『第67回神雷隊慰霊祭を挙行』

 平成24年3月21日(木)15:30から北鎌倉建長寺 正統院において湘南水交会主催により第67回
神雷隊慰霊祭が執り行われた。当日は、桜の開花には少し早かったが好天に恵まれ、ご遺族をはじめとする
神雷隊関係者、海上自衛隊から第4航空群司令及び横須賀地方総監部管理部長、横須賀地方隊及び第4航空
群各先任伍長等、湘南水交会から落合顧問、功刀前会長、役員等、総勢47名が参列した。
清ア湘南水交会
会長の挨拶に続いて、雪(すすぎ)文(ぶん)庸(よう)
建長寺 正統院住職の読経の流れる中、御霊安か
れと参列者全員が線香を供えた。その後本堂で懇親会が開かれ、雪住職から「神雷隊の隊員、ご遺族、関係者
の方々が高齢になり、お参りする人も少なくなると思っていたが、今日に限らず一年を通じてお参りをいただ
くようになってきた。毎週日曜日に座禅の会を開いているが、来られる人の中にもお参りを希望される方がお
り、神雷隊の方々も喜んでおられることと思う。」とのお言葉があり、改めて一人でも多くの人に神雷隊の歴
史を語り継がなければならないとの思いを強くした。続いて神雷会代表の湯野川守正氏(兵71期)から謝辞
が述べられ、その後、神雷隊の隊員及びご遺族を囲んで往時の思い出に話が弾み、17:00頃に散会した。

神雷隊とは、特攻兵器「桜花」を主戦兵器として昭和19年10月編成された第721及び第722航空隊
の別称である。「神雷隊戦士の碑」は、昭和40年3月21日「神雷隊戦士の塔」として、旧隊員で建長寺寮
頭正統院住職であった竹谷行康氏(一飛曹)と旧隊員のご尽力により同院の墓地の背後にある洞窟の中に建立
されたもので、除幕式が行われた3月21日は、最初の特攻が行われた日にあたる。式典には当時海軍の従軍
記者であった作家の川端康成氏や山岡荘八氏も参列したという。同碑は、平成5年10月1日、戦没者総員の
氏名及び出撃年月日と出身県名等が彫りこまれたステンレス製の碑に改修された。

本慰霊祭は、鎌倉水交会が昭和48年、総会を正統院で開催したのを機に毎年3月21日に挙行されるよう
になり、平成14年4月、鎌倉水交会が水交会に大同合併した以後は湘南水交会が受け継いでいる。

                                   (武田担当幹事 記)



 




                                         (武田、星担当幹事、撮影)