「週刊朝日」書評
『アンドレ・マルローの日本』
TBSブリタニカ刊
ミシェル・テマン著 阪田由美子訳
定価2800円(税別)
自分探しは、終わりのない流行になってしまった。「自己喪失」とは、もともと西欧から始まった病気だ。「アイデンティティ」に相当する言葉は日本にはない。「そんな言葉は日本人には必要ないのです。西欧が必死に探しているものを、日本人はとっくの昔に発見してますよ」。そう教えてくれたのはアンドレ・マルローだった。
日本人が「自信喪失」に陥っている時、何とタイムリーなマルローの再登場であろう! 彼は、日本でも一世を風靡した大インテリだった。一九〇一年に生まれ、二十世紀最高の東西美術の批評家。対ナチ・レジスタンスの闘士。ドゴール政権下の文化大臣を勤めて、76歳で死去。彼は文化と政治、旅と恋愛の人生を縦横に生きた。三島由紀夫が最も憧れたマルローの生き方。本書は、その著作に啓示を受けて日本に住む、若きフランス人の労作だ。
文化大臣という肩書きに「文化官僚」を連想して、私は彼を敬遠していた。一九七四年、来日した時は大新聞社から皇室までが彼を持ち上げた。権威をもって文化を語る胡散臭い存在、それは私の誤解だったことを本書で教えられた。たとえば、栄達の勲章の数より遥かに多く、マルローは身内の不慮の死という悲劇に見舞われていた。
彼が8歳の時、祖父が自殺。29歳の時、父が自殺。義弟は、一人がゲシュタポに処刑され、もう一人は対独戦で死亡。43歳の時、恋人が鉄道事故で死亡。彼女との間の子供二人が自動車事故で死亡。68歳の時、またも恋人が死亡・・・神か仏なしではやってられない人生だ。
しかし彼は西欧の神にすがらなかった。父の自殺の翌年、動揺する心を癒すようにマルセーユから乗船して東洋へ、日本へ向かった。「ヨーロッパ、死んだ征服者だけが眠る大きな墓地よ」と記した彼にとって、アジアは新たな救済となったのだろうか。マルローは日本の土を踏み、日本文化の天衣無縫、このうえない静けさと豪胆、総じて「世界に対する本質的立場」を発見した。
日本人は「永遠」に対する認識が西欧とはまるで違う。かりそめの、儚い、無常な人生において、「死は終りではなく変貌(振り仮名・メタモルフォーゼ)の始まり」という日本人の達観を、彼は驚きをもって確かめた。
死の二年前、七四年に四度目の訪日を果たした時、彼は「日本の何に永遠を見たのか」と問われ、伊勢神宮、熊野路、那智の滝をあげた。千五百年の伝統を守り、破壊と再生を続ける伊勢神宮は、「日本人にとって二十年ごとに永遠性を再発見する」方法だった。
かくも日本の本質を見極めたマルローなら、今回の同時多発テロと、日本の「対米軍事支援」を何と言うだろうか。日米関係とはペリーの「黒船」、敗戦時の「ミズーリ号」。今回の「イージス艦」も含め、節目は常に軍艦だった。一方、日仏関係はどうか。「モナリザ」と「ミロのビーナス」の日本出展に尽力したのはマルローだった。永遠なもの、本質的なもので東西の対話を仕掛けたキーマンだった。
文明間の対話と「新しいシルクロード」の構築が今こそ必要なとき、彼はもういない。ならば彼の精神を出来る限り今に再生する本を書きたい。報道に対する弾圧を監視する「国境なきジャーナリスト」日本代表をつとめる著者は、展覧会のパンフレットからスピーチ原稿まで日仏に散る資料を渉猟した。彼を知る人物をインタビューし、マルローの本質を問い続け再構成した。この「取材者」の姿勢こそ本書の核心部分かもしれない。その目はマルローが日本の翻訳者に宛てた私信をも見逃さず、ひとかけらの宝石のような言葉を発見している。「我々にとって日本はかけがえのない酵母です」。
しかし、日本人は、かなり以前に自分の文化の本質を忘却し、既に「莫大な遺産」を喪失した。いずれ、国滅びて山河もなき列島で、マルローが書き残した紙片が風に舞い、日本人はその香りだけでも嗅いで「日本」を懐かしむのではないか。
それでも今、精神の掛け橋になる試みの書として、本書が日仏で同時に読まれる意義は大きい。