本日発売の月刊「現代」に書評を寄稿しました



「現代」書評
中央公論新社 保阪正康著
「吉田茂という逆説」

定価(本体2850円+税)


本を読んだらムラムラと女を抱きたくなったり、旅に出たくなったりする。読書の効用は、時にそうした情動に人を誘う。本書を読んで、私は無性に人に手紙を書きたくなった。それほど、ここに多数引用されている吉田茂の手紙は、明快、率直、簡潔さにおいて魅力的だ。

吉田茂というノミで昭和を彫り上げると、こうなるのか。彼に関わる文献、資料が渉猟しつくされて、昭和が一年毎の細密さで分析され、その過程で、歴史的な伝説や常識を、根底から問い直す。まず、吉田は本当に戦争突入に抵抗したのか? 

彼は帝国主義国家日本の国益を最優先させる忠実な外交官だった。満州国の権益を否定したり、中国からの日本軍撤兵を主張したことは一度もない。その吉田でさえ、「穏健派」「親米英派」と名指しされ、外交を主導する地位から去る。しかし外交のプロとしての吉田が、日米開戦の米国側「最後通牒」と言われるハルノートについて、次のようにふるまったエピソードに、私は鳥肌立った。

吉田は同ノートの全文を入手して、欄外にTentative and without commitment(暫定無拘束)とあるのを捉えて東郷茂徳外相に、これは「試案」であり決して最後通牒ではないと訴える。著者は書く「ハルノートは最後通牒だったのか。これに対する日本での論者の見解は、今も明確になってはいない。なぜか。これを最後通牒に認めなければ、真珠湾奇襲攻撃に始まる日米戦争は、その論理的根拠を失うからである」

あれは最後通牒だったという「神話」が出来ている今、この問い直しは重大だ。日本人はハルノート改竄の真相を知らずに昭和史を封印しようとしている。   

吉田は昭和14年に外務省を去ってから、その言動は憲兵隊に監視されていた。その状況で、開戦直後のクリスマスに、アメリカ大使館に肉、香料、花束を贈ってグルー大使夫妻を感激させた。また、開戦直後の時点で、スイスに出かけて和平工作に当たるよう近衛文麿を説得している。実に英雄的大胆さだ。

東京憲兵隊では、吉田を「吉田反戦グループ」通称ヨハンセン・グループとして警戒していた。昭和20年4月、吉田は「和平談議、終戦工作へのみせしめ」として拘留された。

この逮捕は、輝やける「反軍国主義者」に箔付けして、吉田を戦後の舞台に押し出してくれた。敗戦の日を迎えた吉田への、著者の次の総括が効いている。「吉田は戦時下で一度も聖戦完遂を叫ばなかった」。

保阪氏があぶり出した吉田に向かって、私は次のように問いたい衝動を感じた。いま、「保守派」を僭称して「新しい歴史教科書を作る会」で大東亜戦争はよかったと声高に叫ぶ人たちは、あなたの同士ですか?

彼らは、本書に書かれた吉田の「対米戦争反対」の論理に耳を傾け、のぼせた頭を冷やすべきだろう。「勝味のない戦争を起こして、国家を崩壊に導き、営々と築きあげた繁栄を一朝にして突き崩す無意味…」。やはり保守本流はこっちだろう。

敗戦に際して、吉田が企図したのは「皇国日本の再建」だった。「マッカーサーをも、この目的に組み込もうとしたのが、吉田の本質的な戦略だった」。保阪氏のメスで占領期の吉田の言動を子細に点検すると、外相、首相としての彼の職務の大半が「天皇を守り、その制度を維持する」ことだった。

おかげで天皇は東京裁判で訴追されなかった。証人にさえ呼ばれなかった。吉田とマッカーサー、ふたりの信頼関係の結実が、昭和21年1月26日、マッカーサーの本国宛「天皇には戦争責任はない」という電報だ。

それと引き替えに、吉田は占領軍の諸要求を丸飲みした。戦後の混乱は、ほとんどそこに起因している。「押しつけ憲法」、非武装中立、講和条約、安保条約といった国家の大事について、彼はアメリカに、国会に、国民にも、二枚舌を使うことを厭わなかった。「戦力なき軍隊」などという迷答弁は、彼の知性とズルサを象徴している。

その余波を、平成の今にいたるまで残しているのではないか。こうした歴史のリアリズムを論証されると、しきりに左翼が叫んできた「戦後民主主義を守れ」など、いかにも空疎に聞こえる。民主主義など、天皇を守り、隠すためのシャボン玉だったのではないか?

思えば、敗戦直後いち早く実現した天皇のマッカーサー訪問は、演出・吉田茂だった。そこで語られた「私はどうなってもいい」の天皇のセリフは、そこだけが抽出拡大されているが、本当に天皇はあれを言ったのか? それ以外に何が交わされたのか、いまだに国民は詳細を知らされていない。

では書名である「吉田茂という逆説」とは何だろう。晩年こそガミガミとわめくだけの評論家・藤原弘達は昭和30年代、「吉田は東條の二の舞だ」と鋭く看破している。つまり、国体護持のために「聖戦完遂」を叫んでいた軍国指導者たちを吉田はあれほど嫌いながら、実は同じことをやったのではないか、という指摘だ。

戦時中、吉田は確かに「聖戦完遂」を言わなかった。しかし、戦後の吉田は、国と国民を売ってでも天皇を守り、ひとり「聖戦」を完遂したのではないか。保阪氏の論証を読んでいるうちに、私はそう思った。

フリーの昭和史研究者として、必ず当事者と源資料に当たることを自らに課して書き上げた「昭和陸軍の研究」(朝日新聞社)に続く労作だ。本書を手に昭和史への感慨を覚える。

この本は、初め保守の論客・西部 氏が主宰する「発言者」に連載された。今は読売新聞の資本傘下で「新社」となった中央公論の発刊。ここは、かつて満州国の不法を訴えるリットン調査団報告全文を出版し、時流に抵抗した。戦争末期、でっち上げによる「横浜事件」で編集者が拷問を受け、獄死している。60年安保の翌年、「嶋中事件」で社長宅の家人二名が右翼テロで殺傷された。その頃、西部氏は全学連の先頭に立ち、保阪氏もまた「反安保」を戦った。

みんな吉田政治の清算に傷ついた。改めて、昭和の「近き」を思わせる一冊だ。