21世紀,理科はなくなる?!

written by 石川昌司

青少年のための科学の祭典「SAH」原稿(2001.2.4.脱稿)



 いきなりショッキングな題で申し訳ありません。しかし,理科は,環境を科学する大切な教科として発展して欲しいという願いを込めています。

 今の理科は,青少年のための科学の祭典などを除けば,相変わらず学校(と塾?)の狭い世界に閉じこめられています。「理科や数学がよく出来る人は“理系”に進み,出来なければ“文系”に進む。文系に進む人は理科を学習する必要はない。」と思っている人も少なからずいます。

 そのような人たちにとって,理科とは,自分の住んでいる世界とは関係のない教科書だけの(特殊な)世界のようです。本来,理科は自然を学習する教科のはずですが,テストの点数だけを見て自己評価してしまい,自分は理科には向いていないとか,逆に理科はこんなものだとか,勝手に思いこんでいます。その結果,教科書に書かれている内容と自分の考えが合わなくても,こう聞かれたらこう答える式の,丸暗記に精を出すことになります。これらの人にとって,理科は学校の定期テストや入試の合計点の一部でしかありません。

 理科を学んでそれが生活の何に役に立つのかと言う人がいます。それに対して,私はこう考えています。ジャングルで生活する動物はジャングルの環境をよく知っていてそれをうまく利用して生活しています。草原で暮らす鳥や獣も草原の生活環境に自らをうまく合わせて生きています。冷暖,乾湿,明暗・・・色々な環境の中で色々な動植物が生きていますが,それらはみな環境を上手に生かしたそれぞれの生活史を持っています。さて,人間にとっての環境とは何でしょうか。川や山や空気は環境ですが,それだけではなく,今ならPHS,携帯電話,パソコン・インターネットも環境と呼べるでしょう。他にも,自動車,テレビ,冷蔵庫等々数え上げればきりがありません。私たちが毎日お世話になっている文明の利器はすべて環境といえます。環境を理解するということは,昔ながらの自然環境に加えて,これら文明による環境をも理解するということです。

 そうして見ると,今私たちの生活環境は猛烈な速さで変化し続けていることに気がつきます。人間以外の動物や植物で,こんな急激な環境の変化にはついていけるものはありません。地球の長い歴史の中で,多くの生物が滅びたのは環境の変化についていけなかったからです。ではなぜ人間だけがこんなに速い変化に対応できるのでしょうか。それは,人間には環境を学習する能力が備わっているからです。

 環境は有益であると同時に本来非常に危険なものでもあります。それは原始の地球も現代社会も同様です。したがって身を守るためには環境を正しく理解している必要があります。さらに,人間は環境から一方的にエネルギーや情報を得ているだけではありません。人間の生活は,必ず環境に影響を及ぼします。いい影響だけならよいのですが,悪い影響の場合は環境汚染や環境破壊を引き起こします。結局,人間にとって以前より住みにくい環境を自らが作り出してしまうことになりかねません。将来に及ぶ危険を未然に防ぎ,より安全に,より豊かに生きていくためには,環境を科学的に理解し,未来を正しく予測する能力が必要であるといことです。理科はそのための基礎教育であるべきです。

 理科は,理科という名前ではなく,例えば環境科学または環境科というような新しい教科名になる時代がくるやも知れません。

 2001年,北海道では,札幌,室蘭,函館,帯広,北見,釧路,羽幌の7都市で「青少年のための科学の祭典」が開催されることが決まっています。それぞれの街では,地元の若手の理科の先生が実行委員や事務局を率先して引き受けてくれています。市民のための科学が,学校や世代の枠を越えて,生涯学習の大きなうねりとなる時代が来たと感じています。





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