日本経済新聞 『描かれたエルダー』 
石井信平

岡本敏子著 「岡本太郎がいる」

亭主が家に「いる」だけでうとましい、定年退職離婚ばやりの昨今だ。そんな時世に『岡本太郎が、いる』
(新潮社)という大胆な書名の本がある。著者は太郎の「秘書」として五十年連れ添った岡本敏子さん。
 
太郎の多彩で傍若無人な表現の一切を支えたのが彼女だった。今、若い人の間で熱く読まれている『岡本太郎の本』(全五巻・みすず書房)にみる彼の著述群は、すべて彼女の手による口述筆記から生まれた。

秘書はやがて「養女」にもなった。こんな男女関係があり得るのだ。彼女は「太郎巫女」として彼の表現の一切を受け止め、讃えた。「夫婦」などという固定した枠に閉じこめない、新しい関係。思えば、これも太郎の創造した作品だった。

秘書がいる老後。これこそ「生涯現役」の何よりの証拠であり自己確認ではないか。同伴者を「愚妻」などと呼ばないで、きょうから「秘書」と呼んでみると何んだか新鮮な気分になれそうだ。「養女」もまた、いつまでも可愛い雰囲気があっていい。

同じフランス帰りでも、晩年は独居して江戸・下町に沈潜した永井荷風。かたや、このような秘書のもとで芸術の「爆発」を持続できた岡本太郎。人は、どのような同伴者をもつかで、かくも色彩を変えてエルダー・エイジを過ごす。

太郎と敏子、晩年の会話。「オレが岡本太郎でなくなったら、自殺するよ」。「その時は私が殺してあげますよ、大丈夫」。ここに、しっかりと通い合う意志は、なしくずしに、なぁなぁと、しがらみに流されゆく普通の「老後」とは違う。いや太郎から老後を奪い取って、表現者の栄光を与え続けたのが敏子さんだった。 

太郎の名言「老いるとは、衰えることではない。年とともにますますひらき、ひらききったところでドウと倒れるのが死なんだ」。こう言い切り、こう生き切れたのは、秘書の彼女あってのことだった。

パーキンソン病で闘病の後、岡本太郎は四年前に84歳で亡くなった。死の前日も上等のワインでローストビーフを平らげた大往生だった。