「子どもにも護身術を教えたい! 習わせたい」そんなお気持ちを持つおかあさんが増えているように感じます。子どもが危機を回避するには直観力と「こうすれば逃げられる」という自己信頼感が不可欠で、それを支えるのが大人の普段の関わり方かもしれません。子どもの安全のために、子どもとの関わりや子どもの護身スキルについて思うことを、つらつらと書いてみました。


女性にとってのセルフディフェンス子どもの安全のための、子どもの護身スキルについて思うこと

子どもの安全について社会的関心が高まり、地域パトロールや安全マップの作成活動に多くの大人が力や知恵を寄せていることと思います。まずはそうした方々のご活動に、心から敬意を表したいと思います。

 当方にも親子護身術講座のお問合わせをいただいています。このページの内容は、子どもの安全のための親としての関わり方や護身スキルの習得について、子どもを持つ親である私自身が心がけたい点を中心にまとめたものです。
(親子護身術の講座開催諸事項についてはこちらをご覧ください

  皆様には、お気付きになった点がありましたら、どうかご指導やご提案をお願いいたします。今後も学びつづけて行きたいと思っています。


《1》 備え


『ひとりで遊びに行かない』『遅くなったら外で遊ばない』 これら多くの予防策を、子どもは大人たちから充分に教えられているように思う。「わかってるよ!!」と答える子どもも多いような気がする。


 それでも子どもが事件に巻き込まれてしまうのはなぜなんだろう。


 もしかしたら、これまでの教えではカバーできていない隙間があって、そこを加害者につけ込まれてしまっているのでは?


 従来のアプローチを強化しても、子どもが飽きたりうんざりしたりしていたら、子どもは受け入れられなくなるかもしれない。従来のアプローチの良い点を維持しつつ、隙間を埋めるようなアプローチも必要な気がする。


●「知らない人」についていってしまうのは何故?

 いろんな子どもがいると思うけれど、我が家の子どもたちは、知らない人に簡単についていくタイプではない。また、育児サークルでもたくさんのおかあさんが子どもさんの人見知りの激しさに泣かされていた。 


 なのに、子どもは時として知らない人についていってしまう。これは何故?

 
ついていくということは、少なくとも、子どもが相手を「ついていってはいけない人」とは認知していないような気がするけれど…。


 と考えてみて、思い出したことがある。


 我が家の子どもたちは、私が頻繁に会う友人や知人の「名前」は、あいまいにしか覚えていなかった。

 


 私自身、夫と結婚したてで私の実家に夫と滞在したとき、夫に「さっき来ていらした人は?」と実家への来客について聞かれて、こんな風にしか答えられなかったことがある。
「今の人? ハルノさん(*仮名です)って言うの。同じ町内の人だよ。あ、…でももしかしたら遠い親戚かな? 確かそんな気はする。でもそういえば苗字も知らないなぁ。言い訳するわけじゃないけど、私が物心ついた頃からしょっちゅう来てたし、改めて聞いてみたことがないんだよね」



 子どもは、自分の親の仕事すら知らないことがある。「おじーちゃん、おばーちゃん」の名前を知らないことだってある。ましてや第3者なら、素性がわからなくてもそれだけではさして『不審』な要素にはならないだろう。

 だったら、知っている/知らない(不審/信頼できる)を、どんな基準で線引きしているんだろう?



相手が「大きくなったねぇ」「おばちゃんのこと、わかる?」など、自分(子ども)のことを知っているようなことを言えば、「この人、私のことを知っているみたい。なら、知らない人ではないのかも」と考えても不思議はないなぁ。ましてや、親しげににこやかに接してこられたら、『アヤシイ人、悪い人、不審者』などの言葉のイメージを相手にかぶせるのは難しいのかもしれない。


*  *  *


 こんな風に思ったこともある。子どもは(大人も同じかもしれないけれど)、自分の友達の名前を出されたりするとコロリと行きそうな危うさを持っているんだなぁ〜、と。


 例えば、その昔、英語教室の勧誘のチラシをもらってきた我が家の子ども2号。学校の近くで時折配られているらしい。それはいいのだけど(チラシ配りをどうこう思っているわけではないのです。英語教室をなさる皆様、がんばってください!)、子ども2号は『体験教室に行きたぁーい!!』と言った。


 私が「行きたいのはいいけれど、体験って遊びじゃないんだよ。英語教室に通うかどうするかを考えてみます、っていう意味になるんだよ」と言うと、子ども2号は私の言葉には応えずこう言った。


『○○さん(子ども2号がなかよしの友達の名前)も、その英語教室に行くかもしれないって言ってたから行きたい…』

「『誰が』そう言ってたの? ○○ちゃん?」と私。

『このチラシを配ってたヒトが、そう言ってた』。


 そして案の定、○○さんも同じように、うちの子どもが体験教室に行くかもよ、と言われて誘われていた(^^;。



*  *  *


 うーん。


 これは、子どもにセルフディフェンスを教えるとき、『何からはじめるか』を考えるヒントになるなぁ。



「アヤシイ人から××されたら〜しましょう」では、大事なところが抜け落ちてしまう。かといって「知らない人から声をかけられたら逃げましょう」とやるのも好みではないし、そもそも、『知らない人』の判断の仕方が子どもと大人とでは違うのだから、大人の感覚で物を言ってもあまり意味がないのかもしれない。


 自分で自分を護るには、知らない人についていかない、というよりも、何かの行動をするときには、《情報源を確認することが大事》なのだということ。また、《あやしい人かどうかは、服装や容貌や性別でわかるものではないかもしれない》ということ。


そのあたりが子どもにとってわかりやすく伝えられる必要がありそう。


 また、とにかく違和感を感じたりなんか変な人だなと思ったりした場合には、《その直感を信じて、相手から離れる(逃げる)ことが大事だ》、ということも落とさず伝えたい。




●子どもを「連れていかれる」ことに慣れさせない

“人についていく(連れていかれる)”というのは非常に危険なことだと思う。何故なら、“自分の自由がききにくくなる”から。“相手に私を支配させやすい状況や構造を与えてしまう”ことになるから。


 でも、子どもが大人同様にこの危険さを感じとれるかなと想像すると…。そのような感覚の持てる子育てをしてきたかと自分を振り返ると…。自信がない。


 子どもは、「ほら、行くよ。早く支度して」とだけ言われて、親や大人に“どこかに連れていかれる”ことが多い。



 我が家の子ども1号は話し方がつたない頃から、出掛けるときに「どっちの方に行くの?」「どのくらい(時間)で着く?」「知ってるところ?」「知ってる道、通る?」「どんなとこ?」「何があるの?」などなど、色々と尋ねてきたものだ(^^; 私はついイライラして「そんなことはいいからさっさと支度して!」「どうせ言ってもわからないでしょ?」「はぐれないようにしてれば心配ないから!」などと言ってしまっていた。今考えると猛反省。


 大人は、自分で外出の目的も行先も行き方も理解して(考えて)知っていて移動する。でも、大人に連れていかれる子どもは、大人と同じ量の情報を持ってはいない。

 自戒をこめてこう思う。子どもを、『情報を与えられずに連れていかれる』という扱いに慣れさせてはいけないなぁ、と。



 そう思うようになってからは、子どもの興味関心や発達にあわせて、なるべく子どもにも情報を差し出しながら外出を共にするようにしてきた。
つもり。


★行先の名称や、地名(小学校中学年になったら、地図上でどこなのか)
★ 行った先に誰が(どんな人が)いるのか、何があるのか、どんなところか
★何のために行くのか(何をするところなのか)、どのくらい留まるのか
★ どのような交通機関を使って行くのか、どんなルートで行くのか、移動にどのくらい時間がかかるのか
★ 滞在予定、スケジュールなど



 常日頃から、こうした情報もこちらが意識して子どもに提供するようにしていれば、子どもはそうした情報を与えられない誘いに対し、不安やおそれを抱いてくれるかもしれない。怖れや不安を抱いてくれれば、「なんかアヤシイ。逃げなくては!」と思ってくれるかもしれない。がんばって逃げて、無事に我が家に帰ってきてくれるかもしれない。




●境界意識


 私がセルフディフェンスを学んで目を見開かれたのは、「Violence=バイオレンス」」の定義。私たちはつい『暴力』と受け取りがちだけれど、元々は『侵害、侵入』の意味があると言う。



 すると、暴力は、他者の境界への不当な侵入、侵害行為ということか!

 境界とは、自分と他者との距離をどの程度に保ちたいかという、自分だけにわかるバリアみたいな領域を、『公』の領域と区切るライン。



 空席がたくさんある電車内で、自分のすぐ隣に誰かが座ってきたりすると「なんでわざわざここに来るの?!」とギョッとする。心をゆるした相手には悩み事や胸の内を話せても、近所の○○さんには、たとえ毎日顔をあわせていて親しいからといっても、話すことはできない。


 身体的・精神的に、「ここからは他者から侵害されたくない/踏み入られたくない/簡単にはあかせない」と感じる境目が、境界。



 セルフディフェンスでは、境界意識を常に活用する。自分のスペースは自分だけのものであり、他者が勝手に入っていい場所ではないのだという意識がはっきりしてくると、他者の行為について「これって暴力? それとも私への愛情ゆえのこと?」と悩むことがなくなるから。

 いやいや。たとえ悩んだとしても、Violenceの『徴候』(境界を侵害されたときの自分の体感)に気付くことができれば、より早い段階で暴力を防ぐ行動を起せるようになる。



*  *  *



 私は子育てをしていて、子どもの物理的な境界は侵さないように意識してきたつもり。でも反対に、精神的な境界にたいしてはどうだったか…自信がない。


 例えば、子どもが洗面所やお風呂を使っているとき、どんなに低年齢であっても、必ずノックをして返事を聞いてからドアを開けるようにしていた。


 保育園時代、子どものカバンをむやみに開けないようにと意識して、連絡帳やお弁当箱の出し入れ時などは、「カバン開けていい?」と声をかけ、許可を得てから開けさせてもらうようにしていた。あるいは、「○○が必要だから、出してくれる?」と、必ず本人に扱ってもらうようお願いしていた。


 多少はその甲斐があったのかな。また、周りの方々も我が家の子達に侵入的ではなかったおかげもあって、我が家の子達のきょうだいケンカでは「なんで勝手に触るん?!」「『使わせて』ってさっき言ったじゃん」「でも、まだ『いいよ』って返事してないし!」などというやりとりが聞こえてくる。聞いていると、なんだかとってもホッとする(ギャーギャーうるさいけど…)。


 自分の領域や境界を大切にされる子どもは、きっと他者への『侵入』に対しても気づきを高めて振る舞うことができる。と私は希望を持ちたい。

 悪気のない暴力を振るってしまうことから自分を護ることもできる。
 境界への意識を高めれば、被害者も加害者も生み出さないことができる(と希望を持ちたいー!)。




《2》 暴力が目前に迫ったそのとき、子どもに何ができるか


 最近の防犯グッズはすごいな〜。『いつでも使えるように』ということが配慮された作りにどんどん進化している。
 でも、道具が苦手な私…。グッズを持つ・持ってもらう(子どもに)という方向には、どうも心が動かない。

 そんな私がいつでも使える道具として一番信頼しているのは「声」。声なら、無くすことも忘れることもないから。


 大きくて低く太く、声を出すことで元気になれて気合いが入るような声を、子どもが出せるような練習は、子どもの(親子の)セルフディフェンス講座で欠かせない!と思って毎回入れるようにしている。
 ただ、それが逆に『大きな声を出せなくてはダメよ』というメッセージになては元も子もないので、声がなぜ重要なのかについても子どもさんの年齢を考えなら簡単に補足するのも大事なことだな、と思う。(親御さんへの講座資料には詳しく載せているので、おうちでフォローしていただけたらありがたいです。)




●「いざというときに声は出せない」というのは真実か?


 ブザーが配布される理由のひとつとして「いざというときに声は出せないものだから」という言葉を聞くことがある。それはひとつの事実なのだろうけれど、私はあれについて、「風呂に入らないと身体がかゆくなる」と思われているのと似ているなぁと思っている。

 お風呂に入らなくて身体がかゆくなるのは、肌にホコリやら古い角質やらがたまるからなのではないだろうか。シャワーや清拭(蒸しタオルなどで体を拭くこと)など、「かゆくならないための」別の方法はいろいろある。

 声にも、「いざというときでも声を出すための別の方法や考え方」がある。


*  *  *


 呼吸が止まるというのは、生物にとって死を意味する。酸素濃度の低い血液が脳に届くと、脳はパニックを起こすそうだ。


 だから、パニックを起こさないためにも、呼吸を保つというのは、本当に大切なこと。

 しかし、万が一の突発的な状況で『息を呑んで』しまったら、深呼吸するのは至難の業。それ以上吸う事ができないから。


 ここで『声』を思いっきり出して息を吐けば、次の瞬間、無理なく息を据える。脳に酸素を送り、生命維持ができる。



●声の価値


 声を出せば加害者が驚くかもしれないし、周囲の誰かが気づいてくれて、助けを得やすくなるかもしれない。


 でも、加害者が驚くとは限らない。気付いてくれる人を得やすい状況で暴力を受けるとは限らない。だからこそ、私たちは声を出すことに抵抗を感じるのではないだろうか。「相手が逆ギレしたら…」と考えてしまうし、「こんなところで声なんか出しても、誰にも助けてもらえない」と思う。


 それでも、声を出す価値があるということを、私はWEN-DO(女性のためのセルフディフェンス)のトレーニングで知った。
 声の本当の価値。それは、声を出すと人は元気になれて、集中力を高め、力を発揮しやすい状態に近づける、ということ。



 子どもが楽しそうにエネルギッシュに遊ぶとき、大声を出して笑ったり騒いだりする。万が一の状況でも、子どもがあれくらいエネルギッシュになれたらどんなにいいだろう。


*  *  *



 大声を、助けを呼ぶためのものとして考えず、その人(子)自身が目を覚まして的確な行動を起こしやすくするためのエネルギーとして考えてみると、必ずしも大声でなくてもいいように思う。

 大事なのは、その人自身の気持ちが解放でき、すっきりできる発声だろう。子どもには『大きい声』の大切さも伝えつつ、そればかりを求めすぎないように注意したい。



 そして、報道で助かったとされている子のほとんどは声を使っていることも講座では伝えようと思う。
 あ、そうだ。「大声を出すと不審者は逃走した」「大声を出して逃げて子どもは無事」などの新聞記事をたくさん集めておこうかな?




●子どもにとって有効な身体的護身術

 ここからはしばしばご質問をいただく、「子どもにもできる護身の技は?」について。う〜ん、サイトや文章、講座資料でお伝えするのは、やはり難しい…。


 身体の動きを文字や絵、写真などでお伝えすることの難しさがある上に、護身の技というのは、加害者の『急所(弱点)』に対してダメージを与える/負荷をかける方法である場合も多い。そうした危険な情報は不特定多数の方に無責任にお伝えしてはならないし…。

 けれど、受講してくださった方々が、自宅にて講座内容を思い出しながら練習するための情報は必要だなぁ。

 護身的な発想や身体づかいの、ポイントみたいなものが示されるだけでも、なんとなくでも思い出していただけるかしら?


*  *  *


(1) 誰が教える?

 護身術は奥深いものではあるけれど、決して難しいものではない。もし難しいものなのだとしたら、武道や格闘技の下地が全くなく、体育の評点が2〜3だった私(ハハハ)にいきなりできるはずがないし、誰でも出来る物でなければ『一般に普及しうる護身術』として成り立たない。

 だから、親子の護身術講座にご参加くださった親御さんには、自信を持って、子どもさんとご自宅で練習していただければと思っています(いきなり「ですます」調に)。
 女性のための護身術の講座に参加してくださった方が、ご家庭で子どもさんに伝えていただくことも大歓迎!

 多少細部がうろ覚えになっていても、気にする必要はまったくありません。だって、「その時」に一番重要なのは、「危険から逃げてくること」であって、「正確に技を行うこと」ではないんだもん。

 大事なのは意気込みと気合い。そして、「なんとしてでも逃げる!」という気持ち。逃げたいと感じ、そのための行動を起こした自分を信じて、応援しつづける気持ちです!



(2) 技のポイント

・ 護身術では自分が怪我をしないように、自分の身体の安全な部分を使う。
・ 「自分の身体の安全な部分」とは、骨や関節が見えやすくはないところ。どちらかというと、クッションになるような筋肉や脂肪のついている部分。


・ 「どこでなら、思いっきりドンドンできる?」と考える。
  例えば、拳を作って、机をおもいっきり「ドンドン!」と叩くなら?  
  脚で蹴るとき、床や地面を思いっきり「ドシドシ」できるのはどこ?



 ・遠心力やテコの原理などの力を取り入れる。
  力対力で引っ張ったり押したりするだけよりも、回転やねじり、反動など、
  他の動作や力を加えると力が増える。

・ 相手にとって何が「意外(な動作になる)か」を考える。


(3)急所


 急所とは「そこをやられるとピンチになるところ」で、「鍛えたり覆ったりできない部分」。


 また、護身術と言えども、生死に関わる急所には安易に反撃対象にすることはない。急所には、生死にかかわる急所(や、ダメージを受けると後遺症が一生残る急所)と、一時的なダメージのみで済む急所との2種類がある。


 また、ダメージとは、痛みや故障だけではなく、「ハンディを追って不利になる」と考えると視野が広がるかも。
 

 例えば相手の顔がこちらに接近しているとき、相手が思わず身体をのけぞらせたくなってしまうような所に軽い力をかけるだけで(働きかけるだけで)相手の姿勢を崩すことができるかもしれない、というような発想を持つような。

 *なお、私が担当する親子護身術講座や、短時間の女性向け護身講座では、一時的なダメージのみで済む急所とそこへの技しかお伝えしていませんので、ご安心ください(?)。


(4)知恵と「意外な方法」で身を護る


 加害者は、ターゲットに対して自分の力のほうが上だと感じられるときに暴力を振るう。スポーツではないから、かなわないかもしれない相手に挑んだりはしない。女性や子どもが狙われがちなのは、加害者から「弱い」とみなされているからだろうと思う。

 だからこそ加害者にとって意外な反応が効果的になる。それが力強い方法であろうがなかろうが、意外であるというただそれだけで、充分護身として成り立つ場合もある。


 ある子どもは、不審者に手を伸ばされて、相手にげっぷをふきかけようと考え、緊張のあまりゲロまで出てしまったらしいのだけれど、結果としてそれで加害者が逃げていき、自分を護ることができたそうだ。
 公園の砂場で狙われた男児は、丁度そのとき手に持っていた、おもちゃのピストルを加害者に向けて構えた。加害者はピストルを向けられてオタオタと逃げたという。子どものおもちゃなのに。

 子どもにはこうした『ちょっと笑える武勇伝』が効果的なようです(これは親子護身術でやってきてみての実感)。


 護身するときの緊張感や怖れを子どもにイメージさせすぎると『すごく怖い』との情報がインプットされてしまう。「私には無理。できない」となる。
 でも、逃げる加害者を“かっこ悪ぅ〜!”と笑いながらイメージできると、いざというとき子どもが護身行為を起こしやすくなるような気がする。



(5)子どもが、ポジティブな自己像を思い描けるように


 私達大人は、子どもを、何もできない弱い護るべき存在と見なしてしまうことがある。「守ってやらねば」と思わず考え、言ってしまうこともある。でも、大人から常にそのように見られ、そのように言われていたら、子どもも自分を「自分は弱く、守られなくては生きていけない存在」と思ってしまうかもしれない。


 新聞には関連する報道が頻繁に見られるが、無惨な被害にあったという報道と、被害に遭いかけたけれど子どもは逃げたという報道とのどちらの数が多いかと言えば、逃げた子どもについての報道のほうが圧倒的に多数だ。だったら、「怖い時代になった」と読み取るかわりに、「たくましい子どもが今はたくさんいる」と読むこともできる。


『声をかけられてヘンだと思ったから、即座に走って逃げた』
『腕をつかまれたが大声を出してすぐに走って逃げた』
『ランドセルに手をかけられたが、児童はランドセルから身を離しそのまま走って逃げた』
『児童が大声を出すと、不審者は逃走した(車で走り去った)』
『「動くと刺すぞ」とナイフで脅されたが、子どもは走って逃げて無事だった』


 多くの子が、彼等のように逃げられる可能性を持っているはず。可能性を現実にいかすには、“その子”がその時にポジティブな自己像を内側に持てるかどうかが鍵ではないだろうか。

 
『怖い人がね、また子どもを襲ったんだって』という言い方では、それを聞いた子どもがイメージするのは“怖い人が子ども(や自分)を襲う”場面、“手も足も出ず、立ちすくむ自分”となってしまうかもしれない。.


 でも、ただ家庭で事件について話すとき、『この子は、襲われかけたときに大声を出して走って逃げたんだって。それて不審者も追いかけて来なくて無事だったんだって!』と聴かされれば、聞かされた子は、“不審者から子どもが逃げのびている”というイメージを描きやすくなるかもしれない。


 失敗例だけを100個聞いても、成功することはできない。
 成功するには成功の秘訣を得ることが必要だ。



(6)逃げてから、どうする?
 
 我が家の子どもが私にこう言ったことがある。
「逃げても、もし知らない所だったら、どうしたらいいんだろう?」

 うーん、確かに。もし知らないところに連れていかれて放り出されちゃったら? という話も大事ですね。



 知らない所に連れていかれて知らない場所に放り出されてしまったら、


・ 誰の家でもどの店でもいいから尋ねて、助けてもらう
 
・ 自分の家の住所や電話番号が言えなくても大丈夫。学校(保育園)の名前さえ言えればOK.

・お金も携帯もなくても電話をかけられる方法…コレクトコールなどを教えておく(4年生以上くらいなら理解できるかな)
* 今は電話代も安価になりましたし、子どもが助けをもとめて来たのに電話すら貸せないという人も減っていると思うので、実際はコレクトコールを使わなくても電話の一本くらいはかけられると思いますが、子どもは『こういう手段がある』と知ることで、安心感を得られるかも。

・お金がなくてもタクシーなら乗れる…タクシーは後払いの乗り物。家などに着いてからお金を払えば良い。
自宅で、緊急時に使うお金の置き場所(隠し場所)を決めておく。



 他にもあるかな?


《3》 もしも子どもが不審者や暴力に遭遇してしまったら

●子どもとの再会の喜びを伝え、子どもが話したいことを聞く


 子どもは、親に怒られるかもしれないとビクビクしてしまって、被害にあったことを言えずにいることもある。私も子どもの頃、親に怒られることが何よりも怖くて、隠し事をたくさんしたものだ…。


「ひとりで遊びに行くなとおかあさんから言われていたのに、私がひとりで行ったから…」「5時には帰っておいでと言われたのに、今はもう5時半だから…」など、子どもはきっと、いろんなことに胸を痛め悩むのだろう。


 不快な目にあってしまったというその時に、子どもに「え? そんな目にあったなんて…。どうしてこんなに遅くまで…!」「どうしてひとりで行ったりしたの!」と言っても何の役にも立たない。傷ついた子どもの心身をその言葉で支えることはできない。


 第一、「遅い時刻に出歩いている人には何をしてもいいです」などという法律はない。加害者の加害行為さえなければ、被害者は生じるはずがないからだ。暴力行為の責任は加害者が負うべきだからだ。
 これに対して「被害者側ががそのきっかけを提供したのでは? 被害者も悪いのでは?」という意見が見聞きされるのだけど、じゃあ、こういうのはどうだろう?


「遅くに出歩いたのは良くなかった」という失点がもし感じられるとしても、それは非常に個人的な(『公的』な処罰の対象にはなりえない)ものだ。その個人的な失点と、処罰の対象となる暴力や犯罪行為とが、同じはかりにかけられて語られて、その上被害者のほうに落ち度があるように言われるなんてことは、決してあってはならないと思う。


 だから私は、私が、そして子どもが、被害にあったとき、「被害者が〜だったのが悪い」と思うことがないようにしたい。


『こうして家に帰ってきて、本当に良かった。怖くてイヤな目にあったのに、よく自分の力で家まで帰ってこれたね』と子どもに言える親になりたい。子どもが出来なかったことや失敗したことではなく、“何が出来たか”を評価して伝え返せる親になりたい。



 とは言え、『おかあさんに何でも話してね』と思っているのは私で、子どもが言えるとは限らない(笑)。言いたくても、どこから、何から、どう言えばいいのかわからないことだってあるだろう。
 子どもの様子が明らかに変で、何かがあったとわかるのに、何も言葉にできずにいるような場面では、こんなひと言をかけてみようかなと思っている。

『よかったら、一番話したいことだけ言ってみる?』

 この言葉は、私が子どものころ、私なりにいろいろ悩んでいて誰にも言えないという気持ちでいたとき、ある先生がカーテンの窓をあけながら(つまり私と少し離れた場所で)、さりげなくかけてくれた言葉です。あの絶妙な距離感が良かったのかもしれません。それまでぐちゃぐちゃになっていた自分の気持ちや感情が、なぜかその時にスーっと自然と整列するような感じになって、一番話したいことだけを無理なく話せ、話しただけでも心が軽くなりました。



●病院で検査をする


 性暴力の場合はもちろんですが、そうでない場合も、念のために病院で検査すると安心かな。


 特に、加害者を噛んだ事実があったり、加害者と揉み合って加害者の体液が口中や目などに入る(飛ぶ)可能性があった場合、早急に病院で検査しようと思う。感染症などにかからないとも限らない。


●学校や警察に伝える


 我が子が再び狙われないためにも、他の子どもが同じようなことに遭遇しないためにも、情報を地域の人たちと共有するという意味で、学校や警察には連絡しようと思う。もちろん、子どもの意志と相談しながらだけど…。

*警察に話しても、それがすぐさま「告訴する」ことにはなりません。


●日常生活をサポートする


 子どもが被害に遭った…となると、「心のケアを…」「カウンセリングを…」と言われる傾向が最近強くなっているような気がする。


 もちろん、それは大切なことだし、必要であって、受けることができるなら、是非そうしたらいいと思うのだけれど、

 カウンセリングでより効果をあげるには、日常生活の安定も必要だ。



 私は、保護者や親など、親密な大人がその子にできる一番のサポートは、生活のサポートなのではないかなと思う。


 なるべく子どもが食べやすいものを食卓に並べるとか、睡眠が取りやすくなるように(しばらく眠りにつきにくくなったり、眠りが浅くなったりする可能性があると思うので)寝る環境を整えたり見守ったり付き添ったり。

 朝晩の歯磨きを欠かさないよう一緒にするとか、外出しなくても洗顔はしようね、とか。

 一日のリズムを通常と同様に保つことや、健康的な生活のベースをおろそかにしないことなどって、案外、大事な気がする。大人の私ですら(?)、心身に不調が出始めると、このあたりが微妙に崩れてくる。頭では充分わかっているのに。

 子どもは成長の途上にあって、眠るべき時間帯に眠ることや食事の摂取が、単なる休養や栄養摂取以上の重要性を持っている。
 生活(Life)を支えることは、人生(Life)を支えることにつながるはず。専門的な部分の援助も検討し、家族に負えない部分は様々な方々の手助けをいただきながら、生活ベースで子どもにかかわっていきたい。



****************


長いものを読んでいただいてありがとうございました。


 多くの人に、セルフディフェンスの体験機会が広まるといいなと思っています。親子講座はまだまだ少なく(子どもさんってけっこう多忙なので、開催してくださる方々にもご苦労があるのだと思います)、女性のためのセルフディフェンス(護身)の講座も、決して機会が多いとは言えない現状ですが、開講や参加のチャンスがありましたら、ぜひ!




(c)女性に役立つセルフディフェンス 福多唯

※ このページは2005年12月に作成し、2008年3月に文章を変更致しました。


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