ね?可愛いでしょう!

火 の 見 櫓
伸栄建設の周辺探索

たまたま現場の都合で足を運んだ神社に目を付けました。よくよく観察するとおもしろいことにいくつか気になったのでご紹介致します。

狛犬というのは神社の参道両側にあって、神域を守護する一対の獣像ですが「狛犬」というくらいなので犬なのかな?
狛犬のルーツは、古代オリエント文明のライオンだとも言われています。これが中国、朝鮮半島を経て日本へ入ってきたんだということですね。
遣隋使・遣唐使がもたらしたのかもしれません。言うまでもなく、日本には元々ライオンはいませんね。

見た事も無い動物の像。

犬のようだがずいぶん違う。

そこで「高麗犬(高麗国の犬)と名付けたんだろうという説が有力です。おそらく、沖縄のシーサーやエジプトのスフィンクスなども同じルーツなんでしょう。
いずれにしても大陸から入って来た狛犬ですが、初めは小さいものでした。そして気になるのは左右の狛犬達が足で踏んでいる物。左は鞠のように見えます。右はなんと小さな狛犬にも見えます。

謎に包まれたまま狛犬の紹介も終わります。


さて、今回の御近所巡りは本当に近所の小さな神社と言うこともあり、何処まで掘り下げられるか心配しましたが、無事探索っぽくなりましたので良しとします!また身近な普段何気ない所でも調べて書きたいと思います。

三ヶ島八幡神社
手水舎
八幡神社を鳥居から入って来ると左側に「力石」と書かれた掲示板があり、その下にはなにやら文字が書いてある石が並べられていました。

ふむふむ、二十七貫二百匁(にじゅうななかんにひゃくもんめ)っておよそ102㎏、三十六貫匁は135㎏、四十四貫匁って何㎏と計算すると165㎏もありました。
見た目持てそうでしたが数字にしたら腰が折れそうな重さなので持つのをやめました。(安全第一です!)

三ヶ島八幡神社は所沢市三ヶ島にある神社です。鶴岡八幡宮の分霊を観請して元和9年(1623年)に建造、三ヶ島村字八幡脇の鎮守社だったといい、三ヶ島村内の祀られていた湯殿社・天王社(八雲神社)を合い祀したといいます。

狛 犬
境内の片隅に火の見櫓が建っています。三ヶ島八幡神社は火の見の丘でもあり、ここから多くの火事などを鐘を鳴らして知らせたのでしょう。現在三ヶ島で唯一の火の見櫓ですがこれも、もうすぐ解体されてしまうのでしょうか。(令和4年現在は既に解体され有りません)
社長に話を伺うと、子供の頃はよく上に昇って遊んだと聞きました。確かに昔の子供ならそのくらいの遊びはするでしょう。(今の世の中では完全に学校で問題にされて怒られますね)
良き思い出の火の見櫓も時代と共に消えていくのかと思うと少し残念です。
力石
境内にある掲示板により「八幡神社の由来」
新編武蔵風土記稿による三ヶ島八幡神社の由来や「埼玉の神社」による三ヶ島八幡神社の由来なども有るのですが今回は境内の掲示板だけご紹介致します。
境内社湯殿神社
境内社出雲神社
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ここでゲートボールなどを楽しんだ後に休憩しなが

ら話をしたりお茶を飲んだりする場所だと思います。
(使用している人見たこと無いので想像です)

休憩小屋

八幡神社を鳥居から入って来ると先ほどの力石よりも入り口よりに「手水舎」があります。参拝者の方々が身を清めるためにあるのですが・・・・水は出ているの見た事ありませんね。
恐らく行事的な物が無いと出さないのでしょうね。節水大事だと思います。
真ん中に水が出ると思われる・・・なんだろこれ?龍なのか狛犬なのか分かりませんが、なかなか可愛い顔しています。

四十四貫匁
三十六貫匁
二十七貫二百匁

三ヶ島八幡神社
狭山丘陵の西北に八幡社あり、応神天皇(誉田別尊)を祀る。地は三ヶ島に属す。
往古元和葵亥九年、(一六二三)四月十日、代々ここに住める郷民、鶴岡八幡宮より分祀勧請して一社となし、子孫の守護繁栄を祈願せり。
郷民の崇敬、年を経て重畳、遂に宝暦辛巳十一年(一七六一)十一月大破、三ヶ島村を知行する旗本武蔵孫之丞、郷民とともに修繕普請、建立をなす。
匠の大工は武州比企郡義美村村長兵衛なり。
神殿の御神体は文化庚午七年(一八一〇)八月一五日銘文の御神像を祀り、また御神鏡も安置せり。
当社の例大祭は十月中旬、なお、郷民の初宮詣、七五三、病気平癒、豊作祈願など、崇敬泰山の如し。