『第65回神雷隊慰霊祭を挙行』

平成22321日(日)1530から北鎌倉の建長寺 正統院において湘南水交会主催による第65回神雷隊慰霊祭が執り行われた。当日午後は、春の嵐はおさまったものの、交通機関は朝から大きく乱れていた。

慰霊祭は、「神雷戦士の碑」の前で行われ、ご遺族、旧隊員及び関係者31名と湘南水交会会員15名が参列した。1530功刀湘南水交会会長の挨拶に続いて、(すすき)文庸 建長寺 正統院住職の読経の流れる中、御霊安かれと参列者総員が線香をあげてお参りした。その後本堂に移り、雪住職から神雷隊のことを語り伝えることが何よりの供養になる旨のお話をいただき、神雷会会長の湯野川守正氏(海兵71期)から謝辞が述べられた。本慰霊祭をインターネットで知ったという札幌在住の神雷隊隊員の(たつ)(ざき)(いたる)氏(海兵73期)も参列し、神雷隊の隊員及びご遺族を囲んで往時の思い出に話が弾んだ。懇談会は1700に終了し散会した。

神雷隊とは、特攻兵器「桜花」を主戦兵器として昭和1910月編成された第721及び第722航空隊の別称で、昭和20321日、九州方面に来襲した敵機動部隊に対して第1回神雷隊桜花攻撃を敢行、爾来、沖縄攻防戦から終戦に至るまで爆装した零戦特攻機と共に、神雷桜花攻撃を反復実施し、その壮絶な戦法は米国将兵を戦慄させた部隊である。

神雷隊の慰霊碑は、祖国のため、また同胞のため、一身の犠牲を顧みず敢然として死地に赴いた至純、至高の若者達への鎮魂の碑として、生残りの旧隊員と旧隊員で建長寺寮頭正統院住職であった竹谷行康氏(一飛曹)の尽力により、昭和40321日「神雷隊戦士の塔」として建立されたものである。除幕式には戦時中、海軍の従軍記者であった作家の川端康成、山岡荘八の両氏も参列した。現在の「神雷戦士の碑」は、平成5101日、神雷部隊結成49周年を記念して改修されたもので、829名の神雷隊戦没者総員の氏名、出身県、出撃年月日等がステンレスの碑に刻まれている。

例年321日に行われる慰霊祭は、昭和48年、鎌倉水交会が正統院で総会を開催したのを機に始められたもので、平成144月、鎌倉水交会が湘南水交会に合同加入した後は、湘南水交会が受け継いでいる。                                 
                                      (武田常務理事 記)






                                               (武田常務理事 撮影)