日本経済新聞 『描かれたエルダー』
石井信平
丹羽文雄著 「厭がらせの年齢」
老いるとは、家族にとっては厭がらせの存在になり、「家庭内汚物」になることではないか。
丹羽文雄著「厭がらせの年齢」(筑摩現代文学大系「丹羽文雄集」)に描かれた86歳の「うめ女」の老醜ぶりは徹底的だ。夜は一睡もせず、廊下を通る家族に、必ず「どなたですか」と聞く不気味さ。家の物を自分の部屋に持ち込む「盗癖」、布地と見れば切り刻む悪癖・・・。
もてあました家族が、この老婆を茨城県の親類に押しつける。孫娘の背中に背負われて田舎道を一里半運ばれる場面に「楢山節考」を連想し、老いることの不条理に溜息がもれた。背負う人間が、また必ず老いて背負われる、老いの果てしない循環。「アメリカ式の老人ホーム」が作品内で憧憬される。
敗戦二年後に書かれた作品だ。まともな交通機関もなく、この「老婆搬送」がいかに大変だったか。また、食料は乏しい配給だけが頼りの頃、大食いの老婆は、「ごはんを食べる化け物」と呼ばれ、「精神のない物体」として、親族の間をたらい回しされる。
丹羽文雄は老人問題に早くから着目し、「うっかり長生きするから、家の中がメチャクチャ」、「死にそこなって恥をさらすだけ」とまで孫達に言われる老婆の日常を克明に描いた。
いぶし銀の品格も、老いてこそ漂う童女の愛らしさもない。見事に、救いようのない老醜が描かれて、第三者は笑って読めるが、当事者には笑い事ではない。そして、この問題は誰もが必ず当事者になるのだ。
今や有料の「アメリカ式老人ホーム」は各所に出来、介護保険もスタートした。それらによって丹羽が書いた孫娘の次の一言などは克服されたのであろうか。
「今のお婆さんが、一番立派なことは、早く死ぬことよ。どうしてああも生きているんでしょうね」。
老いて周囲に迷惑をかけない手立てはありや。老醜に救いはありや。そう問うた丹羽文雄は、今97歳で、アルツハイマー病である。廊下をすれ違う妻に「どなた」と問い、父の介護に疲れ果てた長女の死も知らない。(信)
この原稿は「日本経済新聞」に、結局掲載されなかった。編集部の言い分は次の通りである。
「この原稿は、うめ女と丹羽文雄を故意に重ね、あたかも丹羽氏の周辺も、彼を邪魔者に扱っているかのように受け取られる。それは丹羽家に対して失礼である。また、かつて「ボケ」と言われたものも、アルツハイマー病として医学的な解明が進み、介護の客観情勢も「うめ女」の当時とは格段に良くなっている。本原稿は、老人介護の問題を故意に、不当に、否定的に捕らえすぎている。その論旨は、社会の公器である新聞にふさわしくない」