日本経済新聞 『描かれたエルダー』 
石井信平 

荷風的晩年


永井荷風作「勲章」を読む

 
老いて、人はどこか「入り浸る」場所をもつべきだ。茶室に風雅を探り、愛人宅に
足繁く通うなど、この世の見納めの場所を、おのおの確保したいものだ。

晩年の永井荷風にとって、ストリップ小屋の楽屋がそれだった。「勲章」は、半裸の
女たちが、ごろごろ横たわる乱雑な場所で、時を過ごす老人の心境を描いている。

そこは「花屋の土間に、むしり捨てた花びら」が掃かれもせずに散らばっているような
場所だった。安香水と油と人肌が混じった重い匂いがたちこめ、彼はそこで「緩かな
淡い哀愁の情味」にひたることができた。ああ、こういうところではないか、男が長い
人生の果てに、ほうけた顔でいつまでも「入り浸って」いたい場所は・・・。

荷風はそこで、岡持ちをもって出入りする、赤ら顔の爺さんに出会う。丼飯を楽屋に運
ぶ男は、日露戦争での手柄話が自慢だ。踊り子たちは「じゃ、その勲章を見せておく
れ」とせがむ。爺さんが腹掛けの中から大事そうに取り出したのは勲八等瑞宝章。舞
台衣装の軍服を着せて「私」が爺さんの写真を撮ることになった。踊り子が服に縫い付
けた勲章は、左右逆の位置だった。爺さんもボケてそれに気付かない。

「私」は仕上がった写真を引き伸ばし焼き付ける時、仕方なくフィルムの裏表を逆にして
楽屋に持っていった。しかし爺さんは、あれ以来ピタリと来なくなった。折角写した写真
なので、身寄りでもあれば届けたい。そう思いつつ、「私」は相変わらず楽屋に入り浸る。
風紀を乱す行為に及ぶには、もう「体力がない男」と見なされることの気楽さよ。

木戸銭を払わずに、裏口から出入りする人生には、正統な老いとは別な達観がある。
世間の常識からずれて、左右を逆にして生きて、なお、そこが居心地いいならば、誰に
遠慮することがあるだろう。

永井荷風は「文化勲章」で人生の最後を飾った。そう世間に思われている。だが、その
勲章をボロ畳の部屋に放置し、通い続けたのが、素肌のままの女たちがいる楽屋だった。