・・・今と時代感覚が全く違います。

「源氏物語」を読みはじめて、まず面食らったのが、帝とか女御、更衣、中宮、女房、御息所・・・といった名前と、近親者同士が結合し幾重にも広がる系図です。
「女房」というと、今なら「妻」のことですが、物語では召し使いです。
このように、読む前にまず頭に入れておかなければならないことは、今と時代感覚が全く違うことです。この条件の差を理解することが、源氏物語を理解する必要最低条件です。
従って、ここでは物語の舞台背景について、いくつかまとめてみました。

物語の時代背景
  • ときは平安時代。ところは平安京。帝(みかど=天皇)を頂点とした王朝貴族社会が物語の舞台です。
  • 物語の冒頭に、「いつの時代のことであったか・・・・・」と、わざと時代を明示してありませんが、歴史上の醍醐天皇の在位時代(897〜930)にあたるといわれています。
    いまから何と千年以上前の物語です。
貴族社会の生活

1.帝の妃たち
  • この時代の高級貴族は、いわゆる一夫多妻で、とくに帝にはたくさんの妃(きさき)が仕えていました。
  • 帝は、子孫を増やし、絶やさぬことも重要な役割りとされ、妃の数が多いほど帝の権力も強かったのです。
  • 一方、中流や下級貴族は、自分の娘を帝の妃に入れ、その娘が帝の子を産んで外戚になることが夢でした。そのため、妃の数が増え、中には30人位いた帝もあったようです。身がもったのでしょうか。
  • 妃は、父兄の身分勢力によって、女御(にょうご)と更衣(こうい)に分けられており、女御は親王か大臣の娘がなり、更衣は大納言以下の娘がなります。
    その女御の中から皇后(=中宮)が選ばれます。
    皇后は、帝と同列、女御・更衣は臣下で、待遇も権力も格段の差があります。
    皇后には、勢力の強い女御や皇太子の母、帝の母がなります。
  • 帝と妃たちの関係は、昼間は帝が妃たちの部屋に出向き、夜は、帝の指名で妃を寝室へ呼ぶ習わしで、ここに妃たちの間で、われこそはという競争心がわき、嫉妬やいじめが起こっていました。ドロドロした女の執念や情念が目に浮かぶようです。
  • 女御・更衣は、数が多いので、彼女たちの住む御殿の名によって「弘徽殿の女御」とか「桐壷の更衣」と呼んでいます。
    これらの御殿は、帝の住む「清涼殿」に近いほど妃の地位が高くなっています。
    清涼殿に一番ちかいのが「弘徽殿」で、ここに帝の第一皇子を産み、桐壷の更衣を死に追いやった「弘徽殿の女御」が住んでいました。
    ちなみに桐壷の更衣のすんでいた所は、一番遠いところにありました。
    この無力な桐壷の更衣が、帝に一番の寵愛を受けていたわけですから、妃からのいじめも当然だったのです。
  • 御息所(みやすどころ)とは、もともとは帝の寝室のことですが、転じて帝の子を産んだ妃をこうよんでいます。
  • この時代の上級貴族たちの結婚は、夫が自分の家から妻の家に通う、通い婚でスタートし、生活全般を妻の実家が世話をしていました。
    ただし帝の場合だけは、宮中に入れ、「弘徽殿」「桐壷」などに住まわせますが、そこの生活費の大半は女の実家が賄っていました。いわば、宮中に彼女たちの家が出張してきたようなものでした。
2.女房(にょうぼう)
  • 今なら「妻」ですが、当時は、貴族の召使いのことです。
    主人付き、夫人付き、姫付きなどそれぞれの家に何人かの女房がいて、身の回りの世話や応対、手紙の代筆、子供たちの教育などを預かり、女房に人を得ることがその家の重大事となっていました。
    とくに姫君にとっては、手足ともなる存在で、外部にたいして姫の代行者にもなります。
  • 恋の手引きも、女房の得意技で、姫を得ようとする男は、まず女房を味方に引き入れるのが先決だったようです。
    源氏も、女性との出会いに、この女房をうまく使っていました。
    召使いということばのひびきとは大分イメージが違い、重要な役割を演じています。
  • 女房の中で、特別な扱いをされ、勢力もあるのが「乳母」(めのと)です。
3.結婚
  • 上流貴族社会の結婚は、すべて家と家の結合で、権力の保持のための政略結婚でした。
    結婚の条件は、身分が最優先で、年齢もあまり関係なし。男性が元服で結婚する正妻は、年上が常でした。(源氏が12才で元服し、その結婚の相手の「葵の上」は、16才でした)
    従って、いとこ同士、叔父と姪、叔母と甥などの近親結婚も珍しくありませんでした。
  • 当時、女は一家の繁栄をもたらす貴重な宝とされていました。
    最大の夢は、娘を帝のもとへ妃として入れる入内(じゅだい)でした。そしてその娘に皇子誕生ともなれば、将来皇太子、帝になる可能性もある。
    しかし、そのためには帝の寵愛を受けると同時に、実家に強大な身分が必要でした。
    ここに、ドロドロとした妃同士の争いや、男同士の政治が働いていました。(物語でも、源氏は明石の君の姫君を、将来后にするためには、母方の身分の低さがマイナスになるため、家柄の良い紫の上の養女にしています)
4.病と物の怪(もののけ)
  • 源氏物語は、光源氏の生母「桐壷の更衣」の病と死から始まり、その後も全編、病と死の影が深く横たわっています。
    当時、病や死は、「物の怪」が原因と考えられていました。
  • 一夫多妻という男上位の社会の中で、女性は生き方を大きく規制され、嫉妬の苦しみを味あわねばなりませんでした。
    この女の嫉妬、怨念、恨みの蓄積が、魂として体から抜け出し、生き霊となって行動するのが「物の怪」と言われるもので、物語の中で、これが源氏の関係する女性に取り付き、殺したり、出家させたりし、源氏の生涯に暗い不幸をもたらします。
  • 病の治療は、僧侶の祈祷が主で、医者はほとんど出てきません。僧侶を自邸に招き、7日、37日、77日と日数をかけて祈ってもらいます。
    病は気からで、病人の精神力を高めて、回復力をはかっていました。
5.年齢感覚
  • 当時の平均寿命は、現代よりずっと短かったようです。
    当時は、40になれば老人で、「40の賀」といって長寿を祝います。今なら還暦祝いの感覚です。
  • 女の盛りは15才から20才位で、30をすぎればおばあちゃん、40をすぎれば老女でした。
    物語に出てくる女性たちも、ほとんで30代で亡くなっています。
    従って、当時の年齢感覚は、現代とは、少なくとも20年位の差があったと思われます。


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