入院生活や病状についての記録

遺伝子疾患血管型エーラス・ダンロス症候群

動脈解離1回目(右腎梗塞)。

1999年11月12日金曜日。

 日曜日に仕事関係の資格試験があって、有給休暇を取って、自宅で勉強していた。胡坐
をかいて、少し猫背気味の姿勢で。お昼前ぐらいに、いきなり腹痛がおきた。痛い。もの
すごく痛い。初めて感じる痛み。まるでペンチで挟んで、捻るような感じです。臍の少し
右側くらいのところです。なぜだか部屋の中を早足で歩き回っていました。余りに痛くて、
思わず、うずくまってしまいます。でも痛い。歩いたり、うずくまったり、しばらくは、
その繰り返しでした。盲腸にしては位置が上すぎるようです。それに、こんなにいきなり
痛くなるのかな?なったことないのでわかりません。少し便意もあったので、トイレに行
ってみました。でません。痛みも治まりません。家族と相談して、近所の消化器科の病院
に行ってみました。
 病院に着くころには痛みで全身汗でびっしょり、顔からも汗がポタポタ流れ落ちてます。
受付にいた看護婦さんが驚くくらいの汗でした。先生が昼休みでしたが、診てくれました。
レントゲンを撮ったのかな?よく覚えてません。とりあえず、痛み止めの点滴をしてもら
って2時間くらいベッドで横になってたら落ち着きました。この日は、そのまま自宅に戻
りました。
 夜、痛み止めが切れたのか、また痛み始めました。明日は仕事だから、早く寝ないと、
と思うんだけど痛くて眠れない。横になっててもしんどい。一番楽なのが枕を抱え込んで
正座してうずくまる姿勢でした。

1999年11月13日土曜日。

 朝起きたら、やっぱり痛い。でも休むわけにはいかない。大型タンクローリーの運転手
をしていたので、みんなで分担というわけにはいきません。我慢して行きました。脂汗か
きながらもなんとか済ませました。

1999年11月14日日曜日。

 今日は、試験です。まだ痛いです。熱もあります。でも行きました(馬鹿だね)。痛み
にも関わらず、できはまあまあでした。しかし試験後も、痛みが続いていたので、明日は
休んで病院に行くことにしました。この日も夜は、痛みのため、寝たり起きたりでしんど
かったです。

1999年11月15日月曜日(その1)。

 朝起きたら、まだ痛い。金曜日に行った消化器科にまた行きました。先生がレントゲン
を撮ったり、エコーでみたりしていました。そのうち、腸を検査するとか言って、おしり
から内視鏡を入れられました。あまり痛くはないけど気持ち悪いですね。結局、この病院
ではわからず、近くの総合病院に行ってくれと紹介状を渡されました。

1999年11月15日月曜日(その2)。

 紹介状を持っていったところ、またエコーで診ています。それからCT撮影をされまし
た。あとアッぺチェックとかいうのもされました。盲腸かも知れないからとのことです。
結果が出るまでベッドで寝ていたのですが、先生達が、さかんに「アンギョウ、アンギョ
ウ」と口にしています。何だろうと思い看護婦さんに尋ねたところ、血管造影というもの
で足の付け根の動脈から血管カテーテルを入れて造影剤を注入、血管の状態が見れるんだ
そうです。もう夕方、今日は帰れないよと言われ、とりあえず会社に電話。あと家族も呼
んどいたほうがいいとのことで家にも電話して、病院まで来てもらいました。
 血管造影、なんか大袈裟だな、俺そんなに悪いのかよ、と思いながらもまず誓約書にサ
インです。ちょっとここでびびります。あとはされるがまま。足の付け根に、局所麻酔さ
れてカテーテルを入れられました。局所麻酔で意識があるので、検査しながらモニターに
表示される画像を見ながら症状の説明を受けました。右の腎動脈が梗塞を起こしてるそう
です。「腎臓は2つあるから大丈夫ですよ。」先生がそんなことを言っていました。原因
としては血栓がつまってるのだろうとのことでした。この血栓を溶かすためと、他に血栓
ができないようにとの理由で、このあと退院するまで、ずっとヘパリンという薬を点滴し
ていました。 血管造影は、検査中より終わってからのほうがしんどかったです。次の日
の朝までベッドで絶対安静。右足をギプスみたいなので動けないように固定しています。
トイレに行くどころか、起き上がって座るのも駄目だそうです。尿瓶で、できなければ尿
道カテーテルを入れると言われました。しかし、寝たままで用足しをするというのは、難
しいものです。これは、練習しといたほうがいいと思いました。それから寝返りもできな
いので、次の朝までがとてもきつかったです。

1999年11月16日火曜日。

 朝、右足の装置を外してもらいました。楽になった。気のせいかお腹の痛みも、和らい
できたようです。このあと1週間くらいは時々エコーで検査するくらいで特に治療という
のはなかったです。このまま梗塞が続くと腎臓を切除しないといけないそうです。困った
な。

1999年11月??日。

 その後、CT撮影やエコーの検査を何度もしましたが梗塞を起こした部分は変化がない
ようです。それから腎臓が萎縮しているようなので、やっぱりまずいそうです。腎臓が萎
縮して駄目になり血流が減ると、レニンという物質をだして、血圧が上がるそうです。こ
れがひどいと腎臓を切除したほうがいいのだそうです。そうなると手術か?うーむ、嫌だ。

1999年11月29日。

 病院を変わりました。姉が看護婦をしている地元の大学附属病院です。腎臓の切除の件
を聞きつけて、そんなに簡単に切るようなとこは駄目だと言うのです。病院は変わったけ
ど、こちらでも特に治療というのは、ヘパリンの点滴以外はしなかったです。右腎は回復
の見込みがないとも言われました。腎動脈解離による腎梗塞だそうです。あと病院食が前
の病院よりおいしかったのを覚えています。

1999年12月9日。

 退院しました。月に一度、通院するようになりました。それから血圧計を買って、毎日
記録するように言われました。

2000年3月28日。

 今回のCTで、梗塞を起こしていたところが再開通していることがわかりました。腎臓
も半分くらいの大きさになってるけど、機能的には問題ないそうです。よかった。ただ、
この頃から、血圧が少し高めになって、薬を飲むようになりました。
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