自ら招いたあやまちで、源氏はその一生でもっともわびしかった須磨での生活を始めることになりました。
右大臣の陰謀から逃れ、静かにすべてを時の流れにまかせよう・・・と、自分から進んで身を引く決心をしたのです。
しかし、須磨に行くということは、罪人として都を追放されたと受け取られても仕方ありません。

ここでも源氏は「明石の君」という女性をつくり、子供まで産ませています。

  • 「須磨」・・・政情激変。須磨へ退去。はじめて味わう挫折感。
  • 「明石」・・・明石の君との出会い。2年半後許されて都に戻る。


すま

身の置き所を失った源氏の須磨退去。自ら選んだ道とはいえ、日ごとわびしさがつのり、それをまぎらわすように、京にいる女君たちと歌の文通を繰り返しながら精進の日々をすごします。
この巻には、その多重の和歌が挿入されています。

巻末の荒れ狂う風雨や、奇怪な夢は、新たな局面を予想させます。




源氏26才から27才。事態はますます険悪となり、このまま京にいたのでは政界から完全に放逐されかねないと、自主的に須磨への退去を決意します。
それにつけても気がかりなのは、他にたよる人のない紫の上を、ひとり京に残して行かねばならないこと。
源氏は、左大臣家と花散里、朧月夜らに別れを告げ、わずかな供人をつれ、都を去ります。
須磨の住居は、在原行平の伝説で名高いあたりで、腹心の人々の心つかいによる風流な構えで、よく整えられていました。
しかし、語り合う人とてなく、紫の上、藤壷の宮、朧月夜、左大臣家の人々、伊勢の六条御息所、花散里らと消息を交わすことによって、わずかに慰められていました。
京では、朧月夜内侍が参内を許され、朱雀帝の寵を受けていましたが、やはり源氏のことが忘れられません。
秋がきて、須磨のわび住まいはあわれもひとしおで、源氏は琴をひき、絵を描き、和歌を詠み、精進の日々をすごします。
都では、月日がたつにつれ、帝をはじめ人々が源氏を惜しみ懐かしく思い出しますが、弘徽殿大后の意向をはばかって都からの便りも途絶え、須磨の冬がやるせなく過ぎていきます。
一方、源氏の血続きでもある、明石入道が、源氏の噂を聞き、最愛の娘を源氏に奉りたいと願っています。

春になり、今は帝相になっているライバル「頭の中将」がある日はるばる都から源氏をなぐさめにきて、一日をすごします。
三月はじめの巳の日。源氏は、或る人のすすすめもあって、海辺で開運の祓えをさせていました。
海辺はうららかに一面凪いで、源氏は過去のこと将来のことなどを次々に思い出していました。
そのうち、不思議なことに、にわかに空がまっくらとなり、暴風雨となり、雷が鳴り、稲妻がひかり・・・生きた心地もなく、ほうほうの体で戻ります。
風雨は一晩中吹き荒れ、明け方源氏は、怪しい夢におびやかされます。何やら気味わるく、急にこの地を去りたいと思い始めます。


  • 源氏の須磨退去は、罪をおかしたからというわけではありません。朧月夜との密会が発覚したものの、彼女はまだ正式な帝の妃ではないので、それが理由で罪にはならないはずです。
    源氏は、右大臣側から無実の謀反の罪に陥れられるのをおそれて、自ら須磨の地に退去したというわけです。
    しかし、神はそれを許さなかったのでしょうか。巻末のはげしい風雨や雷は、神の源氏に対する怒りそのもののような感じがします。



・・・・・ほんの少し、雰囲気を。

・冒頭の部分

世の中いとわづらはしく、はしたなきことのみまされば、せめて知らず顔にあり経ても、これよりまさることもやと思しなりぬ。
かの須磨は、昔こそ人の住み処などもありけれ、今はいと里ばなれ心すごくて、海人の家だにまれになど聞きたまへど、人しげく、ひたたけたらむ住まひは、いと本意なかるべし、さりとて、都を遠ざからんも、古里おぼつかなるべきを、人わるくぞ思し乱るる。

世の中が、源氏の君にとってまことにわずらわしく、居心地の悪いことばかり多くなってゆくので、自分では、しいてそしらぬ顔で日を過ごしていても、あるいはこれ以上のわるい事態になるかもしれない、というお考えにおなりになった。
あの須磨は、昔こそ人の住まいなどもあったけれど、今は全く人里を離れてものさびしく、漁師の家さえもまれであるなどとお聞きになるのであるが、「人の出入りが多く雑然としている所に住むのはまったく本意にもとるであろう。そうかといって都から遠く離れるのも、故郷のことが気がかりであろうし」と、あれこれ体裁がわるいほど思い悩まれるのである。

日本古典文学全集「源氏物語」(小学館)より



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