神雷隊慰霊祭を挙行

平成25年3月21日(木)15:30から北鎌倉建長寺正統院において、湘南水交会主催により神雷隊慰霊祭が執り行われた。

当日は、桜が開花した晴天の下、ご遺族をはじめとする神雷隊関係者、海上自衛隊から第4航空群司令及び横須賀地方総監部施設課長、横須賀地方隊先任伍長等、並びに夏川水交会会長及び湘南水交会の功刀顧問、役員等、そして一般の方をも含め総勢40名を超えた方々が参列した。

清ア湘南水交会会長の挨拶に続いて、雪文庸(すすぎ ぶんよう)建長寺正統院住職の読経の流れる中、御霊安かれと参列者全員が線香を供えた。

その後、本堂で懇親会が開かれ、雪住職から「神雷隊の隊員、ご遺族、関係者の方々から、書籍等では得られない当時のご様子などの貴重なお話を伺うにつれ、神雷隊隊員の御霊を今後ともお守りしなければならないとの想いをより一層強くしている」とのお言葉があった。続いて、神雷会代表の湯野川守正氏(海兵71期)から謝辞が述べられるとともに、第4航空群司令の森田海将補から「神雷隊について、@後世に伝える、A御霊を守る、B国に殉ずる意義を改めて考える」ことへの意思表示があり、また、ご遺族の一人で、昨年この慰霊祭を知り北海道より参加された茂木尚氏から「遺族としてはこの様な立派な慰霊祭を執り行なって頂き感謝している。体の許す限り来年以降も参列したい」旨の話しとともに、「神雷部隊碑の由来」が掲載された海軍第14期会会報のコピー30部を持参され内容を紹介された。その後、神雷隊の隊員及びご遺族を囲んで往時の思い出に話が弾み、17:00頃に散会した。

神雷隊とは、特攻兵器「桜花」を主戦兵器として昭和19年10月編成された第721及び第722航空隊の別称である。「神雷隊戦士の碑」は、昭和40年3月21日「神雷隊戦士の塔」として、旧隊員で建長寺塔頭正統院住職であった竹谷行康氏(一飛曹)と旧隊員のご尽力により同院の墓地の背後にある洞窟の中に建立されたもので、除幕式が行われた3月21日は、最初の特攻が行われた日にあたる。式典には当時海軍の従軍記者であった作家の川端康成氏や山岡荘八氏も参列したという。同碑は、平成5年10月1日、戦没者総員の氏名及び出撃年月日と出身県名等が彫りこまれたステンレス製の碑に改修された。

本慰霊祭は、鎌倉水交会が昭和48年、総会を正統院で開催したのを機に毎年3月21日に挙行されるようになり、平成14年4月、鎌倉水交会が水交会に大同合併した以後は湘南水交会が受け継いでいる。
                                         (鈴木担当幹事記)



 

  

    

                                 (武田、鈴木、星担当幹事 撮影)