神雷部隊慰霊祭を挙行

  平成27年3月21日(金)15:30から北鎌倉建長寺正統院において、湘南水交会主催により神雷部隊慰霊祭が執り行われた。

当日は曇天の下、ご遺族及び神雷部隊関係者、防衛省から神奈川地方協力本部長高田1佐、海上自衛隊から第4航空群司令部首席幕僚瀬戸1佐、横須賀地方総監部管理部長梶元1佐、同地方隊先任伍長関海曹長、並びに水交会関係者、そして一般の方を含め総勢56名が参列した。

光中湘南水交会会長の挨拶に続いて、雪文庸(すすぎ ぶんよう)建長寺正統院住職の読経の流れる中、御霊安かれと参列者全員が焼香を捧げた。

その後、本堂に場所を移して懇談会が開かれ、光中会長からの主催者代表挨拶に続き、御遺族を代表して神雷部隊隊長、野中少佐の直孫野中健太郎氏からご挨拶があり、隊長の妻(祖母)は100歳近くなられたが今もご存命であることや、その祖母から聞いた隊長との興味深い会話などが披露され、一同感慨深く拝聴した。その後、防衛省を代表して瀬戸慶一4空群首席幕僚からご挨拶があり、海軍航空部隊の後輩として自分たちもしっかりと勤務に邁進してゆく決意や、慰霊顕彰の大切さを部隊に伝えてゆく旨の言葉をいただいた。

引き続き、初めて参加された方々の紹介があった。今回の慰霊祭は70周年という節目のこともあり、マスコミ関係者や出版関係者からの参加も多数あり、また高齢で出席できなくなった関係者のお孫さんの代理出席や、九州からのご遺族のご参拝など、さまざまな方面からのご挨拶やお話が伺え、懇談会は大いに盛り上がった。

最後に雪住職から、「神雷部隊の方々がご高齢となりこの慰霊祭の存続も気になっていたが、湘南水交会に引き継がれ、関係者のお孫さんを含めたご遺族、関係者の方々や一般の方々、そして現役の海上自衛官が大勢参拝されるようになり安堵するとともに、本慰霊祭がますます盛況になっていくのを心強く思う。最近『武蔵』発見のニュースが世間を驚かせたが、この慰霊祭を通して現在の自分たちの幸せを実感すべく、住職として今後も慰霊碑をお守りし供養して行きたい」、とのご挨拶があった。

懇談会は盛会の中、17:00頃に来年の再会を期し散会となった。

神雷部隊とは、特攻兵器「桜花」、その母機一式陸攻、そしてその掩護戦闘機からなり、昭和19年10月に編成された第721航空隊の別称である。「神雷戦士の碑」は、昭和40年に元隊員で建長寺正統院住職であった竹谷行康氏(一飛曹)と元隊員のご尽力により同院墓地の背後にある洞窟の中に建立されたもので、除幕式が行われた3月21日は、最初の特攻が行われた日にあたる。式典には当時海軍の従軍記者であった作家の川端康成氏や山岡荘八氏も参列したという。以後この慰霊碑は正統院住職により守られ、平成5年10月1日、戦没者総員の氏名及び出撃年月日と出身県名等が彫りこまれたステンレス製の碑に改修された。

本慰霊祭は、鎌倉水交会が昭和48年、総会を正統院で開催したのを機に毎年3月21日に挙行されるようになり、平成14年4月、鎌倉水交会が水交会に大同合併した以後は湘南水交会が受け継いでいる。            

                                     (岩ア担当幹事記)

   

 

 

                      (星担当幹事 撮影)