『神雷隊慰霊祭を挙行』  

湘南水交会は321日(月)午後、北鎌倉の建長寺 正統院において神雷隊慰霊祭を執り行った。当日は、東北関東大震災の影響で、交通機関の欠航運休等、実施することも危ぶまれたが、集まれる人で実施するとの方針の下、ご遺族、神雷隊関係者及び湘南水交会会員31名が参列、厳粛に実施した。当日は雨模様だったため、慰霊祭は正統院本堂において挙行、(すずき) (ぶん)(よう) 建長寺 正統院住職の読経の中、参列者総員が焼香し英霊を慰めた。

その後懇談に移り、先ずこの度の大震災において犠牲になった方々のご冥福を祈り黙祷を捧げた後、功刀会長から「神雷隊慰霊祭」の経緯等を含めた挨拶があり、雪住職からは、この度の震災及び原子力災害派遣で活動している自衛官の姿には、国難に際して身を挺して出撃していった神雷隊の皆様の思いが受け継がれているとのお言葉があった。神雷会会長の湯野川守正氏(海兵71期)からは、桜花隊の沖縄戦における菊水作戦は、米軍側に大変な痛手を与え、一時、全軍撤退という話も持ち上がったとのお話があった。懇談会は、神雷隊の隊員及びご遺族を囲んで往時の思い出に話が弾み、夕刻散会した。

神雷隊は、特攻兵器「桜花」を主戦兵器として昭和1910月編成された航空隊の別称で、昭和20321日、九州方面に来襲した敵機動部隊に対して第1回神雷隊桜花攻撃を敢行、爾来、沖縄攻防戦から終戦に至るまで爆装した零戦特攻機と共に、神雷桜花攻撃を反復実施し、その壮絶な戦法は米国将兵を戦慄させた部隊である。

神雷隊の慰霊碑は、祖国のため、また同胞のため、一身の犠牲を顧みず敢然として死地に赴いた至純、至高の若者達への鎮魂の碑として、昭和40321日「神雷隊戦士の塔」として建立され、平成5101日、神雷部隊結成49周年を記念して「神雷戦士の碑」として改修されたもので、829名の神雷隊戦没者総員の氏名、出身県及び出撃年月日等が碑に刻まれている。

                               (武田常務幹事 記)


 

  

                                          (武田、星常務幹事 撮影)