野口悠紀雄著「日本経済再生の戦略」

副題 21世紀への海図
中公新書 定価(本体660円+税)

 タイタニック状態の日本経済。その問題点が実に見事に整理されて叙述されている。 が、読後感は白々しいものがあった。ここで書かれた構造的に硬直した「日本経済」に、生身の我が身が、これからも営々とつきあっていかなければならないのか、という怒りとも、あきらめともつかない思いに襲われたからだ。

 不況が問題なのではない、構造が問題なのだ。納税意識を骨抜きにする源泉徴収制度、金利を人為的に低く抑えて、都市銀行と大企業に資金が集中する金融制度、いきいきとした流動化をはばむ不動産制度、戦時の統制会のなごりである業界行政。いずれも、対米戦争遂行のため、国家総動員態勢のもとに一九四〇年当時、相前後して施行された。


 この戦時体制が、今、国境を越えて澎湃と始まった高度情報社会の構築に、いかに時代遅れな障害となっているか、読者は思わず溜息をつくだろう。次の一言が胸を打つ。「結果的には、日本は戦時体制から脱却しなかった。この意味で、日本経済に『戦後はなかった』ということができる」


 では、どうしたらよいのか? 肝心の「戦略」の章で書かれていることは、「雇用制度、金融制度、そして税制などに関する改革の必要」「新しい産業構造に向けての環境を整える必要」「経済構造の変化に応じて、企業を取り巻く制度を改革することが急務」…おいおい、これは戦略ではない、お題目である。

 本気で戦略を語る気ならば、野口教授、ケンカする気でなきゃダメですよ。まず、戦後経済政策を担い、今なお、「構造を変えること」を躊躇している政治家、官僚、経済勢力、その提灯もちのエコノミストを名指しすべきだろう。阻む者の名前と顔が分かってこその戦略ではないか。

 そういう踏み込みの欠如が、この本を、「学者のアルバイト」、「良くできた教科書」にとどめてしまっている。

 ハッとするような一言に出会うこともある。本格的な改革には痛みを伴う。それを避けて、景気を短期的に浮揚させ続けても、構造改革はいつまでも実現しない。だから「良くなる前に、悪くなる必要がある」というのだ。しかし、野口教授、悪魔のようなこの一言を、たとえば政策審議会の席で発言出来ますか? 

 本書の致命的取りこぼしは、今日のマスコミのあり方に言及してないことだ。ひょっとすると、野口氏の言う「構造変革」の決定的なカギを握るのはマスコミかもしれない。住専への六千億円にあれだけ騒ぎ、金融機関への公的資金六十兆円の法制化には「日本発世界恐慌を避けるため」と称して、何も言わないマスコミとは何か。この騒々しいガキんちょに、学者の透徹した知性で、一言ガツンと浴びせたらどうなのか? 更に言えば、企業社会に巣くうヤクザに言及していない…という具合に「書いてないこと」を指摘するのは、書評としてはフェアではないから止めよう。


 今の時代、言論は自由のように見えて、何だかガス抜きに供されていないであろうか? 本書のように、かくも見事に問題点の整理をすると、「ここまで分かっているなら変革などカンタンだ」という思いに、妙に人を納得させて、オシマイ。それが、初めに書いた「白々しさ」なのかも知れない。

 学者ならではの冴えた文章もある。インターネットによって「地域」という概念が無意味になろうとする時、「二一世紀への未来プロジェクト代表が首都機能移転とは、なんたるアナクロニズム」と指摘している。

 本書は戦略の書ではない。実に正確な整理と「問いかけ」を読者に投げかける。結びの文章がそれだ。「日本という国が、住むに値する国か、それこそが二十一世紀に向かって問われている」。