平成21年艦艇部隊研修(護衛艦「ひゅうが」研修等)

  湘南水交会は、平成21年10月5日(月)午後、米海軍横須賀基地内のバース7に係留中の護衛艦「ひゅうが」(艦長:山田勝規1等海佐)において、艦艇部隊研修を実施した。当日は生憎雨天であったが、114名の会員等が参加した。
 
  艦内見学に先立ち、河野護衛艦隊司令官から「海上自衛隊の現状」と題して、約1時間の講話が実施され、体制移行により護衛艦隊の任務は、フォースプロバイダーとして部隊を所望の練度に訓練・管理することとなり、フォースユーザーの自衛艦隊司令官及び地方総監が必要とする兵力を提供するようになったことが分り易く説明された。
 
  護衛艦隊の兵力は現在、隊員約11,000名、護衛艦52隻、補給艦5隻、訓練支援艦2隻、輸送艦3隻、LCAC6艇となり、従来のように1個護衛隊群とはいえ1つの母港で8隻に対して造修、補給、練成訓練等を一斉に実施して即応艦にすることは困難なため、体制移行後は例えば第1護衛隊群であれば、母港は横須賀、呉、佐世保、舞鶴に分散しており、その中の護衛隊といえども母港を異にする艦がいることが説明された。このようにして4個護衛隊群のうちの1個護衛隊群は、何にでも対応可能な即応部隊とし、また、その途上の部隊、練成訓練中の部隊、修理期の部隊の4つ区分して、自衛艦隊司令官及び各地方総監の要望に応えられるように練度を評価し、監理していること等が説明された。
  次に、海賊対処に至るまでの海上自衛隊等の活動についての紹介があった。
  戦後の一時期、わが国では自衛隊の運用を考慮しない政治の時代が続いたが、1991年4月、湾岸戦争の終結に伴い戦後初の実機雷処分としてペルシャ湾に派遣された掃海部隊の活躍により自衛隊を運用するというステージが上がり、その後の国連カンボジア暫定機構への自衛隊の派遣、国連モザンビーク活動及びルワンダ難民救援等への自衛隊派遣の流れを作ったこと。
 10年後の2001年9月11日に発生した同時多発テロに際しては、湾岸派遣において言われたtoo little too late を払拭するような速やかな行動がとられ、海上自衛隊は戦時下において中立ではないコアリッション側への燃料給油を実施することとなり、自衛隊を運用するステージを更に上げて、その後の航空自衛隊による国外空輸、陸上自衛隊のイラク復興支援への派遣等に結びつけたこと。
  それから約10年後が今回の海賊対処で、自衛隊はシーレーンの防衛にあたっており、日本の商船以外でも希望があれば護衛可能とし、また、警告しても近接してくるものには射撃が可能となったため、補給部隊も射撃訓練を実施して派遣していること等が紹介された。
 講話を拝聴して、海上自衛隊の湾岸、インド洋及び今回の海賊対処への取組みが、いずれも自衛隊を運用するステージの扉を開く先駆けになったことがよく理解できた。
 
 続いて山下1護群司令から、護衛艦「ひゅうが」の要目及び運用法等について説明を受けたのち、艦内を見学した。格納庫から航空機用昇降機で全通甲板に移動したが、改めて艦の大きさを実感した。
 
  1800から横須賀中央近傍のホテルで懇親会が行われ、若松自衛艦隊司令部幕僚長、永田潜水艦隊司令官、畑田横須賀地方総監部幕僚長、河野護衛艦隊司令官、淵之上護衛艦隊司令部幕僚長、山口開発隊群司令、金久保第2術科学校長、山下第1護衛隊群司令、清水海上訓練指導隊群司令、畑田横須賀病院長、山田「ひゅうが」艦長、高橋潜水艦隊先任伍長、西横須賀地方総監部先任伍長及び檜森護衛艦隊先任伍長の参加が得られた。
 
 会員は艦艇部隊研修を通じて海上自衛隊に対する理解を更に深めることができた。
                                                             (武田常務理事 記)









                           
                         (中村理事長、武田、星常務理事 撮影)