発明のきっかけは、中学二年生

私は、1938年佐久間村で生まれた。幼い頃から祖父源作に厳しい躾けの農林業の

家庭に育った。学校から帰ると早速田畑や山林の手伝いをさせられる毎日であった。

田畑は、山間地で狭い道しかなく、稲や薪等運ぶ時は、背板と言う道具で運んだもの

だった。小学四年生の時自分の体重より重いさつま芋を背負い坂道を降って

いる時急に膝が痛み出し歩けなくなった。病院の診察結果で関節リウマチと診断さ

れた、それから中学二年生までリウマチと薬の副作用で腎臓を患い非常に痛く辛い

で毎日だった。背負い作業が苦しく嫌で堪らなく、何とか楽な運搬具は、ないかと考え

るようになった。中学二年生の時苦心の末、木製一輪車を考案、自分で作った一輪車

で稲や薪を運んでいる姿を見た親が大変喜び褒めてくれた。この一輪車が私の発明

第一号でありこの感動は、今も決して忘れない。

米俵一俵を運搬した一輪車

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