のみでの治療を続けることに決定。


● 2002年 4月  約一年と少し 今の主治医さんとお話しをした結果、

治療の方針として
DIDにおける他人格との「統合」は 考えずに 自然に流れるのを見つつ
困難を解決していくということになった。

●同月  交代人格の一人が 自分への肉体的虐待を思い出す。

父親からの軽い暴力 それから精神的な混乱を招く言動の繰り返し行為。
私はまったく覚えていないです。

●2002年6月  新しいアルバイトを始める。

期待とは反対に店長の性格の裏表の激しさに怯えてしまった。
他人格(M2)とバイトを分担してやっていたら
病名も知らない店長に M2は明るい 私は暗い。といった比べ方をされ
ショックを受ける。

●2002年8月  今の彼様とのお付き合いが始まる。

●2002年11月  一緒に始めた親友と共にバイトを辞める。

●2003年5月 主人格(毎日のほとんどを過ごす人格)ではなくなり、時間が減る。


交代人格ヒダカが主人格になり、毎日の生活をこなしてくれている。

●2003年9月 新しい病院へと移転。障害者年金申請の準備。






私には 本当に障害についての認識、というか知識のようなものがほとんどありませんでした。

少し前 テレビで放送された DID(解離性同一性障害)の番組を見ようとして、

発作のようなものを起こしてしまい、同時に 他人格が目を覚まし自殺未遂を起こしたので

この障害について 自分から関わることに恐怖を感じてしまったのです。

ここで こんな風にHPを開いて 自分の事をさらけ出してしまうのも

ある意味 ものすごい賭けのように感じます。

でも 生きるなら 生きるで、そらし続けてはいけない事だと思い

こういう場を開くことで、自分の決意としました。



冒頭に書きました 私よりも この障害に詳しい人格、ですが
私は 交代人格、という名前を知ってますし 意味も理解しています。

けれど みんな、本当に「人」で、人格というだけの存在で
括ってしまうのが酷いことのように思えます。

だから、この先も極力使いたくないです。

解かりづらい表現になることも多くなってしまうかも ですが

少しだけ ご理解くださいね・・・★☆★


その 障害について詳しく勉強してくれた
ヒダカという人格のおかげで
自分にとって訳が解からないだけだったことも 
少しずつ解かるようになりました。

私が 発作を起こさない程度に、ちょっとづつ
説明してくれました。(良い人やぁ(>×<))

そして、同時にお医者さんと
どうやって治していこうかなぁ
と悩んでいる最中です。


ヒダカは治すという前に、

「私達にとって 何が「完治」なのかを探して行こう。」
と言っています。

私には 最後にみんなが一つになる
統合というものしか浮かばなかったのですが

それ以外にも 共存していくという形もあるようです。

私にはまだ到底 彼らの存在権を握る勇気も資格もないので
どうしようかは まったく決まっていません。


これから 時間をかけて、まっすぐ起き上がれるようになりたいのですが

私は、すぐ うずくまってしまいます。

死んじゃおうか・・・と考えることも
日に日に増えていきます。

もっと しっかりしなくちゃいけないと
解かっているのですが、辛くなります。


もしも ここを見てくれている方が いらっしゃったならば

どうか どうか、長い目で見てやってください。

付き合えきれずに 離れて行ってしまうなら
それも仕方がないです。

大事な人を たくさん壊してきて

それが一番辛いことだと気がついているので

耐えられなかったら 離れてくださいね・・・★


私信になってしまったかも

でも これから出会っていく方にも 同じお願いをします。

私と一緒に壊れてしまうなんて 
あなたがもったいないですから。



私が障害と向き合うために 学んできた(独学ですが)知識を 
メインコンテンツにしました。

間違ったことがないかどうか どこまで人に伝わるのか
とても心配ではありますけれど  
これも前進に捕えて行きたいと思ってます。



ホムペを立ち上げてから数ヶ月。
何度かの自殺未遂も経て それでも生きてきました。

これからも 「私」が更新されていくこと。・・・ちっちゃな願いです(^人^)ヾ


God bless you★ Sea-la ★

In 2002 3・19→2002 5・24→2002 11・25→2002 12・7




† お付き合いありがとうございました †