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2009年7月16日 14:20に石井信平が原発不明がん由来による胸膜炎でこの世から旅立ちました。 2008年11月に原発不明ガンのリンパ節転移のステージ4との診断を受けました。以来、抗ガン剤治療、高濃度ビタミンC点滴治療など亡くなる寸前まで生きるべく、治療を続けてまいりました。 しかしながら、肺気胸が原因による窒息で、7月8日の夜、緊急入院となりました。入院9日間を何度も危険な状況から脱し、戻ってきてくれましたが、胸膜炎を併発した肺が限界だったのでしょう。最期までゆっくりと、大きく呼吸を続けながら、沢山の親類、友人達に囲まれ緩やかに息を止めました。 最期は精神だけで生き続けた9日間でした。詳細は、石井信平ブログでご報告させて頂きました。 2009年7月19日 2009年7月20日 このページは石井信平の友人、仕事仲間によって記された「石井信平の思い出」を編纂したものです。(敬称略) |
生い立ち |
同志社大学 |
同志社アーモスト館 |
筑摩書房 |
テレビマンユニオン |
ラジオDJ |
石井信平として |
夫として |
時代別 | タイトル | 著者 |
生い立ち | 「愛する弟 石井信平のこと」 | 井出道子(姉) |
中高時代 | 「信平さんの思い出」![]() |
水谷登志一(杉並区宮前中学校第九回卒業生・同級生) |
同志社大学 | 「珠玉のコントラバス」 | 木下利彦(グリークラブ同期) |
同志社アーモスト館 | 「愛惜、走馬灯」 | 土野繁樹 (Toru 65) |
岡島貞一郎 (Dora 65) | ||
吉ア雅俊(Desh 74) | ||
金 龍周(Masan 77) | ||
Message |
Richard Freeman, |
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筑摩書房 | 菊地史彦(筑摩書房元同僚) | |
「怖かった最初の印象、親しみを感じた次の印象、ちょっと辛かった最後の印象」 |
鈴木松子(筑摩書房元同僚) | |
テレビマンユニオン |
稲塚秀孝(元テレビマンユニオン・タキオン同僚) |
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ラジオDJ | 「信平さんへ」 | 武田双雲(書道家) |
石井信平として | 「知的で、無邪気で、愛すべき“固ゆで卵”を偲んで」 | 石井俊哉(元GOGGLE担当編集者) |
「石井信平さんを想う。」 | 辛淑玉(人材育成コンサルタント・作家) | |
新京一中東寧会 牧野良一 | ||
「ステキでいらした“信平”さまへ」![]() |
阿川泰子 | |
「信平氏に捧げる回文」 | 角田ノブキ(回文作家・ドラマー) | |
POW研究会 | あまりにも早すぎた石井さんの死 | 内海愛子 |
おくやみ | 小野木祥之 | |
笹本妙子 |
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敦子さん | 西里扶甬子 | |
石井信平さんの訃報に接し | 福林徹 | |
夫として | 「同志のように、少年のように。」 | 石田涼子(ヨガインストラクター) |
その他ブログリンク一覧(著者名順) | ||
ブログ名 | タイトル | 著者 |
赤尾晃一の 知的排泄物処理場 |
石井信平を追悼する | 赤尾晃一 |
『二重被爆』通信スタッフ日記 | 私の仕事(133)合掌!石井信平さん | 稲塚秀孝 |
私の仕事(134)合掌!石井信平さん その2 | ||
私の仕事(135)合掌!石井信平さん その3 | ||
サーカスな日々 | 終末から/石井信平(フリージャーナリスト)/66歳 | kimion20002000 |
高野 雲の快楽ジャズ通信 | 石井信平さん、安らかに! | 高野雲(JAZZナビゲーター) |
書の力 | 友人の死 | 武田双雲(書道家) |
HALTANの日記 | ■[TVから遠く離れて]石井信平さん死去 | HALTAN |
Drop in Bar Bucchi1969 | 石井信平さんのこと | Bucchi1969 |