“講演会「生」記録”Web掲載許可をめぐる奮戦記

written by 石川昌司



 今年1月に開いたこの私のWebページ上で,「武笠幸一北大教授−理セン講演」「高教研河合隼雄講演」「白川英樹博士札幌市民会館講演」と,たて続けに3本の講演会の生記録をWebに掲載してきました。2月の中旬になって,勤務校で英語を教える同僚のM氏にこのページを見せたときに,「それって著作権は大丈夫なの?」と逆に聞かれてしまい,薄々恐れていた心配がいよいよ現実のものとなってきて,これはそのまま知らん顔はできないなとついに重い腰を上げることにしたわけです(笑)。

 とりあえず,3氏にメールを出してWeb掲載の許可をお願いすることにしました。武笠幸一氏は北大のWebページからメールアドレスを調べ,河合隼雄氏は京都の国際日本文化研究センターのアドレスへ,白川博士の場合が一番困ったのですが,とりあえず講演会の時にコーディネーター役をされていた,北大高分子研究科の長田教授へ相談のメールを出すことにしました。送信日は2月25日です。

 武笠教授からはすぐ快諾の返信がきました。E-mailアドレスも載せていいとのことで,すぐタイトルの下に付け加えました。深謝

 河合氏からは,3日たって不許可の返信が届きました。基本的にどこで講演した場合でも、講演内容を録音して文章にする事は許可していないのだそうです。いたしかたないと思います。泣く泣くリンクを切りました。(^_^;)

 長田教授からの返信は翌日には届きました。教育のためということであれば北大としては問題ないだろうということと,講演の主催北大道新なので,道新の許可を得る必要があるだろうということが書いてありました。

 そこで,26日に道新の総合案内にWeb許可のお願いをしました。返事は27日に届き,著作権上問題がある,まず白川博士ご本人の承諾が必要との回答でした。北大や道新からの許可はその後でということです。この判断自体は至極もっともだと思います。しかし,なにせ私は白川博士の個人メールアドレスを知りませんので,ここで手詰まりになってしまいました。しかたがないので,前述の長田教授へもう一度メールを書いて,白川博士へWeb許可のお願いをしたいのでメールアドレスを教えてもらえないか,または,この件で仲介の労をとっていただけないかとお願いすることにしました。

 ところが28日に届いた返事では,判断つきかねるので残念ながら協力できないとのことでした。連絡方法は自分で見つけてくれ,というのです。非常にがっかりしたのは事実ですが,よく考えてみると,長田教授の立場では,どこの馬の骨ともわからない男に,おいそれとVIPのアドレスなど教えるわけにはいかない,ということでしょう。ましてや仲介するとなれば自分にも責任が出てきますから簡単には協力出来ないのは当然です。

 もはやこれまでか,とサスガの私もいったんあきらめかけましたが,最後の執念のつもりで,Web検索を再度試みました。白川博士関係のサイトはたくさんありますが,どこも白川博士の個人情報は掲載していません。まあ当然です。それらのサイトのひとつに日本高分子学会のオフィシャルページがありました。そこで,ダメもとで,高分子学会の事務局へメールを書くことにしました。

 突然メールをもらった高分子学会事務局もきっとびっくりしたでしょうね。(^_^;)

 返事は翌3月1日に届きました。実は,3月1日は公立高校の卒業式で,私は通算5度目の卒業担任として,卒業式に臨み,その後最後のホームルームを行い,保護者の方達とご挨拶をして・・・・というあわただしい半日を過ごして,やれやれという気持ちで職員室に戻ってきましたら,事務室から,高分子なんとかというところから私宛に電話があったのだが,卒業式中だったので,折り返しこちらから電話をかけるということにしてある,という伝言です。一瞬なんのことかわからずきょとんとしていましたが,ああそうだったと気がついて,休む間もなく受話器を取りました。電話はすぐつながり,事務局の方に,今までのいきさつを含めて今回の趣旨を伝えてお願いをしたところ,そういうことであれば白川博士のご自宅電話をかけてお願いするのが一番いいですよ,との返答です。それができないから困っているのに・・・と思い,電話番号がわかりませんというと,番号は今から言いますからと言うのです。これにはちょっとびっくりしました! 超大物の白川博士の自宅電話番号をそんなに簡単に他人に教えていいのか? しかし,事務局の方は事も無げに,「電話をかけると,まず奥様が出ますから,そこで用件をおっしゃって下さい。すると奥様がだいたいのところを判断して,取り次ぐ必要のあるときは博士に取り次いでもらえます。」と教えてくれました。(個人E-mailアドレスは学会としても知らない,とのことでした。ちなみに,教えてもらった白川博士の電話番号は他の人には頼まれても教えられませんので悪く思わないで下さい(^_^;))

 電話を置いて,高まる緊張を感じながら,意を決して再び受話器を取り上げました。何度かのコールの後,教えられたとおりまず奥様が出られました。こちらの真意が相手に伝わってくれることを願いながら,慎重に一言一言を選び,用件を話していきました。じっと聞かれていた奥様は,聞き終わってから最後に,そういうことであれば今の用件を手紙FAXにして送ってください,と一言いわれました。ほっとしたような,拍子抜けしたような,複雑な気持ちで,わかりましたそうします,と返事して受話器を置きました。

 早速FAXに,今までのいきさつとWeb許可のお願いを書いて,1日の午後には送信しました。

 返信は3月2日の夕方,白川博士から私宛への直E-mailで届きました。メールを開くときには本当に緊張しました。メールの文面の詳細はここに明らかにはできませんが,内容としては,Web化するのはさぞ大変だったろうというねぎらいの言葉と,途中の白川先生以外の方の言葉の引用部分で,より正確にはこれこれだからそのように訂正して下さい,引用する場合は正確に引用しないと相手に失礼にあたりますよ,となかなか耳に痛い指摘が書いてありました。読後,深い感動を覚えました。このメールは私の宝物にしようと思っています。(^_^)

 後は,付け足しです。まず,道新に白川博士本人の許可を得られたことをメールで伝え,改めてWeb掲載の許可を求めました。同時に,北大の長田教授にも同様のメールを送りました。

 道新からは,3月6日に電話がありまして,白川博士本人が許可していることを示す証拠を求められました。それについては,読み終わった後で削除してくれることを条件に白川博士からの直メールをE-mailに添付して送りました。3月9日に再度電話がありまして,道新社内ではかなり反対はあったのだが,今回については一応黙認という形で許可することになったからと聞かされました。道新の担当の方も幸い良い方で,どうやら私の味方になってくれていたようです。

 北大の長田教授からは,白川博士本人が許可しているのなら北大としては問題ないでしょうとの返事がきています。

 以上,今回の件について振り返ってみると,河合隼雄氏のページが不許可になったことは残念でしたが,最終的には2/3の打率で許可が下りて,総じて上出来でした。また,私にとっても貴重な経験となりました。よかったよかった。(^_^)

2001.3.10. 森林公園にて





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