は じ め に

 

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川

 故郷と言えば、すぐさまこの歌が口をついて出る、しかし私たちが子供の頃は

 

 川は「金魚掬いしかの川」で村の周りを走る堰(小川)には、いつも飲めるようなきれいなみずが、

 

 さらさらと流れ網やざるでひと掬いするとドジョウやめだかと一緒に2・3匹の金魚がかかっ、

 

 通し苗代が多いころで、そこに飼っている金魚が水口あたりの水漏れに乗って逃げ出した

 

 ものである、俗に「ざっこしめ」と言って夏の遊びの最たるものであった。

 

 それとともに、忘れられないのは、大水で苗代や池から逃げた金魚を競って掬ったことである。

 

 かつて庄内平野は、2~3年に1度は洪水に見舞われる地域であり、大雨があれば

 

 1朝にして苗代や池は一面の海となり丹精を込めて育てた金魚は一斉に大海へ飛び出していった

 

 1度外に出たものは、誰のものでもなかった、其れをめがけて村の子供は無論近くの村々からも

 

 屈強の男たちが網とバケツを持って殺到した、苗代や田圃の畦は、

 

 大勢の人に踏みにじられて形がなくなるほどだった。

 

 そんな中、金魚生産地の西袋(現庄内町)では、こうした度重なる水害を見る限り、西袋の地

 

 は決して養魚の産地とは言えなかった、しかし現実はそれとは裏腹に、養魚農家は年をおって増え

 

 続け昭和三十年頃からは「西袋の金魚」とその名が宣伝されて、近くの村からだけでなく、

 

 遠くからも車を連ねて千客万来だったのはいったい何がそうさせたのであろうか

 

 しかしながら「世の中はあざなえる縄のごとし」でこの飼育ブ-ムも、いつしか下火となり

 

 最盛期八戸を数えた養魚農家も、今ではわずか三戸に激減している。

 

 こうした状況であればこそ今「庄内金」の純粋種育成が積極的に行われている、言うまでもなく

 

 郷土の先人たちが一世紀に渡る歳月を費やし、しかも血がにじむような努力によって

 

 生まれた「庄内金」その優美な姿と丈夫で飼いやすいことから、大衆金魚として広く

 

 各地で愛玩されてきた、私たちにとってこの「庄内金」はけっして珍しいものではなかった。

 

 最初に述べたように、いつまでも眺められ、いつでも捕まえて飼うことが出来た身近な

 

 存在であったため、この金魚の素性や生態、その優れた価値などは余りにも

 

 知らな過ぎたようである、今も伝統を守り純粋種の保存に努力されている。

 

         庄内金魚保存会の成澤孝雄氏記述 (故人)