えあわせ

源氏31歳。「澪標」の巻で、六条御息所の遺児「斎宮」を、冷泉帝の後宮に入内させる計画をたてましたが、この巻は、その延長線です。
よきライバルである光源氏と頭の中将(現権中納言)ですが、頭の中将の娘(すでに入内して弘徽殿女御)と、源氏が送り込んだ斎宮とが、帝の寵愛をめぐるあらそいとなり、絵合(えあわせ)という宮中行事で競うこととなります。
そして、それがそのまま源氏と頭の中将との権勢争いに連なっています。



六条御息所の娘、斎宮は、源氏の思わくどおりに彼の養女として、冷泉帝の後宮に入内しました。
冷泉帝には、すでに権中納言(頭の中将)の娘が入内していたため、この斎宮の女御と帝の寵愛を二分することになります。
冷泉帝は、しばらくは先に入内していた弘徽殿女御の方に寵が傾いていましたが、そのうち、絵の上手な斎宮の女御に心が移ってきました。
これに対抗して、権中納言は、絵師を集め、贅を尽くして絵を描かせ、弘徽殿女御のもとに贈ります。
源氏も、秘蔵のものをとりそろえ、藤壷の御前で、二人の女御が左右にわかれて物語絵合を試むこととなりました。
しかし優劣つけがたく、あらためてこの絵合は、帝の前で、公式の宮中行事として行われることとなりました。
当日は、美々しい催しとなり、いずれ劣らぬ名品そろいで、判定がつかず、いよいよ最後の一番になった時、源氏の須磨の日記絵が出品されて、斎宮女御方の勝ちとなります。
そのことによって、斎宮女御が、後宮随一の存在となり、源氏の権勢も、権中納言方を圧倒して、強固なものとなります。
その時点で源氏は、心中省みるところがあって、懸案の事柄の落着を機に、出家の念が萌し、嵯峨の山里に勤行のための御堂を建てます。

源氏は、何を考えはじめられたのでしょうか。
  • 王朝貴族たちの娯楽は、典雅で悠久の趣があったと言われています。
    たとえば、歌をかわしたり、漢詩を吟じたりの文芸的なものから、歌謡や奏楽などの芸事、香(薫物)や絵などをお互いに出し合って、どちらが優れているかを競い合う「絵合」、そして、競馬・蹴鞠(けまり)といったスポーツ系など、さまざまな娯楽があったようです。
    この巻では、その「絵合」が、男たちの覇権争いに利用されています。



・・・・・ほんの少し、雰囲気を。

・ 源氏、出家を考える

大臣ぞ、なほ常なきものに世を思して、今すこしおとなびおはしますと見たてまつりて、なほ世を背きなんと、深く思ほすべかめる。「昔のためしを見聞くにも、齢足らで官位高くのぼり、世に抜けぬる人の、長くえ保たぬわざなりけり。この御世には、身のほどおぼえ過ぎにたり。中ごろなきになりて沈みたりし愁へにかはりて、今までもながらふるなり。今より後の栄えはなほ命うしろめたし。静かに籠りゐて、後の世のことをつとめ、かつは齢をも述べん」

しかし、大臣は、やはり世の中を無常なものにお思いになって、「帝がもう少し大人におなりあそばすのをお見届けしてから、やはりこの世をのがれて出家しよう」と深くお考えになっていらっしゃるようである。
「昔の例を見聞きするにつけても、年若くして高位高官にのぼり、世に抜きんでてしまった人は、とても長寿を保つことはできなかったものだ。この御代では、自分は官位も人望もすでにわが身の程に過ぎたものになってしまっている。中途で生きる空もなく沈りんしていた愁えの代わりとして、これまでも生きながらえていられるのだ。いまよりのちの栄えは、やはり命が気がかりである。静かにひきこもっていて、後世のための勤行をし、一つには齢を延ばすことにしよう」

日本古典文学全集「源氏物語」(小学館)より



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