神雷部隊慰霊祭を挙行

 令和4年3月21日(月)13時から北鎌倉の建長寺内正統院において、湘南水交会主催により「神雷部隊慰霊祭」を執り行った。

新型コロナウィルスの影響で、令和元年度、2年度と連続で従来どおりの慰霊祭ができなかったことから、関係者一同、今年度こそはと願っていたが、年明けからの「第6波」により神奈川県を含む35都道府県に「まん延防止等重点措置」が発令されたことから、当会としても多人数による実施は困難と判断。今年度の慰霊祭は、湘南水交会役員の代表者による実施とし、慰霊祭関係者の皆様には各居所において、開始時刻に合わせて遥拝をお願いすることとした。

当日は、桜の開花の知らせとともに雲一つない青空のもと、麗らかな彼岸日和となり、湘南水交会から中田芳基会長以下8名と、開始時刻に合わせて見えられた神雷部隊元隊員の竹下邦雄氏が参列した。慰霊祭は、戦没者に対する黙祷、中田会長による追悼の辞に引き続き、正統院の雪(すすぎ)住職、副住職による読経のもと、焼香及び拝礼を実施し、国と家族の安寧を願いながら大空に散った英霊の皆様を慰霊するとともに、の想いに報いるためにも、我が国の平和と繁栄に少しでも貢献できるよう、努力を重ねていくことを誓った
 なお、当日は、神奈川新聞による取材があり、翌日の朝刊で紹介された。

慰霊祭の実施にあたり、多大なご支援を頂いた、正統院の雪住職をはじめ、建長寺の皆様に改めて感謝を申し上げるとともに、航空部隊出身者の多い湘南水交会としてはなおさら、先の大戦において散華された航空機搭乗員の皆様の姿と想いを忘れることなく次の世代に語り継ぎ、顕彰を続けていきたい。      (渡邊企画総括幹事 記)

【参考】
「神雷部隊」とは、大東亜戦争における戦局も厳しさを増す昭和19年10月、ロケット特攻兵器「桜花」、その母機一式陸攻、そしてその掩護戦闘機により編成された海軍第721航空隊の別称である。「神雷戦士の碑」は、昭和40年当時、元隊員で建長寺正統院住職であった竹谷行康氏(一飛曹)と元隊員のご尽力により同院墓地の背後にある洞窟の中に建立された。以後この慰霊碑は正統院住職により守られてきたが、平成5年には、現在のステンレス製の碑に改修され、「桜花」による特攻に加え、映画「永遠の0(ゼロ)」でも描かれたように(尾翼の部隊番号とマークは721空)、爆装零戦による特攻等を含め、神雷部隊の戦没者829柱すべての氏名及び出撃年月日、出身県名等が彫りこまれ、現在に至っている。

 本慰霊祭は、鎌倉水交会が昭和48年、総会を正統院で開催したのを機に、最初の神雷部隊特攻が行われた昭和20年3月21日に因んで、毎年3月21日に挙行するようになり、平成14年、鎌倉水交会が湘南水交会に大同合併した以後は湘南水交会が受け継いで実施している。   


  
  (渡邊企画総括幹事 撮影)