「ナノテクノロジーの進展」武笠幸一(北大教授)

2001.1.5.北海道立理科教育センター特別講演 (MD録音・写真 石川昌司)

(このページは武笠幸一教授ご本人の許可を得ています。 mukasa@nano.eng.hokudai.ac.jp )

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 近い将来エネルギー,特に電力が間に合わなくなります。どうせなら電子1個で電子回路を動かせばいいのですが,1個の電子では今までと違って量子効果が起きてきます。そこで逆にこの量子効果を何とか使いたいということを考えたわけです。

 また,歯車を10ミクロンとか20ミクロンの大きさで作れるようになりました。これを使って私たちの身体の中に薬を運ぶロボットを作れます。薬のデリバリーシステムといいます。この研究は,日本とアメリカとヨーロッパで行われています。

 カーボンナノチューブは,実は偶然出来たものです。私の研究室ではこのカーボンナノチューブの先に1個だけラジカルのある分子をつけるとか金属の錯体をつける計画を持っています。多数個つけることは誰でも出来るのですが,1個つけるときには光ピンセットという,ナノテクノロジーに関する技術を使います。

 このようにナノテクノロジーが何でこんなにもてはやされるのかというと,それだけ期待されてるからです。まず第1にITに期待されています。ITの土台は,ソフトすなわちコンピュータを使うことではありません。それを支えるハードが非常に大切です。しかし今の日本は汚いことは出来るだけしないですまそうという風潮があるので非常に憂慮しています。二つ目はバイオテクノロジーです。例えばDNAを操作するとかです。それから医療です。先ほどの薬のデリバリーシステムもそうですね。ガン細胞を一発勝負でやっつけるとかも考えられています。それからエネルギーや環境です。分子やバクテリアをつかって陽子の移動に伴うエネルギーを何とか使えないかという研究があります。実現すれば,これは非常にクリーンなエネルギーです。

 アメリカでは,約1年前にクリントン大統領が「ナノテクノロジーでイニシアティブを取る」という声明を出して,莫大な予算をつけることにしました。日本では,はじめに経団連がナノテクノロジーとゲノムはやるべきだと言って,それを受けて内閣がやりますと言ったのです。そこでやっと騒がれるようになったのですが,実は日本はアメリカよりもこの分野では進んでいます。

 ところで,ナノテクノロジーの話をするためにはどうしてもミクロな世界の法則である量子力学の話をしなければなりません。

 まず,電子は普通粒子だと思われていますが,電子を箱の中に入れたときには,エネルギーはとびとびになります。なぜそうなるのかというと,箱の中で電子は波として存在していて,その電子の波は定常波になっていなければならないからです。

 また,水素原子中で電子は原子核のまわりをまわっていますが,水素原子の出す光のスペクトルはとびとびです。それは水素原子のエネルギーがとびとびだからで,したがってやはり電子は波として存在しているからです。

 ヤングの実験を見て下さい。光は波としての性質を持ちますから干渉模様が現れます。電子の場合は,例えば弾丸のような粒子だとすると,スリット1だけを開けたときの強度分布とスリット2だけを開けたときの強度分布がこのようになりますが,両方のスリットを開けて実験すると,スリットがひとつだけの強度分布の和にならずに,光の場合と同じような干渉縞が生じます。それは電子源の強度を小さくしていってもやはり干渉縞になるのです。しかし,電子1個1個はやはりスクリーン上で点になるのです。これが量子効果ですね。このような量子効果を何かに使いたいというのがナノテクノロジーないしナノエレクトロニクスの大きな目的です。

 実は量子効果はすでに使われています。例えばこれはシリコンの原子です。ICの母材ですね。


 この結晶中で何が起きるかというと,古典論的な連成ばねから類推できます。同じ長さの2本のばねを揺らすと振動数は等しいですからエネルギーレベルは縮退した1本に見えますが,しかしこのようにばねを互いに第3のばねでつないで揺らすと先ほどまで1本だったエネルギーレベルが今度は2本のレベルにスプリットします。LとCの電気回路でも同じような現象が起きます。これと同じようなことが固体の中で起きているのです。









 1Sの順位と2Sの順位がこのようにあったとして,たくさんの電子がありますから,1本の順位がたくさんの順位に分かれて全体が帯のようになります。これをエネルギー帯といいます。すなわちこの帯の中だけが電子の取りうるエネルギーでそれ以外のエネルギーは取れないというわけです。これは量子的効果です。この効果があったからトランジスタとかダイオードとかが出来たのです。








 トランジスタを発明したのはベル研のバーディン,ショックレー,ブラッティンの3人でした。戦時研究です。当時日本ではレーダーをやっていました。真空管を使って。しかし真空管はすぐ切れるのが欠点です。そこで固体で何とかできないかと考えたのがベル研の3人です。ショックレーは表面の重要性を発見した人です。あとラングミュアもそうですね。

 PN接合のダイオードは,半導体中のエネルギー帯とバンドギャップがあるから整流作用が起きると理解できるのです。トランジスタは,PNPでもNPNでも中に挟んだ部分に電位の堰をつくって,高い堰なら電子は流れないが低い堰なら電子は流れるということで,上げ下げの信号を大きな電流の流れに増幅することが出来ます。

 ICの集積度は年々このように上がっていますが,配線幅は0.2ミクロンくらいで物理的な限界が来ます。その理由は製作プロセス上の問題,発熱の問題,それからフォトリソグラフィーでは紫外線を利用していますが,紫外線の解像度が0.2ミクロンまでだからです。ペンティアム4では0.4ミクロンを実現しています。ならば紫外線よりも解像度の高いX線を使うとどうか言いますと,X線を使った場合の現在の記録は日本が出した0.17ミクロンです。最終的には0.1ミクロンくらいまで出来るだろうと言われています。たかだか半分の幅ですが,ICの配線の幅が半分になるとかなりのことが出来るのです。だからやろうとしているわけです。

 原子オーダーで平らな物質が作れるようになりました。電子がエネルギーの井戸に落ちるとエネルギーが離散化されて量子効果が現れます。平らな表面を作ることで電子をエネルギー井戸に落として自由なエネルギーを得ることができることになります。はじめて人間は電子のエネルギーを制御することに成功したというわけです。

 昔は超高真空をつくるのが大変でした。超高真空とは宇宙空間の真空に対して1桁悪い程度の真空のことです。しかし,今は作れるようになりました。そのおかげで,その超高真空の中で原子を積んでいくことが出来るようになりました。

 ICの集積度が限界に達してからの解決策ですが,ひとつは,トンネル効果を用いる方法です。トンネル効果とは,例えば金魚の入った金魚鉢があって金魚が金魚鉢から出る方法には,壁の上からぴょんと飛び出す方法と,猫が来てすくってしまう方法と,もうひとつ壁をすり抜ける方法があります。これをトンネル効果といいます。どういうときにそれが可能かというと,この金魚が波としての性質を持つときだけが可能になります。粒子にはこのようなことは絶対あり得ないのですが。





 このトンネル効果を使った顕微鏡がSTM(走査型トンネル顕微鏡)です。先端が10ナノメートルくらいの針を物質の表面に近づけます。周りは真空です。真空は絶縁物ですから電流は流れません。ところが10オングストロームのオーダーになると,電流が流れるようになります。それがトンネル効果なのです。針は非常に細いですから先端は多分1個の原子になっていて,試料側にも原子があってその間で電流が流れるのですが,実は流れる電流は距離依存性が強いので,例えば1オングストロームくらい近づけると電流は2ケタくらい大きくなります。それくらい敏感です。そこでこのトンネル電流がいつでも一定になるように機械で制御しながら走査していきますと,試料の側に出っ張りがあると,針がそこに来たときに急に電流が大きくなりますから,電流を一定にするために針を遠ざけることになります。そのようなことを繰り返して像にしたのが先ほどの写真なのです。針の上下のメカニズムにはピエゾというものを使っています。誘電体です。電圧を加えると伸びたり縮んだりします。物質の表面というのは,電子の雲が出っ張っています。STMでこれがわかるということです。STMの針は自分たちで作ります。アトムマニュピレーションも同じ原理です。素材の加工法が限界に来たときの解決法として,これが使えるだろうと思います。

 もうひとつの解決法として,こんなばけものたちがスタートラインにいたとして,よーいドンで一斉に走っていってゴールのところで組立体操をやって何かの形をつくるという方法を考えています。これは分子が自分で構造を作るという方法ですね。これを自己組織化といいます。将来はこのような組織を作りたいと思っています。つまり,分子をつくれば後は分子が勝手に動いていって何かを作るということです。途中のプロセスは人間は何もしない。そんなものがあるのかというと,例えばこのようなせっけん膜ですね。せっけんの分子は親水基と疎水基をもっているので,膜になるときには水の側が親水基になるように表面に並びます。分子が勝手にそう並ぶわけです。我々の細胞もそうなっています。生体の膜では外側が親水基になるように分子が並んでいます。現在のスーパーコンピュータはLSIがひとつでもこわれると全体が止まってしまいますが,これは本当の機械ではないのです。我々人間は細胞が1個や10個,100個や1000個壊れたってちゃんと考えられるし機能するわけです。コンピュータもそこまで行かないと本当のコンピュータではないと思います。機械は将来的にはそうなっていくべきだと思います。

 次にスピンに関するナノエレクトロニクスの話をします。

 電子は電荷をもっていますから電子が原子核の周りを回転するとそれが電流になって一種の磁石になります。一方電子は自分自身で自転もしていて,これをスピンといいますが,電子の表面の電荷が回転することによりこれも磁石になります。回転する向きによって上がN極になる場合と下がN極になる場合があります。向きはこの2通りしかありません。これも量子効果です。

 今,このように物質の表面に原子が並んでいるとします。その原子のそれぞれが持つ電子が実はミクロな磁石だと考えます。原子の分解能でスピンの分布がどうなっているのかを調べることが実験の目的です。そんなことをやって何の役に立つのかというと,STMによって表面のある状態を人間が作れるようになったわけですから,それを使ってデバイスを作りたいわけです。今まではトランジスタでも何でも多数個の電子を使ってやっていたのですが,私は1個のスピンで何かできないかと考えているのです。

 それからメモリを作りたいと考えています。メモリも限界が近くなっていますから,もう少し性能がよくて密度の高いものを作りたいのです。スピンに関係する領域というのはこの磁気記録の領域ですね。例えば,パソコンの中にハードディスクが入っています。またビデオテープの中に磁気記録が使われています。磁気記録は1898年オールセンという人が始めたのです。ちなみに昨年応用磁気学会の全国大会を札幌でやりました。記録密度は年と共に急激に上がってきました。ベータとVHSの競争のおかげで記憶密度が6倍になりました。一方,ハードディスクでは1ビットが0.16とか0.19ミクロンとかの領域に入っています。こういうものを開発するときに重要なのは計測です。評価器,計測器の分解能が開発するものよりも高い性能が必要になります。現在の分解能は,磁気力顕微鏡が10から100ナノメートルくらいです。私がねらっているのは0.1ナノメートルです。今からやっておかないと間に合いません。現在ハードディスクの記録は,56ギガビット毎平方インチで,昨年4月に日本が出したものです。

 私は,技術が,長さはナノメートル,時間はフェムト秒になるだろうと予測しています。生物体もその中に入ります。ひとつはSTMで原子分解能の観測をやりたい。もうひとつは生物をやりたいということです。

 STMは導体を見る機械ですが,絶縁物を見たいということになると,針と表面の原子との間の力を測ることになります。これができると分子の表面の原子のスピンの状態がわかるはずです。もうひとつは生体。皮膚ガンの初期の状態というのは表面にラジカルが出ていると言われています。つまりスピンが出ているのですね。そういうものがリアルスペースで原子の分解能で見えるはずなんです。だから治療に使えるだろうと思います。それから老化です。年をとると酸素のフリーラジカルが出ると言われています。これも計れるでしょう。最近分かってきたことですが,DNAをつくるプロセスにスピンが関与しているということがマクロには分かってきています。しかし,どこの部分のどの原子が関わっているのかはまだわかっていないのです。これを1個ずつ測りたいと思っています。

 サイエンスの領域では,私たちは今,物理を作っています。教科書にある物理は死んだものです。それはベースとしてちゃんと理解していなければなりませんが,それを元にして物理を作っているわけです。物理を作ることこそが物理をすることなんです。だからそれが出来る人が欲しいわけです。あるいは大学で育てなければならないのです。

 エンジニアリングの基礎はサイエンスをつくることから始まると思います。さらにそれを応用面に広げるテクノロジーにしたいのです。さらには商品化ということも考えています。私の場合には,サイエンスをするにあたって測定装置は売っているものは買いません。売っているものを買ってくると,その買ってきたもののスペックで測れるものしか測れないからです。私たちが求めているものとはそういうものではありません。だから,設計図から書いて測定装置を作ることになります。そしてそういうものが商品として出てくるのは多分50年くらい先だと思っています。50年後だと私はもういません。そうなると自分の代では商品化はできないじゃないかということになりますが,まったく新しい装置を作るということは,実は違う使い方をすると現在でも役に立つことがあるのです。例えば磁気記録などは役に立ちます。大学の中でやったことの副産物で,あとはベンチャー企業と協力してやっています。ですから私の研究室は,物理から副産物の商品化まで,非常に幅広いことをやっています。私はそれがエンジニアリングだと思っています。

 後半の話の予告をします。

 私のところでやっているのは原子分解能のスピン計測というサイエンスです。次にテクノロジーからプロダクトに関わるものとして,サブミクロンの領域があります。また,原子レベルの現象を,古典のマクロな考え方から押し進めようということもやってます。それは,量子ドットと呼ばれるものです。ただし半導体ではなく磁性体の量子ドットです。次にセオリーの領域。私の研究室では理論家をやとっています。普通,理論家は実験家が出した結果を説明するというようなことをやっていますが,私のところの5人のポスト・ドクター達には,理論で現象を予測しなさいと言っています。その後でメモリの話をしたいと思っています。


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 まず,スピン依存トンネル電流です。普通にトンネル電流を測っていますと,先ほどのシリコン表面の像ですね,ああいうものしか見えないのですが,実はあの中に,非常に数は少ないのですがスピンに関与した電流が含まれています。これを取り出したい。それがスピン編極STMです。

 例えばこれは鉄の薄膜です。20層くらいしか原子を積んでいないものです。ここにこういう風に渦巻き状になった結晶成長が見られます。こういうところに1個づつアトムが見えているのです。私たちはこの中心部分のスピンはどうなっているのかを見たいわけです。今までは誰も見たことがありません。STMの針の真下の原子の電子スピンが仮に上を向いているとします。すると電流が流れます。しかし電子スピンが下を向いているとします。すると電流は流れません。このことから針の真下の電子スピンの向きが分かります。これが原理です。




 そのために針の方のスピンの向きを反転させるということがどうしても必要になります。針には鉄だとかコバルトだとかニッケルだとかを使えば,外から磁場をかけて,スピンの向きを簡単にそろえることができます。ところが,磁場を外からかけますと,試料が磁性体の試料ですと試料にも磁場をかけてしまうことになって,観測したいものの状態を変えることになりますから,計測法としては非常にまずいわけです。それで,他の人たちは磁場を使っているのですが,私が思いついたのは半導体を使うやりかたです。試料に磁場をかけなくても針の方のスピンの状態を上向きや下向きに自由に変えられる物質を1年くらい探しました。そしたら全然別の分野にそういうことをやっている人がいることがわかって,それを私はまねしたのです。それはガリウム砒素に光を当てると,光の状態によって上向きスピンの電子と下向きスピンの電子を自由に作ることができるというものです。針には半導体を使います。当てる光は円偏光している必要があります。普通の偏光は直線偏光ですが,そうではなくて円偏光です。円偏光には右回りの円偏光と左回りの円偏光があります。装置は3億円くらいかかっています。大型プロジェクトになっていますね。装置全体は超高真空状態に保たれています。10のマイナス11乗から10のマイナス12乗トリチェリくらいです。宇宙空間の真空度よりも1桁悪いくらいです。試料を作って1ケ月くらい置いておいても試料表面にくっつく酸素原子は1個とか2個とか,そんな確率です。その間に測定するわけですね。蒸着という方法で薄膜をつくります。例えば鉄です。1原子層づつ作っていきます。表面に何か付いている場合がありますから,XPS----光やX線を当てて出てくる電子のエネルギーを測るとその元素が同定できる装置---,だとか,カー効果----磁性体の表面の磁気的性質---を測る装置がいずれも超高真空の中に入っています。このようなもので実験しています。

 鉄を載せる基盤には酸化マグネシウムを使います。原子オーダーで平らな面をつくります。これだけで半年かかりました。平らな部分をテラスと言いますが,テラスとテラスの間の段差は原子オーダーになっています。載せる鉄の薄膜は単結晶です。鉄の層の厚みは1原子です。単結晶の上に単結晶が載ることになります。結晶ではそれぞれの原子は互いに結合の腕で隣の原子と結びついていますが,それが表面の原子ではそれ以上上の原子がありませんから結合の腕がむき出しになっています。腕とは電子の雲のことです。STMを使えばそれが見えるはずなんです。それがこの写真です。

 STMでトンネル電流を測るときに,電圧を変えながら測ります。それをIV特性といいます。それを見てみますと,山のあるグラフが得られることがあります。これは先ほど言いました,表面に飛び出した電子雲を通ったトンネル電流を観測しているということを意味しています。これを表面準位といいます。実はSTMで何が見えたかは,原子レベルでものを見る装置はSTMしかありませんから,それがはたして何なのかは確かめようがないのです。そこで理論家が膨大な計算をやります。私たちのところにあるスーパーコンピュータで1ケ月くらいかかって計算して,やっとああこれは表面準位だな,ということがわかるのです。誰も見た人はいないわけですから,他に方法がないんですね。STMの針は,ガリウム砒素を超高真空の中でかち割ると尖った面が出てくるので,これを使っています。劈開ですね。他に,劈開には違いないのですが薄膜を使うという方法もあります。ガリウム砒素の10ナノメートルくらいの薄膜を劈開させてそれを針に使うという方法です。

 それを使って見たSTMの像がこれです。赤いところと青いこころはスピン編極の方向が逆です。ところで磁場は磁力線が物質の中で環流になるのが一番エネルギーが低い状態なので,磁場の向きがそろっている部分が小さな区域をつくってブロックのように組合わさっている,これを磁区といいますが,ところがこのSTMの像を見るとそうなっていないのです。ですから,私たちが巨視的な世界で見ているものと全く違う世界が見えているということになります。表面では磁気的な性質がまるで違うということがわかってきたわけです。これは一体何なのかということがこれからの問題です。私たちは表面の磁性という領域を作って行かなきゃならない立場になってきています。

 磁場をかけると本当に電子の磁気モーメントがひっく返るのかということも試してみました。すると確かにひっく返っていました。だから磁場に対して磁性体の性質が現れていることがわかりました。ただし,表面だけの磁性というのは実はほとんどわかっていないのです。どうしてこうなるのかというのはこれからの課題です。物理をやることになります。


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 次の話は力で絶縁物のようなものを測りたいという話です。交換相互作用力というものです。今まではSTMで電流を測っていました。ところが,これは測りたい物質が導体である場合しか使えません。一方,身近なものには絶縁物や半導体が非常に多いわけです。そこで,この表面の原子と針の間の力を測ればいいだろう,ということになりました。ところで,マクロな磁石の場合はN極とN極,S極とS極が隣同士に並ぶと不安定になります。互い違いに並んだ方が安定なんです。ところがミクロな世界では,N極とN極,S極とS極が隣同士に並んでいる方が安定です。だからこそ磁石としての性質が出るわけです。このように並べている力が交換相互作用力です。この交換相互作用というのは量子力学ではじめて説明されるような力で,古典的には全く説明できません。そういう力を,針と原子のスピンとの間ではたらかせて,それを測りたいというのが私の考えです。それを交換相互作用力顕微鏡と名付けました。日常の生活では,磁場と磁気モーメントが相互作用します。これが古典論で言う磁石同士がくっつく話です。これを測る顕微鏡もあります。磁気力顕微鏡というものです。これはそういうマクロな力を測るものです。ところろが,私たちがやっているのは,非常に近づけて,互いのスピンの波動関数が互いに重なるような状態で,2つのものの間の力学的力を測ろうということで大きく違います。例えば先ほどの鉄の表面ですと,資料の表面にスピンが並んでいて,針の側にもスピンがあって,もし針の側のスピンが逆転したとすると,力の大きさが変わりますから,見かけ上この振幅が変わったように見えるのですね。この振幅の変わり方を像の上で見たいというわけです。

これをスーパーコンピュータで計算した結果に基づいて測定するのです。というのは,誰もやってみようと思ったことはないことですから,どの距離からどういう向きにどういう力が働くのかは誰にも分からないわけです。自分で計算するしかないということです。スーパーコンピュータで計算して,針と試料の表面の原子の互いのスピンの状態に対して違いがあるということがわかりました。この距離というのは実験をする上で非常に大切なことです。どのくらいの距離から力が働きだして,どのくらいの大きさになるのかという見積もりが非常に大事です。こういう測定法で本当に計れるのか,ということを検証するためでもあります。計算結果は10のマイナス11乗ニュートンくらいの大きさの力です。非常に微弱ですが測るつもりです。理論的な部分が長くて2年間くらいかかりました。北大の電算機センターで計算すると1点計算するのに200万円くらいかかるのです。1点で200万だと1000点とか2000点だと破産してしまいますから,それならばスーパーコンピュータを買っちゃえ,ということでスーパーコンピュータを買いました。

 スピンSTMを実際にやってみた結果です。試料はNiOです。昨年,世界で初めて私たちの研究室でNiOの表面を見ることに成功しました。実は,超高真空でNiOを劈開するのは非常に難しいのですが何とか出来るようになりました。これだけで1年間かかりました。得られた表面の段差の高さの差が40ピコメーター,一方交換相互作用の違いによる差が1ピコメーターです。これがいい値なのかどうなのかについては今後の研究の課題になります。

 次の話は,スピン計測とスピンデバイスです。私たちはそういう目的である装置を開発しました。それを応用しますと,これはハードディスクのピットなのですが,それが1個1個見えるのです。スピンSTMをするためにはどうしても必要なのですが,どこにも売っていないので自分たちでつくってしまったものにモット分析器というものがあります。それを市販の電子顕微鏡を接続しますと,電子顕微鏡でスピン像が見えるのです。それで見たのが先ほどのハードディスクのピットです。そういう装置は世の中にはないので,それだけ価値があるということです。

 次は量子ドットの話です。基盤の上に磁性体をつけます。その大きさは1ミクロン以下。髪の毛の100分の1の点をつくるわけですね。すると何が起きるかというと磁気モーメントの渦ができることがわかりました。これをスピン・ボルテックスと呼んでいます。ハードディスクは面内にピットを作っているのですが,実は10ナノとかのものも作れるのです。もっと密度を上げたときにこのボルテックスが役に立つだろうというのが私の考えです。もうひとつ,今DRAMが使われていますが,新しくMRAMというのが出てきたのです。磁気的なRAMですね。アメリカ,日本,イギリスあたりが一所懸命やっています。それの最終的な形の一部分がスピン・ボルテックスになるだろうと私は考えています。これはパテントを申請中です。

 最後のテーマとして,アトムマニュピレーションとスピンの話をします。これは,ガリウム窒素です。電子が非常に速く走れるというので注目されている素材です。これで探針の先端をつくると,小さくつくると偏極するということがわかってきたのです。ガリウム窒素は磁石じゃなくて半導体ですが,小さくすると磁石になるということが初めて分かったのです。非常に小さく作るのが条件です。ナノクラスターともいいます。これは応用が全く分かりません。物理も今やっているところです。どうやら空間の非対称性が関係あるらしいことまでは分かってきました。

 もうひとつは,吸着水素原子を切り離すという仕事が過去にありました。それに対する私たちの解釈です。シリコンの表面に水素原子が吸着しています。針とシリコンの間に電界をかけます。電界をかけるとある条件でこの水素が針に飛び移るんですね。ところが今までこのメカニズムが全くわからなかったのですが,どうやらスピンが関与しているということがわかってきました。吸着は,針の原子と水素原子のスピンがある向きを向いているときに限られるということがわかったのです。

 最後にメモりの話をします。スピンメモリです。記録媒体の記録密度がどんどん上がっています。もしも原子1個づつにひとつの記憶が出来たとしますと,一気に2桁ほど密度を上げることが出来ます。先ほどの交換相互作用力顕微鏡ですけれども,力を測るときに,非測定物に影響を与えないで観測しようとしていたわけですが,反対に変えようとしてもいいわけです。針をもってきて,仮に針の先端のスピンが下向きだったとして,その真下の原子のスピンをひっくり返すことができるとすると,これで原子オーダーの記憶ができたことになります。これをスピンメモリと言っているわけです。平凡社の百科事典は3?巻ですが,MOですと1枚に入るのです。それが,スピンメモリを使うと1ミクロンの中に入ってしまいます。いつ頃使われるようになるかというと,2050年頃になるだろうと思います。ただし,クリントンがナノテクノロジー・イニシアティブというようなことを言って,日本も体勢を整えてやるぞという話になっていますから,これはかなり早まると思います。

 残りの時間で,締めくくりの話をします。私の研究室はナノエレクトロニクスなのですが,ナノ構造をあやつる,ナノ構造をつくる,ナノ構造を見る,ナノ物性を調べる,ナノ構造を使う,ということをずっとやってきました。その結果,基礎研究,すなわち物理では色々なことがわかってきました。それから副産物といいましたけれど商品化までの道がすこしついてきました。私は,札幌をスピンのメッカにしたい,と考えています。情報を制するものは世界を制する,というのは大原則です。現在商用では10ギガビット毎平方インチで,研究用としては56ギガビット毎平方インチです。日本ではあと5年で500ギガビット毎平方インチを目標にしています。この辺までは磁気モーメント,すなわち古典の世界でもいいのですが,これから先は,もう古典ではすまされなくて,量子力学の世界に入ってきます。 スピンメモリで3ペタビット毎平方インチくらいのものをつくりたいと思っています。または量子コンピュータです。大切なのは要素技術です。大学がそういうものを開発して,周りの企業がそれを使ってくれればいいのです。

 このようなことを実現するために一番大切なものは何かというと,それは教育です。非常に高等な頭脳が必要です。ものを知っているということはあまり価値が無くて,ものを創造できる頭脳が欲しいのです。日本には資源がありませんから頭脳しかないんですね。それで,みなさんが教育した人材を大学がいただいているわけです。しかし,この3年間くらいは,ひどい人たちも入ってきています。これは社会全体の教育の問題と家庭の教育の問題があります。これらはすでに半分くらいつぶれているように思えます。経済的には600兆円の赤字の問題があります。一体これを誰が返すんだ,という問題に対する認識がほとんどない。見かけ上平和な時代が続いていますから,飢餓心というものもありません。私たちのように前線で戦っているものにとっては非常につらいのです。国は,科学技術立国と言って勝手に法律を決めていますが,ところがそれらに興味を持ってやろうとする若い人たちがどんどん減っています。日本の科学技術を担える人が残らないということです。すると日本はつぶれます。大学の教師などはどうでもいいのですが,大事なのは小学校の教育です。これは,本当にわかっている人が,若い色々な個性の人たちを見つけて伸ばしてやる教育です。私もがんばっていますが,みんさんにもがんばって欲しいのです。本物をちゃんと見つけだして,そういう心を子供達に植えつけていかないと,未来の日本はないですね。そういう思いでいっぱいです。

 以上で私の話は終わります。


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