砕氷艦「しらせ」出国行事に参加

 令和5年11月10日()、海上自衛隊横須賀基地逸見岸壁において、砕氷艦「しらせ」の出国行事が行われ、湘南水交会から眞木会長が参加しました。

統合幕僚監部によれば、今回の協力活動に参加する艦長 齋藤 一城(さいとう かずき)1等海佐以下乗員約180名は、令和5年11月10日(金)から令和6年4月8日(月)の間、第65次南極地域観測支援の為、約80名の観測隊員等の人員輸送、約1,600トンの物資輸送(持ち帰り廃棄物を含む)、艦上及び野外観測、基地設営等の支援作業を行います。

11月下旬にオーストラリア南西岸にあるフリーマントルに寄港し、観測隊員を乗艦させ、12月初旬に南極圏に入り12月下旬に昭和基地沖に接岸、上記の支援任務を行った後1月下旬に昭和基地沖を離岸、再びフリーマントルで観測隊員を退艦させ、4月に帰国予定です。総行動日数151日(南極圏99日)、総航程約18,000マイルの行動予定です。

出国行事では、統合幕僚長訓示(代読)、海上幕僚長壮行の辞、国立極地研究所所長の挨拶においてそれぞれの立場から、地球温暖化・気候変動の問題が世界共通の課題となっている昨今、南極地域における極地観測には問題解決の手掛かりとなることが期待されるとともに、その支援に当たる砕氷艦「しらせ」の任務もこれまで以上に重要になっており、本支援活動における任務を全うし、来春の総員の無事の帰国を願うという趣旨の話がありました。その後、艦長からの出国報告、乗員乗艦、出港・見送りの順で行われました。

見送りの方々への艦側の配慮と思われますが、当日は雨であったこともあり、出航予定よりも約25分早く「出港用意」が令され、乗員及び出港支援の隊員の息の合った連携のもと、スムーズ、且つスマートな出港であったと感じました。

岸壁では、地元横須賀に所縁のある政治家、支援団体等の来賓、酒井海上幕僚長、齋藤自衛艦隊司令官等在横須賀の指揮官、横須賀の上曹会等現役自衛官及び「しらせ」乗員のご家族等、多数の参加者が見送る中、乗員の奥様と思われる女性に手を引かれた小さなお子さんが、何度も何度も繰り返して、「いってらっしゃーい!」と叫ぶ声が、涙雨の中で響き渡っていたのが大変印象的であり、任務の完遂と航海のご安航を祈りつつ帰路に着きました。(この模様は横監のYouTubeで見ることができます。)     (眞木会長 記)

 

<余 談>  

南極の昭和基地に辿り着くには幾つかの困難を克服する必要がありますが、その代表的なものは、南半球の暴風域と氷です。以下は、筆者が現役の頃に南極行動に従事した艦長などから聞いた話です。記憶違いもあるかもしれませんが、「しらせ」ならではの世界をご紹介します。文責は筆者にあります

余談@:「吠える40度、狂う50度、絶叫する60度」         

 これは、フリーマントルを出港後、南緯40度付近から60度付近にかけて大陸がないことから、次々と発生した低気圧が勢力を維持したまま押し寄せるため、この海域が常に荒れている様子を言い表す言葉だそうです。今の「しらせ」は性能も向上しており、船の動揺も以前よりは緩和されていると思われますが、先代の「しらせ」では、「最大で片側53度、もう片側は41度で、併せて90度を超える揺れだった」(2018.4.21 1100産経新聞電子版)こともあるそうです。スキーの上級コースの傾斜でも35度前後であることを考えると、何日もこの様な気象、海象の続く中、艦の動揺、船酔いに耐えながらの航海が如何に大変であったかは想像に難くないと思います。 航海のご安全をお祈りします。

余談A:ラミング

 暴風圏を抜けた後に待っているのが、氷です。先ずは流氷。映画「タイタニック」を見ても分かるように、流氷は水面上に出ている部分よりも水中にある塊の方が遥かに大きく、巨大流氷との衝突は砕氷艦と言えども避ける必要があり、昼夜を分かたず気の抜けない航海が続きます。次に厄介なのが南極大陸を覆う氷です。この氷の量、厚さはある年は薄く、翌年は厚いという風に、地球温暖化の動きとは連動せず、その年ごとに違っているそうです。昭和基地の近くまで艦を進出させるためには、この氷を砕いて進む必要があります。砕氷艦という名の如く、分厚い船首の外板で氷を砕きながら進んでいくというイメージをお持ちの方も多いと思いますが、現実はそれほど簡単ではないそうです。分厚い氷に行く手を阻まれると砕氷艦も前進することができなくなります。その場合、後進を掛けて一定の距離までバックして、再度前進し一定のスピードを付けて船首から氷に乗り上げて船の重さで氷を潰し割るのだそうです。一定の距離を取って、前進、乗り上げ、艦の重さで氷を粉砕、この一連の行為を「ラミング」といい、南極大陸を覆う氷が分厚い年は、これを何百回と繰り返して少しずつ前進します。したがって、昼夜を分かたず衝突を繰り返す日々が続き、乗員はこの衝撃に耐え続ける必要があります。どこまで昭和基地に近づくかは、その年の氷の状況、実施する支援作業に必要な日数等を勘案して艦長が判断します。氷の薄い年はラミングの回数は少なくて済みますが、薄すぎると物資の搬送中に氷が割れて海中に転落する心配も有り、これもまた厄介な問題です。

余談の余談:昭和基地沖の接岸方法

通常の港湾施設の様に、昭和基地に艦船が接岸する岸壁があるわけではありません。先述したとおり、どこまで昭和基地に近づくのかは、その時々の状況で艦長が判断しますが、以後の観測隊員の下船や、物資の積み下ろし、輸送をスムーズに実施する為には、艦を安定的に固定する必要があり、数本の錨を打つそうです。この錨は、通常我々がイメージする鋼材を鎖で繋いだものではなく、大きな丸太の中央をロープで結び、昭和基地近くの分厚い氷に穴をあけて縦にして差し込み、氷の底で丸太を横にして引っ掛けて固定し、これを複数本打って、艦を安定させるのだそうです。