神雷部隊慰霊祭を挙行 

平成30年3月21日(水)13:30から北鎌倉建長寺正統院において、湘南水交会主催により神雷部隊慰霊祭が執り行われた。

当日は、本慰霊祭初めての降雪の中、ご遺族及び神雷部隊関係者、海上自衛隊から第3航空隊司令藤澤豊1海佐をはじめ、横監援護業務課長内田2佐、香月、黒川両先任伍長等、並びに水交会関係者、そして一般の方を含め総勢60名が参列した。

正統院本堂内にて、参列者総員による黙祷の後、植月湘南水交会会長の挨拶に続き、特攻部隊戦没者慰霊顕彰会理事長藤田幸生氏からの追悼文が、同会評議員の原智崇氏代読により奉納された。引き続き、雪文庸正統院住職の読経の流れる中、御霊安かれと参列者全員が焼香を捧げた。

その後、懇談会が開かれ、会長挨拶に続き、旧海軍を代表して田中弘邦氏からご挨拶があり、終戦直後に同氏が参加された苛烈な機雷掃海作業において出会われた、元神雷部隊隊員との交流、特にその潔い姿に感銘を受けた話などが披露され、一同感慨深く拝聴した。その後、海自を代表して藤澤1佐からご挨拶があり、航空部隊の後輩として先人の遺志を受け継ぎ、我々もしっかりと国防に邁進してゆくという力強い決意表明をいただいた。

引き続き、初めて参加された方々の紹介等があった。今回の慰霊祭では、悪天候の影響等もあり神雷部隊関係者の参加が減る一方、初めて参加する若い有志会員のご参拝もあり、最後にご住職からお気持ちのこもった暖かいご挨拶をいただいた後、参加者は来年の再会を期し散会となった。

神雷部隊とは、特攻兵器「桜花」、その母機一式陸攻、そしてその掩護戦闘機からなり、昭和19年10月に編成された第721航空隊の別称である。「神雷戦士の碑」は、昭和40年に元隊員で建長寺正統院住職であった竹谷行康氏(一飛曹)と元隊員のご尽力により同院墓地の背後にある洞窟の中に建立されたものである。この除幕式が行われた3月21日は最初の神雷部隊特攻が行われた日にあたる。式典には当時海軍の従軍記者であった作家の川端康成氏や山岡荘八氏も参列したという。以後この慰霊碑は正統院住職により守られてきたが、平成5年10月1日には、戦没者総員の氏名及び出撃年月日と出身県名等が彫りこまれたステンレス製の碑に改修された。

 本慰霊祭は、鎌倉水交会が昭和48年、総会を正統院で開催したのを機に毎年3月21日に挙行されるようになり、平成14年4月、鎌倉水交会が水交会に大同合併した以後は湘南水交会が受け継いでいる。   (安藤企画担当幹事 記)


 
(安藤企画担当幹事 撮影)