いつも、そして、いつまでも「みだら」でいたい
月刊『現代』の2001年 1月号に書評を寄稿しました
草思社 林秀彦著 定価(本体1500円+税)
「『みだら』の構造」
外国にいてこそ味わう望郷の念に怒りが加わり、憂国の情というより悲鳴に近い。オーストラリア在住13年、一体この人は何を怒っているのだろう?
日本人が言葉も所作も「みだら」を喪失し、エッチと風俗業がはびこって、男女の間に本来あった人情やなまめかしさは雲散霧消した。あでやか、色気、気品、優雅、奥ゆかしさはなくなって、世界に冠たる日本文化は「ケツの穴まで出来が違う白人たち」の軍門に下った。著者は「これは日本民族性の破壊だ」と怒っているが、思いが空回りして、とてもじゃないが「構造」に触れるに至らない。
国の外にいて初めて抱く心境がある。自己存在の不確かさ、周囲の異人種へのうとましさ、遥かな祖国への望郷が募る。だからこそ書けるこのような本がある。
日本はとめどなく住みにくくなり、義理人情が日常から喪失して迎えた世紀末。ことさらの思いなく自民党の失政に舌打ちするだけの、こんな毎日でいいのだろうか?
そんな焦りが世間に瀰漫しているのか、本書は発売一ヶ月で増刷を2度、この手の本としては異様なテンポだ。「みだら」滅びて、エロスとセクシーとファックがはびこる。このいまいましい「グローバリゼーション」はこの先どうなるのか。
単なる怒りの書ではない。これはセックスを足場にしたナショナリズム論であり、同時にほろびゆく日本語を愛惜する国語論である。大人にはノスタルジアであり、若者には日本文化の価値と日本語のオリジナリテイーが学べて新鮮なはずだ。
しかし、この著者が力説し、謳いあげる日本美の生命は、既に過去のものではないのか? 日本列島は荒廃し、日本文化は滅亡し、日本人は追放されて世界をさまようしかないのではないか? 私には、本書は遅すぎた追悼文のように思える。
さまよえるオランダ人、ユダヤ人、さらには亡命ロシア人たちは、鷹のような目つきと他人を騙す狡猾さで世界中で生き抜いている。奥ゆかしい日本人は祖国を喪失し、無用者として歴史の波間に消えてゆく運命にあるのだろうか。日本人としてどうやって新時代を生きるべきだろうか、問われて黙る世紀末である。
66歳の初老期を迎えた著者の心境に、日本のたそがれがオーバーラップする。異国で借りて眺める「青い山脈」のビデオに涙がにじんで、しみじみと異国の夜がふける。
米国大統領選挙の帰趨を決めたのは海外からの郵便投票だった。日本人も、今や改めて海外同胞の暮らしぶりと胸のうちを徹底的に知るべきだろう。
テレビが日本人の心情を壊し、山河はゼネコンがめちゃめちゃにした。もはや、「祖国」は海外に住む同胞の胸の中にしかないのかもしれない。