日本経済新聞 『描かれたエルダー』 
石井信平
 

松本清張作 「駅路」


 「小塚貞一が行方不明になったのは秋の末であった」。一九六〇年発表の松本清張作「駅路」の印象的な第一行である。

35年間つとめた銀行を定年退職した男が失踪した。一人旅とカメラが趣味の、孤独癖の男だった。子供は独立し、妻との間に何の問題もなかった。しかし80万円を所持し、一ヶ月以上も連絡がないのは異様だった。男の失踪は全国に手配された。

刑事による執念の捜査が始まった。かつて広島支店長をしていた時、男は独身の慶子と社内恋愛をしていた。その関係は彼の東京本社転勤後も続いた。

本社の調査部長、営業部長までつとめ、定年後は傍系会社の重役の椅子まで用意された。しかし、彼は第二の職場を断り、妻を捨て、慶子との同棲という「第二の人生」を決意した。

めくるめく「同棲生活」が始まるはずだった。しかし、失踪した男は、長野県の山中で無残な絞殺死体で発見された。犯人は慶子の従妹、よし子だった。広島・東京間の連絡役だったよし子は、二人の仲をすべて知っていた。実は、男が家を出る前に、慶子は急病死していた。しかし、よし子はその事実を男に伝えず、慶子の貯金を横領していた。高額のカネを所持した男をおびき出して殺そう。よし子の愛人の悪知恵である。

描かれたのは、サラリーマンとして勤め上げた男の切ない「心情」だった。定年で、ようやく自分の人生を取り戻せる。職場も家庭も、彼には忍耐の場所だった。これからは慶子との暮らしが始まる。いつもの逢引とは違う昂揚した気分で家を出、駅に向かったに違いない。彼が大好きな画家ゴーギャンが南太平洋タヒチ島へ向かったように。

「駅路」とは「宿駅のある街道」という意味である。思えば35年間、彼は会社への駅路を歩き続けた。そして慶子との全く新しい旅に向かうはずの駅路で死んだ。

あえて隔世の感と言おう。未遂に終わったが、夫が妻を捨てた時代があったのだ。今は妻たちが「濡れ落ち葉」の夫を捨て、妻が死ねば、夫が後追い自殺する時代だ。江藤淳氏ならば、この作品をどう批評しただろうか。(信)