斎藤美奈子氏は女医である



書評 斎藤美奈子著
「文章読本さん江」

筑摩書房 定価1700円(+税)


斎藤美奈子氏は文章界の「女医」である。彼女の守備範囲の広さは、内科・外科など近代医療のジャンル分けを笑い飛ばす趣がある。「アエラ」などで勤務医をこなしながら、「噂の真相」まで往診にゆくマメさがいい。「文芸評論家」を名乗っても、文壇ってナーニ? 医師会のしばりや、保険制度からも自由な「自営医師」である。

今回、彼女が出向いたのは、明治以来、近代化の過程で幾重もの山脈を形成している「文章読本」という湿地帯である。一説には、百年で累計四桁の数が出版されたという出版会の「ドル箱地帯」だが、斎藤医師の診察にかかると、一転して巨大な「汚染地帯」に見えてくるからフシギである。

本書では、その中からえり抜きの百冊ほどに言及。谷崎潤一郎・三島由紀夫、清水幾太郎を御三家とし、本多勝一、丸谷才一、井上ひさしが新興の「霊山」のように君臨するこの山岳地帯を、いやー、「踏破」という言葉がぴったりの、著者の健脚にびっくりである。

「泥酔の詫び状」、「借金の督促状」を練習させた明治初期の作文教育を説き、自由選題か課題主義かでもめた大正期の「綴り方」論争をキッチリと押さえ、それに逆襲した鈴木三重吉「赤い鳥」の功罪を説く。戦後の混乱期に乗じて、文章界に乱入してきたのが学者(清水)、新聞記者(本多)で、そこに小説家の「王制復古」を画策したのが丸谷才一だった。などの分析は、文章を素材にした見事な講談「近代史」である。

近代日本は、文章においても「病んで」いたのである。読み進むうち、その実態が次第に析出されてくる。そのビョーキとは、さよう、ないようでいて厳存する「サムライの帝国」というヒエラルキーの、上位に行かんとする動機が、社会にあまねく沈殿している事実でござる。

「エヘン」と威張って、紋切り形を戒めながら、限りなく紋切り形に堕してゆく「文章読本」のパターン。文章の類型化を逃れて「個性の尊重」を試みるも、結局は「横の多様性」より「縦の序列」に飲み込まれてゆく日本社会の実態。ここに書かれているのは、実は近代日本の男たちの悪戦苦闘ではないか。副題が「切捨御免あそはせ!」と来たもんだ。

本書によれば、文章とはテキスト(織物)、の語源がある通り「服装」のことだ。人は「見てくれ」にこだわってきた結果が、並いる文章読本の山である、と斎藤女医は診断する。
「んなもの、いちいち心配しなくて大丈夫。文は服だっていったじゃん。服だもん、TPOで着替えちゃえ、人に指図されるようなもんじゃない」

しゃれて着流し、着崩すもよし春の宵。保険制度もろとも、国家が破綻しつつある折、齋藤先生の白衣がまぶしい一冊である。