「現代」2000/7 書評
河出書房新社 久能靖著
「浅間山荘事件の真実」
その昔、反体制過激派と警察機動隊が武力衝突した時代があった。そのフィナーレが一九七二年「あさま山荘事件」であり、本書はその興奮を再現した。
雪ふりしきる軽井沢の山荘に連合赤軍の「兵士」五名が銃をもって立てこもった。管理人の妻、牟田泰子が人質にとられ、テレビはそのその救出劇を全面中継した。今や、この問いをもって世代を問える、「きみは、あの中継を見たか?」
著者の久能靖は日本テレビのアナウンサーとして現場に立ち、早朝から日没後まで、山荘玄関を見下ろす山の斜面に立ってレポートを続けた。弁当はついに届かず雪をかじり、同僚は凍り付いたズボンの前があかないまま失禁するほどの壮絶な現場だった。あれから二八年、一体、あの体験は何だったのか? 退職後フリーの身になり、主として警察・報道関係者百人に直接取材を続けた。
この本には目次がない。構成や編集のあとが見られない。そのナゾは読了してわかった。徹底した「あの日、あの現場」の再現にこだわると目次も消える。つまり彼は活字によって「中継放送の再現」をしたのだ。
テレビ中継を見た私であるが、著者の再取材によって集められたディテールには改めて「ヘぇー」という事実がいくつもあった。五人の犯人に対して、投じられた機動隊員千五百人、報道陣千人、日本テレビだけでも七十人という数字に驚く。そして十日間のバトルを通して、彼らの食事と宿の確保がいかに大変だったかが身につまされる。
長野県警はスケートセンターなど、あらゆる施設を応援部隊のために確保したが足りない。結局、県警幹部には軽井沢署が臨時宿泊所となり、中でも人気の部屋は畳敷きの留置所で、誰もがそこに入りたがった、というのは笑えるエピソードだ。
当日中継した音声はすべて残っていて逐次再現され、さらに、多数の関係者の記憶によって補強され、新聞・雑誌および警察官の文集まで渉猟されて、事件の「真実」に迫った。しかし、ここで重大な漏れが生じた。あの時の「山荘内」の状況をどう中継するかである。
そこで著者は腹を括った。犯人の一人、坂口弘の著書『あさま山荘 一九七二』(彩流社)からの十カ所以上の引用である。坂口は、獄中で最大限の誠意をもって事件の全容を書き記した。それは警察記録の何時何分とも見事に符号している。肉体は処刑を待ちながら、残された時間の全てを「言葉」に託し、本書を補強したのである。外部からの破壊工作と肉親の呼びかに山荘内部はどう対応したかが活写され、本書で坂口は、あたかも別班スタッフとして久能の中継をサポートしている。
「坂口弘死刑囚に直接取材できなかったことだけは心残りだ」という久能の一文が気になる。引用の許可はとったのだろうか? そして、直接取材をどう試み、そのプロセスはどうだったのだろうか?
日頃の私の疑問は、日本ではなぜ服役者の取材ができないのか、という点だ。海外では死刑囚にまでマイクとテレビカメラを向け、それを日本で放送することは可能なのにである。
囚人の肉体と言葉は誰のものか? 今は徹底的に法務権力の側に「独占」され、囚人には言葉を「発する」権利が奪われている。一体、塀の外から取材する権利が百%禁じられている法的根拠は何だろう?
「保険金カレー事件の真須美容疑者、獄内で少しスリムに」といったくだらない情報をおこぼれで頂戴する。記者たちは、それと引き替えに、自分で取材する権利を放棄し、それを「慣例化」してしまっていないか?
獄内の「情報公開」と「取材の自由」を国民の基本的権利として確認しようではないか。本人の合意のもとに、私なら坂口弘にインタビューしたい。君が理想とした「国家」では、反逆者の疑いだけでリンチし、即刻処刑してしまった。では今、二八年の長きにわたって獄内に生き、そこで考えた国家とは、家族とは、時間とは、死とは何ですか?
その言葉は権力には何の価値もないが、国民には貴重な遺言である。出版されれば内需拡大であり、犠牲者への少なからぬ補償になり、必ずや犯罪の抑止にもなるはずだ。
現場では警官二名が死に、三人目の犠牲者とも言える第2機動隊員・大津高幸の死は胸を打つ。彼は犯人の射撃を顔面に受けて失明、入退院して出会った看護婦と結婚。やがて妻に先立たれ、九七年、五十一歳の一人暮らしの境遇で死去した。
四半世紀の時の経過を、本書は様々な情報で教えてくれる。あさま山荘中継はエンエンと続き、番組編成をどうするかで各局はテンヤワンヤだった。日本テレビは青島幸男、八代英太、中山千夏の「お昼のワイドショー」をすっとばした。
思えば、その後中山は国会議員になり、青島は都知事を務め終え、八代は今、テレビ局のお目付役、郵政大臣の栄達を極めた。歳月は確実に過ぎた。しかし、決して風化しない心のキズが多くの関係者を苦しめる。人質だった牟田泰子が、今なお取材を受けない理由は、自分のために多数の死傷者が出たことの慚愧があるからだろう。
久能はこの事件の後、十三年間のアナウンサー生活をやめ、自ら志願して報道部記者に転じた。取材が出来る放送マンになろう。事件が教えてくれた啓示が、彼の人生をも変えた。
今のテレビを見ていると、堅い報道をやっていた人間が、突如バラエティー番組に使われ、ある時はスポーツ・イベントに動員される。およそ当人の個性や志を無視したテレビ局の気まぐれな人事が横行している。それに比べれば、久能の生き方は幸福だったと言える。退職後もワイドショーでニュース・コーナーをもち、こうしてこだわりの著書も刊行した。
本書の最終行は「浅間山荘事件は板東国男が国外に逃亡したまま、まだ終わっていない」。久能はこの仕事をまだ終わりにしたくないのではないか? 私は中継にこだわる彼に、次の仕事への挑戦を頼みたい。それは、本書の事実上の共同執筆者、坂口弘の処刑の一部始終を中継することである。(敬称略)