余話・愛用品と… | ||
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詩をこよなく愛し、 若山牧水の「幾山河…」の場所が、 岡山県新見市哲西町二本松峠であることを、 慧夫人とともに足で突き止めた。 本田実の指摘で、 峠に「幾山河…」の歌碑が 1964年11月に建立されている。 幾山河 こえさりゆかば さびしさの はてなむ國ぞ けふも旅ゆく 牧水 |
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歌 碑 の 説 明 文 | ||
若山牧水の「幾山河…」の歌は、「中国を巡りて」と題し、歌集「海の声」「別離」などに発表され、多くの人々に愛誦されてきた。 明治40年7月、早稲田大学の学生であった牧水は、夏休みに郷里日向(宮崎県)への帰途、同学の学友であり、同じ尾上柴舟の門下で、特に親しかった有本芳水にすすめられ、岡山、高梁、新見、宮島、山口と中国を旅した。 このとき備中から備後へ越えようとして、峠にゆき暮れ、茶屋に泊り、「けふもまたこころの鉦をうち鳴らし うち鳴らしつつあくがれて行く」の歌と、「幾山河…」の歌二首をしたためて、芳水に宛て送ったという。 牧水が泊った峠の茶屋が、この二本松峠の熊谷屋(安達氏)であることが、倉敷天文台の本田実氏によって確かめられた。 昭和38年哲西町に建設委員会を設け、全国有志の協力を得て、翌年11月、熊谷屋々敷跡へこの歌碑を建設した。 石材は尼子氏の富田城址月山のある出雲(島根県)広瀬町の花こう岩、文字は牧水が大正10年伊豆で書いたもの。 この峠道は、昔は陣場の往来がしげく、熊谷屋はよい休息所であった。江戸時代には、国境に御番所がおかれていた。 昭和5年芸備線が開通し、旧道はさびれ、茶店はなくなった。 旧哲西町教育委員会と、旧哲西町自然と文化の保護協議会による |
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愛用していた 毛糸のベレー帽 |
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手びねりの 愛くるしい土仏 |
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すばる 昴 群れて かがやく 蛍に 似たり |
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観測の合間に奏でた 手作りの横笛。 |
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趣味の陶芸作品。 |
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星 それは空にあるもの 心にあるもの そして自ら 輝くもの 本田 実 |
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星に守られて この庵にいく年 植えずして野の花は四季をかざり 育てずして虫は昼夜奏でる 朝を東の窓に迎へ 夕月の西の窓にかかるを送る 夜半中天の星を仰ぎ 一笛をしめらせて 想いをふるさとにおく 本田 実 |
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愛用品などは 原澄治・本田実記念館 にあります。 (記念館は、倉敷天文台構内=倉敷市中央2丁目19-10) 開館日は、毎週の月、水、金曜日の午後1時〜5時(祝日はのぞく) |
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