「週刊朝日」 書評
『岡本太郎宣言』
平凡社刊行 山下裕二著 定価・本体1500円(税別)
評者 石井信平(湘南ビーチFM、DJ)
岡本太郎を生んだ二十世紀の日本に感謝したい。私は本書を読んで、そんな思いに誘われた。著者の山下氏は室町時代の水墨画を研究する学者だ。学術調査と論文に明け暮れた末に「情けない中年男になってしまった」という彼が、「私は、岡本太郎の遺志を継ぐ。いや、岡本太郎になる」と宣言するに至る。おいおい、太郎になったところで、メシが食えるのか?
気鋭の学者にそこまで言わせた岡本太郎。山下氏は昭和二十年代にこだわる。戦争がすべてを崩壊させたはずの日本に、厳然と残る惰性的権威主義、画壇・文壇・論壇のピラミッド。それに向かって、たった一人で闘いを続けた岡本太郎の美術論に、著者は驚嘆する。一九五〇年、法隆寺金堂の焼失に際し太郎は「法隆寺は焼けてけっこう」という一文を書いた。「嘆いたって、はじまらないのです…、もっと緊急で、本質的な問題があるはずです。自分が法隆寺になればよいのです」
こういう筆致で、日本美術史で神棚に祀られている雪舟をさえ、太郎は「芸術ではない」と断じた。山下氏は専門学者として太郎の雪舟論に異論がある。しかし、それ以上に、当時の日本美術界が、太郎の議論を黙殺した事実に衝撃を受ける。読み進むうち、太郎が何と多くの重大な日本文化論を提起し続け、ことごとく無視されてきた事実が、読者に突きつけられる。
山下氏の中で、次第に美術史学界への疑問が芽生える。並みいる美術家たちよりも、美に対して、遙かに「緊急で、本質的な」生涯をおくった岡本太郎になろう! 本書は、やむにやまれず書かれた告白の書である。
岡本太郎ほど、二十世紀の重要な知的・芸術的現場に立ち会った日本人はいない。一九三〇年、19歳でパリに渡り、アヴァンギャルド芸術運動の第一線で揉まれた。パリ大学でマルセル・モースに師事して民族学の実証研究を鍛えられた。またバタイユらと実存主義哲学を究明、四〇年に帰国、戦後は「夜の会」を結成し先鋭な芸術論と作品制作を続け…、並はずれた波瀾万丈を、ここでは書き切れない。
特筆すべきは、驚くべきエネルギーで、日本全国をフィールドワークで歩き、「神秘日本」「日本の伝統」「日本再発見」などの書物を書いた。それまで考古学資料だった縄文土器が日本美術史の巻頭を占めるにいたったのは、実に太郎が一九五二年に書いた「縄文土器論」の故だ、と山下氏は学者としての信念で断定する。
たとえば「忘れられた日本」という沖縄紀行を開いてみよう。「私は極論したい。沖縄・日本をひっくるめて、この文化は東洋文化ではない。むしろ太平洋の島嶼文化だ」という断定に出会う。日本文化を中国、朝鮮のアジア文化圏の東限と考える旧来の常識、また今なら、「世界に誇れ、日本文化の独自性」史観に酔う「国民の歴史」一派に水をぶっかける議論だ。当時この本の価値に気づいた三島由紀夫は読売文学賞に強く推したが成らなかった。
岡本太郎のすごいところは、自分の経験や学識を忘れて、まっすぐに対象にぶつかるところだ。メキシコ古代遺跡の美術品を見て「俺の真似をしている」と現地の人の前で言ってしまう太郎は、傲慢だろうか? むしろ、学界や画壇のタブーを恐れぬ素直さの象徴だ。本書によれば、彼は生涯自分の作品を売らなかった。画壇の消費と流通を拒否したのだ。
いま「岡本太郎の本」全五巻(みすず書房)が予想を超えて売れ、読者は六十代より上と二十代だ、と担当編集者は言う。東大を一流とみなす知性から、ヴィトンのバッグに群がるギャルまで、保証されたブランド価値に安心する日本の状況は、昭和二十年代も今も、何一つ変わっていない。ああ、権威から自由に、自分に素直に、もっと本質的に生きたい。本書は、そのような「隠れ岡本太郎」たちから、初めてカミングアウトした人の書だ。
太郎の声が聞こえて来そうだ。「ミコシに担がれるのはゴメンだぜ。俺になんぞならず、自分自身になれよな」