筑摩書房刊 定価1600円(税別)

吉永春子著

『七三一』 追撃・そのとき幹部たちは・・・



重いテーマだが、救いは「捕り物帳」だった。まるでストーカーさながら、当事者の証言を取ろうと、早朝の自宅に、夕暮の職場に、真摯にして滑稽、張り込んで待つ著者の忍耐に頭がさがった。そうして得られた証言のあまりの貧しさを言うまい。

戦時中、日本陸軍は満州で「特殊な」医療研究を進めていた。その名は「七三一部隊」。医療もまた「軍備」の思想のもと、細菌爆弾や生物兵器の研究開発に、カネと知恵が総動員された。動員されたのは医師たちだった。治療のための医療ではなく、いかに「殺す」かの武器開発だから、実験材料には生きた人間が一番効率がいい。使われたのは「丸太」と呼ばれた中国人だ。日本陸軍、得意の「現地調達」である。

実態の描写は本書に譲るが、生きている人間を、凍らせる、切断する、爆破する、何でもありの「SM工場」だった。「防疫給水部」と看板を偽っても、やっていることは相当「ヤバイ」との自覚があったのだろう。昭和20年8月9日のソ連軍侵攻に際して、幹部たちは真っ先に逃げた。その際、研究成果の本土搬送、「丸太」もろともの建物爆破、そして官僚得意の「資料焼却」を忘れずに行っている。

著者は、TBS報道部にいて、三十年間この問題を追いつづけた。追って楽しいテーマではない。やっても追いかけてくるのは愛国者たちのイヤガラセである。何が、彼女をそうさせたのか。満州引揚げの美しい少女との出会いが暗示的に語られている。父親が「七三一部隊」にいた、その少女の美貌は、父の因業を大地から吸って、花咲いたようだった・・・と想像力をかきたてる。ブンガクならそれでいいが、ことはノンフィクションである。一片の事実を突き止めるのに、気の遠くなるような「張り込み」を要するフィールドを著者は選んでしまった。

日本のノンフィクションがかかえた困難を、一杯に詰め込んだ本である。まず、この国には、自分がした戦争についての原資料が「ない」か、外国にある、という「特殊な」事情がある。そして当事者が口を割らない。それも高齢でどんどん死んでいく。

敗戦の日、東京はもちろん、占領地でも資料焼却の黒煙が空をおおった。陸軍大臣からの「焼け」という電報があったからだ。今から調べようにも資料がない。まるで空洞化した歴史の海を、ノンフィクション作家たちは、すがる木切れもなく泳いでいるのが現状だ。アメリカの資料館に頭を下げて日参する。そうして出来上がった労作も、およそマーケットではペイしない。出版にこぎつければ僥倖である。

本書が幸福そうに見えないのは、その内容が、あまりに深刻な問いかけに満ちているからだ。七三一部隊で何があったのか。その研究成果と引き換えに、アメリカが彼らを免責したのは本当か。12人を毒殺した帝銀事件は彼らの仕業ではないか。ベトナム戦争の枯葉作戦は「七三一」の関与があるらしい・・・。「らしい」に根拠を得ようと、先の捕り物が展開した。そして、こんな会話が、やっと捕まえた当事者と交わされる。

「いつ、七三一部隊に入ったのですか?」「昔のことですから」「何をなさっていたのですか?」「さあ」「いやなことがあったのでしょうね?」「・・・別にねえ、戦争中ですからね」

これが紛れもない当事者の心境である。ここに「日本」がある。本書はノンフィクションの国際規格に合格するだろうか。索引も、出典資料のページもない。証言はあいまいで、先のいくつもの疑問は、遂に突き止められないまま終わっている。情熱は買うが、徒労ではなかったのか? たぶん、ノンフィクションの役目は、犯人探しや、事実の突き止め、ではないのだろう。そこにありありと、その国が現れ、たちこめ、匂っていること。

問題は「七三一」という過去ではない。テレビ局報道部に、もはやこんな執念は跡形もないことを含めて、巨大な過去を忘却して突っ走る日本の「特殊な」現実だ。本書は、その路上に残された小さな「パン粉」の一粒である。