月刊「現代」書評  
小倉寛子著「小倉遊亀・天地の恵みを生きるーー百四歳の介護日誌」
(文化出版局・千四百円)

石井信平(映像&出版プロデューサー)
 
 誰もが老いに向かっている。そして、必ず出会う問題が、二つある。家族と介護だ。本書は、それを考える格好の事例だ。

 女流日本画家・小倉遊亀は家族の介護を受けながら、いま北鎌倉の自宅で老後を送っている。いや正確に言えば「老後」を拒否して暮らしている。百四歳の今も、毎日絵筆を握り、去年も「椿三題」を院展に出展した。本書は、孫の小倉寛子が七年間の介護の記録をまとめたものだ。


 介護保険が決まり、公的介護が一般化したら、本書はきっと比較対照のイの一番に挙げられるだろう。本書で展開する介護の水準の高さは、鰻重で言えば「特上」、ホテルならローヤル・スィートの部屋を思わせる。しかし、金に飽かせて贅沢三昧とは違う。介護に賭けた情熱の水準が、である。

 小倉遊亀へのケアは、医療、看護、介護の三本柱で支えられている。医療は、聖路加国際病院名誉院長・日野原重明による定期的な往診。看護には七年間同じナースが来訪し、血糖値、尿、蛋白が定期的にチェックされる。介護は…これが問題で、専門の介護士が、もう五十人もクビになっている。そのくだりは、不謹慎だが笑ってしまった。

 「皆さんはお偉い人といいますが、私たち専門家から見たら、単なる老婆です」と言った介護者はクビになった。

「いつもこうやってるから」と時刻表のようにタイムスケジュールにとらわれた人、「百歳なのだからこれはムリ」という先入観の人、「ご高齢なのだから、横になりたいときは。横になって当然」と決めつける人…いずれもクビである。      

 技術を越えた介護の本質を見極め、その方針を厳然と堅持し、三本柱のチームをまとめあげているのが小倉寛子である。

 彼女の徹底した配慮は、たとえば、来客にも遊亀に向かっては「お大事に」と絶対に言わせないことに象徴される。病気ではないのだから、「お大事に」はふさわしくない。祖母に「よく生きてほしい」と願う情熱と祈りが、冷徹なほどの意志に転じている。その七年間の日々は「介護日誌」として克明に記録され、A5判ノート七十冊を越えた。

 公的介護でアカの他人が面倒をみるのとは違う、家族ならではの介護の手厚さに、読者はため息を禁じ得ないだろう。巻頭の口絵写真の、遊亀を中心にした、曾孫までも加えた四世代家族の、何という暖かな笑顔! ところが、本書を読み進むうち、次なる事実に驚く。小倉遊亀は、ここに並んだ家族とは一切の血のつながりがない、という事実。

 ここに来て本書は、単なる介護本とは違う、小倉遊亀という希有な芸術家の人間記録に読者を引き込む。遊亀は前世紀の一八九五年生まれ。昭和十三年、四十三歳で初めて結婚する。相手は小倉鉄樹、北鎌倉に庵をむすぶ禅の修行者で、当時七十三歳。この結婚は東京日々新聞に号外で扱われ、遊亀の絵は、この結婚を機に価格が暴落したという。

 さらなる「常識はずれ」は、その時の遊亀の父親のコメントで「鉄樹先生が金持ち爺ならイヤだが、そうではない、枯れたつましい暮らしぶりだから、遊亀はやってもいい」という。こうして、常識が実に小気味よく覆されるのを次々読まされると、明治生まれの爺さん婆さん達の方が、世間体を気にしないで自由闊達に生きていたことがわかる。

 この結婚は七年続き、昭和十九年、鉄樹七十九歳の死をもって終わる。夫のことを「先生」と呼び「小倉先生で、またひとつ私は自由になった。…教わったこと? それは、すべてです」と遊亀は孫の質問に答えている。

 昭和二十四年、五十四歳の未亡人・小倉遊亀は二十一歳の男、西川典春と養子縁組をする。典春は、ある同人雑誌の発起人メンバーで、後に表紙絵の依頼

に遊亀のもとに通ったことがきっかけだった。年齢差のある結婚のあとは、今度は、「小倉さんに若いツバメが出来た」と評判になる。とにかく二人は血ではなく意志によって「親子である」ことを選び取った。やがて「息子」は嫁をとり、子が産まれ、その一人が本書の著者、寛子である。

 こうして出来た家族の、驚くべき絆の強さに、人は改めて考えるだろう。家族って何だ? 血縁って何だ? 寛子と遊亀は血のつながりは全くない。その寛子が祖母のしもの世話をし、おしめを換え、尿やウンコの目方を量り、克明に介護日誌をつける。その持続する意志は、祖母のいのちに触れていることが「天地の恵みを生きる」ことにつながる、と言わんばかりである。

 朝日新聞の世論調査によれば、「老後が不安」と答えた人は、東京で九十四%、大阪で九十%だという(七月十七日、朝刊)。年金の破綻が言われて、既に久しい。政治の貧困を、介護保険という新たな国民負担で補おうとし、問題の先送りの果てには、常に不安がつきまとう。

 そういう時に出会った本書は、むしろ老後を拒否することの戦略・戦術を、個人のレベルで考えておく必要を促す。平たく言えば、カネや健康も大事だが、肝心なのは、どういう「意志」をもつかである。

 あちらは芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者として国家の年金を頂いてる人です、格が違います、手厚い介護は当たり前です。その通り。しかし、同じ文化勲章でも、永井荷風を考えてみよう。ちと違った晩年で、死に方は野垂れ死に同然。あれが彼の選択であり、意志だった。そう考えると、人がどう老いるかの環境は、カネや身分ではなく、実は大きく「意志」が決めていることが分かる。

 遊亀が九十七歳の時、「息子」典春が死ぬ。享年六十四歳。失意の遊亀は、それから五年間、絵筆に触ることが出来なかった。そして、周囲の介護が持続され、本人の意志が、遂に百一歳で色鮮やかな「マンゴウ」の絵を完成する。

 本書は介護の記録でも手引でもない。ただ一つの問いの書だ。小倉遊亀の絵筆に代わる、何を、私たちはもっているだろうか?