宮中では、優雅に舞楽が催される中、藤壷が皇子を出産。表面は自分の弟で、実は自分の子。そしてつぎの帝(冷泉帝)となるべき運命をもって生まれてきたわけで、これほど重大な秘密はありません。
源氏はさらに、兄朱雀帝に入内が決まっている「朧月夜」にも手を出し、これがのちの源氏失脚の発端にもなります。
手当たりしだいの源氏に、苦悩がしのびよってきます。

  • 「紅葉賀」・・・「藤壷」の皇子出産。(のちの冷泉帝)藤壷の苦悩。
  • 「花宴」・・・「朧月夜」との密会。これがのちの源氏失脚の発端に。


もみじのが
この巻で、はじめて舞楽が登場します。
当時の王朝貴族たちの娯楽は、歌をかわしたり、漢詩を吟じたり、舞楽などの芸事や蹴鞠など、優雅なものだったようです。
この巻に出てくる源氏の舞う「青海波(せいがいは)」は、今でも演じられる名の知られた舞楽だそうです。
源氏はこの青海波を、藤壷との息詰まるような秘めたる恋を背景に、異常な高まりの中で舞い、人々を圧倒します。

やがて、藤壷が不義の子を出産して中宮となり、源氏も昇進して、華麗に物語が進展します。




紅葉の美しいころ、朱雀院で桐壷帝の父の長寿を祝う遠賀が行われました。
それに先立って桐壷帝は、身重で当日出席できない藤壷のために、清涼殿の前庭で試楽を行いました。
そこで源氏は、青海波を舞い、人々の絶賛をあびます。藤壷も、複雑な心境ながら夢心地でその舞姿に見入り、感動します。
御賀の当日、源氏の舞いは更に輝きを増し、その賞として正三位に昇進し、めでたく盛儀がおわります。
藤壷が里帰りしたので、源氏が会いにいきますが、代わりに兄で若紫の父でもある兵部卿宮と対面します。
兵部卿宮は、源氏を婿とも知らずに快く思い、うちとけますが、結局藤壷とは会えずに空しく帰ります。
源氏と葵の上との関係は、若紫のことがもとで、一層うとくなり、それがかえって源氏を若紫から離れがたいものにしていきます。当の若紫は、無邪気に雛遊びに余念がありません。
年があけて源氏19歳になります。
12月とされていた藤壷の出産は、おくれにおくれ、物の怪のせいではないかと人々が噂するなか、ようやく2月10日すぎ、皇子を出産します。
源氏に生き写しのこの罪の子の出生に、生きた心地もしない藤壷ですが、弘徽殿女御が呪わしいことを言っていることを耳にし、かえって強く生きることを決意します。そして、対面を求める源氏を、藤壷はこれまでにない強さで拒みます。

4月、参内した母子を迎えて、何も知らない帝は、この上なく皇子をいつくしまれ、源氏を、その母の身分ゆえに臣下に下した負い目もあり、この皇子は、皇太子に立てようと考えます。
藤壷との逢瀬はもはや願うべくもなく、若紫だけが慰めとなり、藤壷のかけがえもない形代となっていきました。

7月、藤壷は、弘徽殿女御を越えて中宮となり、源氏も宰相となります。

  • 桐壷帝のやさしい一面がでています。
    桐壷帝は、二番目の皇子の源氏を、そのたぐい稀な美質から、皇太子に立てたいと思っていたが、母の「更衣」という身分ゆえに断念し、やむなく臣下に下しますが、それをずっと負い目に感じていたのです。
    当時、皇太子の条件として、后腹(きさきばら=母を皇后に持つこと)でなければならず、源氏は更衣腹だったのです。
    そこで桐壷帝は、藤壷との間の皇子を、皇太子にすべく、世間の常識をこえ、弘徽殿女御をさしおいてまで、藤壷を中宮(皇后にあたる)に立て、その子の後見を重くしたのです。
    それほどまでに桐壷帝は、源氏を愛し、そして今又、源氏にうりふたつの皇子を愛したのです。


・・・・・ほんの少し、雰囲気を。

・源氏、青海波を舞う

源氏の中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。片手には大殿の頭の中将、容貌用意人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。入り方の日影さやかにさしたるに、楽の声まさり、もののおもしろきほどに、同じ舞の足踏面持、世に見えぬさまなり。

源氏の中将は、青海波をお舞いになったのであった。その相手方には、左大臣家の頭中将が、もとより顔だちといい心配りといい人よりすぐれているのだが、源氏の君と立ち並んでは、やはり桜の花のかたわらの、深山木同然である。 入り方の陽の光が鮮やかに射している折から、楽の音がいちだんと美しく響いて、興もたけなわのころ、同じ舞いでも源氏の君の足拍子や面持ちはこの世のものと思われない様子である。

日本古典文学全集「源氏物語」(小学館)より



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