※ちゅー表現とか、孫市さん服脱いでるとかの表現がありますので
 苦手な方はご注意下さい!









共君一酔
















「酒をやめる」



その日、長曾我部軍の船の中に衝撃が走った。

軍の総大将であり船の主であり、血液が酒で出来ているのではないかと思わせるほどに
酒好きの酒豪である元親が、とんでもないことを口走ったのだ。
禁酒など、今まで一度も口にしたことなど無かった男が。


「ど、どうしちまったんですかい アニキ?!」
「昨日あんなに上質の酒買い込んだのに…! それも飲まねぇつもりですかい!!?」

野郎共が口々に、元親に苦言を呈する。
体調でも悪いのか だの、何か悪い物でも食ったのか だの、
元親の宣言は瞬く間に彼らの不安を煽る。


「大体、昨日は雑賀の姐さんと飲んだんじゃねぇんですか?」
「…………ああ……」

『雑賀』の名前が出た途端、それまで毅然としていた元親の顔に翳りが見えた。
もっとも、それに気付いた者などその場には居なかったのだが。










昨日は、久々に陸に上がった日だった。
長期間の船旅の疲れを癒すのと、食料調達の目的で
馴染みのある雑賀崎の近くに着岸して、近くの宿場町で元親は久方ぶりの陸の空気を楽しんだ。

そこで、元親は偶然にも孫市と再会した。
彼女もまた、情報収集を目的として雑賀荘から、この宿場町まで下りて来ていたのだ。

時折、仕入れの依頼や戦の最中などで顔を合わせることはあったが、
こうも偶然に、こうも平和に再会出来るとは思わなかった。


再会を心から喜んだ元親は、何とはなしに孫市を酒に誘った。
よく杯を酌み交わす間柄ではあったし、何より数ヶ月ぶりの再会なのだ。
積もる話もあったし、もっと彼女と時間を共にしたいとも思った。
孫市も、快くそれを諾した。


そこまでは良かった。
問題は、そこからなのだ。





目を覚ませば、朝であった。
慌てて飛び起きると、酷い頭痛に見舞われた。 二日酔いだ。
低く呻きながらも、元親は作夜の出来事を思い出そうと、思考を巡らせた。
しかしすぐ、絶望に見舞われる。




覚えていない。




孫市と共に部屋に通され、近況や思い出話などしながら酌み交わした…のは覚えている。
酒瓶を二本、一人で空かしたのも覚えている。
だが、それ以降の記憶がとんと無いのだ。
何度思い出そうと頭を抱えても。


そして、自分と孫市の現状を目の当たりにして
二度目の絶望を味わう。

自分は上着を脱いだだけで寝ていたようなのだが、孫市は自分の横で、
それも上半身裸で布団に包まれていたのだ。




一気に、血の気が引いた。
やってしまった。 そう思った。




一人で暫く固まっていると、隣に横たわる女が目を覚ました。
気だるそうに身体を起こし、乱れた髪を手櫛で整える。

寝ぼけ眼をこすった所で、顔面蒼白になっている元親に視線を移してきた。
いつも通りの、端正な顔立ちだ。


「……起きていたか、元親」
「えっ、あっ、あぁ……」

思わず、歯切れの悪い返事をしてしまった。
動揺を隠そうと必死に気を落ち着かせるが、次に発せられた孫市の言葉で
その動揺は浮き彫りになってしまう。


「…元親、昨晩のことだが」
「うぇあッッ?!」


身体を跳ね上げて反応してしまった。
予想外の反応に目を見張った孫市だが、すぐにその理由を察知した。


「………まさか、覚えていないのか?」


それまで、柔らかい光を灯していた赤の瞳が
くすんだ炎を宿したように暗く光る。
その目に、確かな怒りを感じた元親は思わず黙り込んでしまう。


「この、からすめ!」


声を張り上げて、孫市が怒号を飛ばした。
いつもより数倍は強い平手が飛んでくるだろうと、元親は身を強張らせた。

が、孫市はすっくと立ち上がると、傍らに落ちていた
自分の胴衣を拾い上げて、さっさと露わになっていた胸元を隠した。
更に早々と身支度を済ませると、唖然としている元親の横をすり抜けて、
部屋の襖に手を掛けた。


「ちょ…っ、おい、サヤカ!!」
「その名を呼ぶな!」


ばしんと、大きな音を立てて孫市は部屋を後にした。
一人残された元親は、自分の仕出かした事が何なのか分からぬまま、
言い表せぬ後悔だけを胸の中に巡らせていた。










「とにかく! 俺は今日から禁酒する!! 今後一切、俺に酒は勧めるなよッ!!」

一向に騒ぎを止めない男衆に向けて、一喝も兼ねて令を飛ばす。
勢いよく立ち上がると、元親は甲板へと足を向けた。


まだ小さく聞こえるざわめきを背に、己が心とは裏腹に晴れ渡る空を眼前に。
元親は、大きな溜息をひとつついた。



「………最低だよなぁ………」






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それから、三日経った。



長曾我部軍の船は、三日前と変わらず停泊していた。
宿場に滞在し、戦利品を売り払って必要な物を揃えたりしていた。
そしてその間、元親は宿に篭って、やりかけの政務や書状の処理をしていた。


しかし、それが順調に進んでいたのは最初の1日のみ。


「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……」


宿の一角から、低い声が響いた。


「酒飲みてぇ………」


この日も、元親は昼食を済ませてから、いざ昼の仕事をこなさんと文机にはりついたのだが、
机に突っ伏したまま、文字通り貼り付いていた。
集中力が、持たないのだ。
何せ、毎日毎晩酌を欠かさず、事ある毎に口にしていた酒を、急に断ったのである。
支障が出るのは当然のことであった。

だが、元親は頑なに酒を口にすることは無かった。

そして、そんな元親を前にして平気で酒を飲めるはずも無く、
長曾我部軍の男達も禁酒をせざるを得なくなっていた。
当然、男達の精神もささくれ立っている。 皆が無口で、周囲の空気がどんどん淀んでいった。


その時。


「………?」


遠くから、廊下を渡る足音が聞こえた。
最初は、野郎共の誰かが来たのかと思ったが、すぐに違和感を覚えた。
男の、床を叩くような大きな足音ではないのだ。

訝しげに、廊下に向かっている障子に目線を移す。 と――――。



「…………っな………」



勢いよく開いた障子の先を見つめて、元親は言葉を失った。



そこには、数日前に喧嘩別れしたはずの―――その後で此処に来ることなど無いであろう、
雑賀孫市――――その人が居たのである。





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