「現代」書評 石井信平
半藤一利著「ソ連が満州に侵攻した日」
文芸春秋 定価(本体1524円+税)
本書が提起している重大な点は「日本人は過去から何も学んでいないのではないか?」という疑問だ。
「ソ連が満州に侵攻した夏」は既に五十四年前のこと。もはや満州国も、ソ連邦も、この地球上に存在しない。しかし、本書に丹念に集められた諸事実は、あまりにも見過ごされている。消滅した国家とともに歴史の彼方に放置し、忘れ去る前に、もっと繰り返し参照され、検証されていい。それなしには、今の日本を語れない、そういう思いに読者を誘う。
まず、本書は冒頭で一九四五年七月一六日、アメリカでの原爆実験の成功を書いている。その報は、直ちにソ連諜報部員によってクレムリンに伝えられた。その日、飛行機が怖いスターリンは、列車でポツダムに到着した。宿舎に入ると、直ちに電話を取り、極東ソ連軍司令部に要求を突きつけた「日本への攻撃開始を十日間繰り上げられないか?」
この冒頭が象徴するように、満州侵攻と、百万人の在留日本人を見舞った惨劇が、いかなる国際的背景で起こったのか。政治・軍事・歴史・人物に関する資料が渉猟されて、「その夏」を一編の物語として再構成し、本書が出来た。
身につまされて本書を読んだのには訳がある。著者の半藤氏と同年齢の兄を、私は満州で亡くしている。正確には行方不明であり、家族は「あきらめがつかない」で戦後を過ごした。ところが、植民地の過去は「負の遺産」などと呼ばれ、国家も国民も、なるべく忘れようと「中国東北部」などと呼び直してきた。
平成天皇は北京訪問はしても、日本人があれだけ死んだ「満州」には近づき
もしなかった。中国文学者・竹内好氏の名言によれば「日本人は、まだ満州の弔いを出していない」。それを言ったのは四十年も前のことで、氏はとうの昔に亡くなっている。満州は「風化」を続けながら、しかも本書のように、切れば赤い血がしたたる。この幻の国は、なんとミステリアスなのだろう。
スターリンが満州侵攻を急いだのは、原爆投下で日本が早めに降伏することに焦ったからだ。米ソ冷戦の取引における「満州」の重要さ。ヤルタ、ポツダムの連合国首脳会談、ソ連を仲介とする和平工作、ドイツの敗北、ソ連軍の極東への大移動…その「夏」に向かって、怒濤のように展開した一九四五年の国際情勢が活写されている。
それによって浮き彫りにされたものは何か。こうした展開を全く知らされなかった日本国民の惨めさである。そんな状況なのに「天皇制を守る」しか頭になかった国家指導者の脳内の荒廃である。
よく聞くのは「関東軍は在留邦人を守らなかった」。しかし本書でよくわかった。関東軍もまた「中央」に見捨てられていたのである。それはちょうど、警察庁にバッサリ切り捨てられる神奈川県警みたいなものだ。一九四四年七月、サイパンの陥落をもって、この戦争に「勝ち目なし」は軍中枢も確認済みだった。なにしろ「絶対国防圏」が崩れ去ったのだから。その時点で、条件付き降伏をハッキリ意思表示していたら…、その後の本土空襲、沖縄決戦、二つの原爆投下、各戦地での玉砕、そして満州の惨劇はなくて済んだ。ひとえに「天皇ひとりのお立場」が、百万単位の日本人のいのちよりも大切だという価値観のゆえである。それでよかったのかの決着はついていない。敗戦に向けて不手際を続ける「中央」について、本書はこう言っている。
「有史いらいはじめての亡国にさいし軍部だけを責めるのは大局を誤ることになる。このとき、日本の政治家や外交官もそれ以上に責められねばならない大きな誤ちを犯している。かれらもまた、降伏にさいして国際法的に厳密に、かつ緊急につきとめなけらばならないことについて、素通りというより無知と錯覚で見過ごし、それが満州にある日本人すべてに何をもたらしたか…」。本書後半は、その「もたらされたもの」のあまりにも無茶苦茶で、滑稽で、悲惨な出来事の実態描写である。
中央が関東軍に指示した基本方針は「静謐保持」だった。大きな動きをするな、ひたすら何もしていないかのごとく装え。その結果、ソ連軍の極東への大移動をつかんでいながら、関東軍は戦闘開始の危機を、国境の開拓民に知らせなかった。南方へ送った兵員の穴埋めには、新京一中の中学生が「張り子のトラ」として国境の「東寧報国農場」に送り込まれた。その中に私の兄、石井公平がいた。
そして関東軍はソ連侵攻の直後、何をしたか、本書は生々しく語る。まず、開拓民の逃げるのを阻むように、道路と橋を破壊した。細菌戦の研究部隊を日本本土に逃がした。そして新京発の特別列車を仕立て、関東軍幹部とその家族たちを脱出させた。いずれもソ連侵攻の当日、八月九日の早業である。
こうした叙述を読み進むと、読者は自然に「神戸震災」や「大蔵省」や「金融危機」に思いをはせたくなるだろう。つまり、私たちは今、いかなる政府に自分の暮らしやいのちを預けているのか、を問いたくなる本である。
海外、特にソ連の文献も丁寧に検索されている。ただ、現場が中国の主権地域でありながら、中国人が何を体験し、何を考えたのか、その引用や文献が紹介されていないことが「満州もの」の本に私が常に感じる不満だ。本書もまた、「ソビエト政府の対日宣戦布告を熱烈に歓迎する」毛沢東と朱徳の電報を紹介している程度で、やはり中国人が出てこない。
「日本のいちばん長い日」、「ノモンハンの夏」と書き継いできた半藤氏は、本書をもって「みずからに課した義務をようやくにはたすことができた」とあとがきに書いている。一人がなし得る全力を込めて、ここに「満州」を弔う書がある。
今後、彼の仕事を引き継いで、中国や韓国や日本の若い世代が「満州」に取り組むだろう。東京裁判は杜撰でアンフェアであり、天皇、政治家、外交官、ジャーナリズムの戦争責任の問題は、まだ全く決着がついていないのだから。
メモ・
文芸春秋の「芸」は正字
満州の「しゅう」は本書ではすべて「さんずい」つき
終戦の決断は遅れに遅れ、その時間稼ぎのために、関東軍の武器・兵員は南方で燃え続ける戦地に、薪のようにくべられていった。北方の守り、と信じられていた「泣く子も黙る関東軍」は八月九日のはるか以前に、用をなさない烏合の衆になっていた。アジア全域に散らばった戦域での同胞を放置して、