神雷部隊慰霊祭を挙行 

令和3年3月21日(日)13時から北鎌倉建長寺内正統院において、湘南水交会主催により神雷部隊慰霊祭が執り行われた。

本年は、17日に首都圏の1都3県に発令された新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が、当初の期限から再延長され、結果的に慰霊祭当日の3月21日で全面解除されることとなったものの、感染者の微増や、変異種の相次ぐ発見など予断を許さない状況下での対応を強いられた。

一方、本年度は終戦75周年となることから、神雷部隊及び湘南水交会にとっても大きな節目の年になる。このため、昨年に引き続き“中止”とすることには、会員のみならず神雷部隊関係者及び参列希望者にも大きな抵抗感があると推察された。このため、状況の顕著な好転はないことを前提として、当会主催の慰霊祭が「クラスター」になることは絶対に阻止することが肝要として準備することとなった。

そこで本年の慰霊祭については、湘南水交会の代表者のみにより実施し、神雷部隊関係者、毎年参列頂いている有志の方々及び湘南水交会役員には各居所において、開始時刻に合わせて遥拝をお願いすることにした。

当日は、風雨の極めて強い文字通り「春の嵐」のなか、湘南水交会から山本高英会長以下3名と、望外のことではあったが、開始時刻に合わせて来られた竹下邦雄神雷隊元隊員及び同行者の2名が参列した。参列者は「神雷戦士の碑」の清掃を行った後、献花、焼香及び拝礼を実施し、戦没者を慰霊するとともに我が国の平和と安定を祈り慰霊祭を終えた。

その後、正統院の雪(すすぎ)住職にご挨拶をしたところ、「来年こそは普段通りの∴ヤ霊祭を是非実施したい」旨を述べられ、参加者一同「普通の日々」のありがたさを痛感した。                    (安藤企画総括幹事 記)

 

【参考】

神雷部隊とは、特攻兵器「桜花」、その母機一式陸攻、そしてその掩護戦闘機からなり、昭和19年10月に編成された第721航空隊の別称である。「神雷戦士の碑」は、昭和40年に元隊員で建長寺正統院住職であった竹谷行康氏(一飛曹)と元隊員のご尽力により同院墓地の背後にある洞窟の中に建立されたものである。この除幕式が行われた3月21日は最初の神雷部隊特攻が行われた日にあたる。式典には当時海軍の従軍記者であった作家の川端康成氏や山岡荘八氏も参列したという。以後この慰霊碑は正統院住職により守られてきたが、平成5年10月1日には、戦没者総員の氏名及び出撃年月日と出身県名等が彫りこまれたステンレス製の碑に改修された。

本慰霊祭は、鎌倉水交会が昭和48年、総会を正統院で開催したのを機に毎年3月21日に挙行されるようになり、平成14年4月、鎌倉水交会が湘南水交会に大同合併した以後は湘南水交会が受け継いでいる。


 

 (安藤企画総括幹事、今井担当幹事 撮影)