「週刊朝日」書評
みすず書房刊
S・ブルッフフェルト P・A・レヴィーン 中村綾乃著
高田ゆみ子訳
『語り伝えよ、子どもたちに』
副題 ホロコーストを知る
定価1800円(税別)
いい本は、面白い本とは限らない。ナチスによるユダヤ人虐殺の事実を、有り余る文献、証言、写真で再構成した、みごとな「教科書版・ホロコーストの真相」である。読み終えても口に出せない、「あー面白かった!」
本書は公共教育プロジェクト「生きている歴史」の一環としてスエーデン政府の委託で書かれた。忌まわしい歴史を記憶し、記録しようとする姿勢は「彼らの過ちは、われらの罪である」という、統合された欧州の気概を感じさせる。
ホロコーストの衝撃は、フランクル「夜と霧」、映画「ショア」などで充分に体験済み、のつもりで読み進んだ。しかし、まだまだ知らないことが一杯あることを教えられた。ユダヤ人六百万人を殺した側と、その真相を調べ尽くそうという肉食人種の激突を、闘牛場の観客席から眺める思いだ。子供に語るどころか、これを知ってる「おとな」が日本にいるのか、である。
闘牛場と書いたが、ここには血も歓声もなく、実に淡々と事実経過が記されて行く。虐殺の前提として、ユダヤ人たちは、どのような「日常の暮し」から拉致され、搬送され、選別され、そして最終的に殺されていったか。その静かな語り口は、怖いぐらいだ。少女の身分証明書、ピアノを弾き、教室で笑う学童たちのセピア色の写真。日常を暗示する数々の物証が切なく、ここから彼らは連れ出されていった。
ふつうの路上で、商店街で行列を作って行進し、列車に乗せられ、幾度も積み替えられ・・・という描写で、ハタと膝を打ちたくなる。巨大なホロコーストは、ナチスという「ならず者集団」だけで完遂できるわけがない。公職に携わる多くの一般ドイツ人が加担し、傍観し「疑いの声を発することもせず、追従していた人々の大半は、まったく『普通の人々』だった」。
さらに銘記すべきは、一九三一年十二月「ドイツ国内の失業率が急上昇、五六〇万人が失業」という年表の一行だ。虐殺の前提に、今の日本と同じ「不況」があった。また、ナチスの暴走を止めることに、何ら有効な手を打たなかった「国際社会」の無力も挙げなかればならない。ドイツに占領されたフランス、オランダ、ノルウエー、ハンガリー政府はユダヤ人の搬送に協力し、ユーゴやルーマニア政府はユダヤ人迫害政策を推し進めた。アメリカ、イギリスによる長期の「傍観的態度」を記すことも、本書は忘れてはいない。鉄道も教会も学校も、みーんなナチスに手を貸したんじゃないのか? 日本人にとっては対岸の火事、歴史の闘牛場で、高みの見物である。
本書の冒頭「日本の読者へのメッセージ」で著者はこういう。「多くの日本人官僚と市民は、危険にさらされ困窮の中にあったユダヤ人を援助することを選んだのです」。これは、挨拶としても甘すぎる一言ではないか?
なるほど、在リトアニア領事館、杉原千畝の「六千人の命のビザ」は有名な話だ。官僚として、国からの訓令よりも、人道的義務を優先させた彼は勇気ある人だった。しかし、日本の外交史上、そのような人物がたった一人しかいなかったことのほうが問題ではないのか。彼は帰国後、免職同然の仕打ちを受け、半世紀も経って国際的得点を読んだ日本国外務省は、急いで彼の「名誉回復」に奔走した。
控えめな装丁、知性と抑制の効いた、お行儀のいい本だ。本書を面白く読むには、ちょっとした想像力と、問いかけをもって読み進むことである。それは、ホロコーストが進行している最中、ヨーロッパの隅々まで情報収集の特権をもっていた日本の外交官とジャーナリストたちが、いったい何を見て、どんな情報を本国に送っていたのか、ということだ。まして枢軸国の一員で、その気になればドイツ中枢の意思決定や、強制収容所の実態を把握することに、何の困難があっただろう。明敏な目なら、路上の異変に気づくはずだ。
「知らなかった」ではすまない、怠慢な外交官とジャーナリストをもった事実。日本人が子供たちに伝えるべきはそれではないのか。