2次元衝突における運動量の四角関係
石川 昌司
北海道札幌啓成高等学校
(2007年度北海道高等学校理科研究会発表原稿を一部改訂)
1. はじめに
教科書に載っている運動量の和が保存されることを説明するベクトル図は生徒たちにとって非常に難解である。しかし,運動量の保存の法則の理解のためには,この教材はどうしてもはずせない。
教師にとってもこの教材はかなりやっかいで,2次元衝突のベクトル図を黒板に書くときに,すらすら書ける人を私は見たことがない。教師ですらそうなのだから,高校生がこの図をノートに写すのには大変苦労している。この際,図なしですませられるものならすましてしまいたい。かくいう私も,昨年度までは,この図の板書は苦手だった。しかし,2007年度の授業で,より簡単に書けて,(かつ教材の理解の助けになるかも知れない)作図方法を思いつき,早速試してみたところ,悪くない感触を得た。現時点では,まだまだこなれていないTIPSではあるが,それでも読者諸兄の何かの参考になればと思い,紹介することにする。
2. 2物体の衝突前後の運動量を四角形で表す教科書の図は,衝突前後の2物体の運動量ベクトルをX字型に組み合わせているものが多い。そして,その上にさらに“運動量の和ベクトル”と“それぞれの物体にはたらいた力積ベクトル”を書き込んであるものもあり,かなり複雑である。これらをいっぺんに見渡して,その意味するといころを理解するのは,高校生でなくとも大変であろう。
さらに,本文中では,なぜ運動量の和が保存されるかを,運動量と力積,作用反作用の法則の2つを用いて数学的に証明しているのだが,ここで用いられている論理は,高校生にとってかなり難易度が高いと思われる。
そこで,この“数学的な証明”のほとんどを,図に置き換えてしまうことを試みる。
図1は,P1’ - P1 = I1の関係になっている。これは,物体1が,最初に運動量P1を持って運動していたが,途中で力積I1を受け,運動量P1’に変化したことを表している。この三角形の形は基本的に自由である。
同様に,図2は,物体2に対するP2’ - P2 = I2の関係を表している。この三角形は,I2がI1の逆ベクトルであることだけが必要条件であって,それ以外はやはり自由に書いて良い。
上のアニメーションは図3の説明である。図2を変形して図3を作る。
上のアニメーションは図4の説明である。図1と図3の三角形を,I1とI2が重なるように貼り合わせて図4を作る。I1とI2が作用反作用の法則を満たすということは,この2つの三角形は平行移動だけで完全に貼り合わせることができる,ということと等価である。
上のアニメーションは図5の説明である。図4の四角形に,I1,I2に交叉するもう1本の対角線を引き,これが運動量の和ベクトルになることを示している。
図6は,図5の中に書かれている7本のベクトルを,平行移動や複製,さらに細い補助線を追加してつくった図である。この図は,教科書等に掲載されている図とほぼ同等である。
図5の四角形を書くことの利点として次の2点が考えられる。
ひとつには,作図のための時間短縮である。上のアニメーションのように,まず,任意の四角形(図5)を書いて,それから定規等を使って各辺を平行移動し最終的な衝突図(図6)を完成させる方法は,従来の方法よりも,より短時間で同じ図が書ける。
ふたつ目に,いままでの方法とは別の教育効果である。それは,完成した図形の単純さ(図5)によるところが大きいが,それ以外にも,2つの三角形を,ひとつの四角形に貼り合わせることができることが,衝突を支配する物理法則の存在を示しているといえる。
ちなみに,衝突前の物体2の運動量が0である場合は,図5は三角形になり,四角関係は三角関係になるが,この三角形は,四角形の4つの角のうちの2つの角が重なった特殊な四角形と見ることもできる。四角形の場合の対角線は,三角形の場合には辺に重なっている。具体的には, P1がPtotに重なり,I1,I2がP2’に重なる。
3. 運動量ベクトルが四角形になることの物理的意味運動量の和の保存則はP1+P2=P1’+P2’である。これをP1+P2+(-P2’)+(-P1’)=0と変形すると,P1,P2,-P2’,-P1’の4つのベクトルを足した図形は閉じなければならないことがわかる。別の言い方をすれば,これら4つの運動量ベクトルのうち3つまでは本当に任意なのだが,残りのひとつは,閉じた図形をつくらなくてはならないため,任意性はまったく残っていないことになる。この制限が,運動量の和の保存の法則と等価なのである。
物理的な内容を幾何学的な表現に置き換えるやり方は昔から行われている。この運動量ベクトルで作られた「四角形」が,「対角線で2つの三角形に分けられるとき,対角線の辺は共有される」ことについて,物理的な意味を考えてみよう。
対角線Ptotで分けられた上下2つの三角形は衝突の後と前に対応し,対角線Ptotは共有されている。このことから運動量の和は衝突の前後で保存されることがわかる。
対角線I1,I2で分けられた左右2つの三角形は,物体1と物体2のそれぞれの運動法則を表し,対角線I1,I2は共有されている。このことから,作用反作用の法則が成り立っていることがわかる。
共有される対角線のひとつに対してひとつの物理法則が対応していることがわかる。しかし,よく考えてみると,“運動量保存則”と“作用反作用の法則”は,実は,ひとつの法則の表と裏の関係にあることが知られている。このことから,幾何学上の一般論としても,四角形の2本の対角線は,完全に独立して存在するものではなく,それぞれ表と裏の関係にあるのではないかという考えが浮かぶが,読者諸氏のご意見はいかがだろうか。
4. 衝突による運動エネルギーの損失の問題4つの運動量がつくる四角形は基本的に任意である,と言っても,それは,運動量に関する限り正しいが,運動ネルギーに関しては,普通,衝突によってその和が減少する。すなわち,
である。したがって,作図は上式を満たすように書くほうがいいだろう。(しかし,あらかじめ物体が,運動エネルギー以外のなんらかのエネルギーを持っていて,そのエネルギーが,衝突の瞬間,運動エネルギーに転化するような衝突であるなら,運動エネルギーの和は,衝突によって増加することになるから,上の不等式の条件は,絶対的なものではない。)
5. 重心系への移行ここで,観測系を実験室系から重心系に移るときに,図5で書いた四角形が,どのように変換されるかについて考察してみよう。ただし,この変換は高校物理の学習範囲外なので,いうなれば教師側の参考資料である。
図7は,2物体の衝突前後の運動量を,重心系から見たものであって,大学の教科書等ではよく見かける図である。
図8は,図7の各運動量ベクトルを,図5の上に配置したものである。
上のアニメーションは 図7と図8の間の変換関係を説明したものである。力積はガリレイ変換に対して不変だから,I1やI2の向きと大きさは変化しない。これと交叉する対角線である運動量の和ベクトルについては,ガリレイ変換に対して伸びたり縮んだりする。実験室系から重心系へ移るにしたがって,運動量ベクトルは次第に小さくなっていき,重心系に完全に移行し終わると0ベクトルになる。したがって,重心系ではこの図形の形は四角形ではなく三角形である。運動量ベクトルが0に収束する点は,実験室系における運動量の和ベクトル上の,ベクトルの大きさを,2物体の質量の逆比で内分した点になる。
<おわり>