「週刊朝日」書評
石井俊也著・小学館
定価・本体950円(税別)
「検証!インターネットの中の子どもたち / ひろちょびクンの500日」
人類の夜明け前、ヒトは火を発見し、闇の中で相手を確かめた。以来、はるばると時を経て、人間のコミュニケーションはどれほど上等になっただろう。今や、「キレて」メル友を刺し殺したり、法の番人まで出会い系サイトに狂ったり、夜明け前のインターネット・コミュニケーションは混迷を極めている。
本書はネット上の子供たちをドキュメントしたユニークな一冊だ。「なんだ子供か」と言うなかれ。一体、世の大人のどれほどがネットコミュニケーションにおいても「おとな」であることか。ケータイ、パソコン、現代は「子供の方が道具を使うことが巧い」、人類史上初めての時代だ。その子供たちがどんなコミュニケーションをしているのか、私は一読して感じた。「ここに俺がいる。ひろちょびは俺だ」。
舞台は「ドラネット」というパソコン学習システムのインターネット伝言板。ここで子供たちは自由な発言をしあう。著者はコンテンツの開発・運用担当者として事態を眺める立場にいる。活発な書き込みをする「ひろちょび」というハンドルネームの子が目立った。小学5年生。デビューした彼は連続書き込みで皆の迷惑のもとになる。
これに警告する子供たちとの応酬が始まる。飛び交うコメントの末尾に(怒)という文字が叩きつけられ、相手のいやがる「荒らし」で妨害しあう。当初「誰でもいいから僕にメールください」だったひろちょびは、暴れ牛のように攻撃的になる。このへんのログの再現は西部劇「荒野のガンマン」を見るようなスリルだ。チャットで相手の発言を封じるキーボード上の必殺ワザの展開は、大人もはるかに及ばない技術水準を見せつけられる。
彼の子供じみた態度は自己中で「目立とう、甘えよう」の大人たちそっくり。子供たちは実に簡単にムカつき、キレる。「あんたチョーうざいし、むかつくから死んで!」「だれもこないからムカついた、やめます、みんなキライです!」。著者はこれを「あるべき理想形式に向かう過渡期的事態」として見守る。いよいよこれはマズイと判断した時だけ、「ドラネット」編集部の「トシ坊」として割って入る。
彼がひろちょびに注意したのは「なりすまし行為」だった。複数のハンドルネームを使って他人になりすまし、サクラとして発言したり、複数を装って特定の一人を攻撃することだ。
やがて、子供たちは自主的に「チャットの嫌がらせを考えるチャットルーム」を開設、その「報告書」が伝言板にアップされたり、次第に変化が起こる。変化の詳細を語るログを読むことは、親も教師も知らない子供たちだけの世界に立ち入るスリルがある。
ついには「どうやったらみんなが楽しくなるかを考え、企画したい」として、「もう一つの編集部」の編集長を名乗るものが現れた。それが、あの「ひろちょび」である。チャット選挙が行われ、なんと、かつてムカつき専門で事毎にひろちょびに対立した「ミッチ」が副編集長につく。15頁にわたるチャット会議のログは、たわいないやり取りの中で楽しげだ。声がない、姿が見えないログボード上で「キモチいいコミュニケーション」が展開する。
事態の急変は「だれか聞いて」というタイトルの伝言から始まった。発信人はひろちょび。「実は僕のお父さん、ガンかもしれないらしいんです」。さざ波のように、次々と子供たちから寄せられた激励コメントは胸をうつ。
やがて、3ヶ月後、「重要伝言」のタイトルがアップされた。「きょうの零時八分に、ぼくのお父さんが、ガンのためにお亡くなりになられました。五一歳でした」。居ずまいを正した精一杯の敬語。父親の死の直後、パソコンに向かって報告を書き込む12歳の気丈さに驚く。
驚きはインターネットという全く新しいツールが、こんなにも深く人を変えるかということにつながる。あのムカつくだけの自己中な子供集団が、ネットという、「無法地帯」で、大人も果たせないプロトコール(品位ある礼儀)を獲得してゆく。インターネット・コミュニケーションの夜明け前、大人の足元の闇を照らす一冊である。